Cの番外編
三年前のバレンタインデー



「っ、・・・・おい、待っ」
「・・・・・・」
「ナマエ!」

ガッ、その肩を半分は驚きで反射的に、半分はヤケクソになって掴み身体ごと押し上げると、何を考えているかさっぱり分からないナマエの顔にさらりと前髪が落ちた。

まだ日も登らない、明け方の薄暗闇の中段々と視界が慣れてきて、やっぱり何度見返したって彼女の姿がそこにあって。その顔は前に見た時より、少し痩せた気がした。

「何故ここに・・・・」
「ちょっとこっち行く用事があって」

表情は読み取れないが、口調はどことなく冗談臭い。恐らく、訳ありだろう。さしずめグラマン中将のお節介か何かで──。

思考を巡らせ少し冷静さを取り戻した時、開けっ放しの寝室のドアからひんやりとした冬の空気が流れ込んで来るのに気付いた。

目の前のナマエに視線を移すと、薄手のコートを羽織りマフラーもしないで露わになった肌がえらく寒々しい。「寒いだろ」そう言って布団を捲ろうとすると、隙を着いたようにナマエの手が頬にかかり、唇が寄せられる。

柔らかいそれで優しく噛まれるのは、寝起きの頭には麻薬みたいに作用する。

「・・・っ・・」
「・・・ロイ」
「君がそうやって煽るのは、私に何か隠したいときだけだ。違うか?」
「ねえ、ロイ」

私の言葉を遮るような強い声音と共に、ぐっと距離が迫る。連続のキスで少し荒げている吐息が二人の隙間で混ざり合う。

彼女は目を合わせるとゆっくりその瞼を伏せ、私の手を柔らかい手つきで取り上げると指を絡ませた。
長い睫毛が一度、二度瞬きするとまたゆっくり開かれて目が合い、へらりと昔の様に下手くそな笑みを浮かべた。

「・・・もうちょっとこうさせてよ」

それは『これ以上何も訊かないで』という明確な意思表示にも聞こえた。絡めた手を引き、もう片方の手を背中に回して抱き寄せる。支えるものがなくなり彼女の全体重が預けられるが、やはり軽い気がして胸が痛んだ。

"連れ戻せ、んで一生離すな"

いつか、ヒューズに言われた言葉が頭を過ぎる。
いつ解かれるか分からない指をキツめに絡ませ、なめらかな髪に手を添える。

「・・・口、開けて」
「ん、・・・・・・っ、や・・・」

耳を優しくなぞると漏れる甘い声に、完全に意識は覚醒していて次第に呼吸が荒くなる。彼女が布団越しに跨っているのも妙に興奮する要素のひとつなのかもしれない。

「ロイ、待って・・・・ん・・っちょっと」
「もっとして欲しいだろ」
「本当に聞いて。」
「・・・そうか、なら手短に頼む」

コートのボタンに手を掛けながら話そうとする彼女の口に啄むようなキスを繰り返すと、さっきまでのムードは何処へやら、むんずと容赦なしに唇を摘まれた。もう片手で胸ポケットから細長いボックスを取り出すと、「はい」とそれを私の顔の前に突き出す。ご丁寧に包装用紙で飾られていて、よく知っているブランドのロゴが入っていた。

「悪いが橋渡しならしないぞ。贈り物は直接顔を合わせてした方が気持ちが伝わる」

「今、顔合わせてるじゃん」

さらりと言ってのけた言葉に呆気に取られていると、クスクス笑うナマエが私の額にひとつキスを落とす。一体、どういう風の吹き回しなのか。聞いたって本当の答えは返って来ないだろうから口を閉じた。

「失くしたりしないでね」

──その日の朝九時ちょうどの汽車で、彼女はまた南方へ帰った。不思議な事に、その日彼女に会ったという人物は私以外に一人もいなかった。


end.


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