その日の風は、夏だというのに酷く冷たく感じた。
数日前に練習試合が行われた。
過去の栄光なんて言われている弱小高校が相手と聞き、苛ついた俺は腕に重石をつけてマウンドに立った。
屑桐を叩き落してエースの座を掴まなければならない俺のプライドが、許さなかったんだ。
その結果が、これだ。弱小だと見下していた相手に散々点を取られた挙げ句、3軍降格を言い渡された。
窓から空を見れば、憎たらしいくらいの快晴。
空まで俺を馬鹿にしてきやがる。八つ当たりだとわかっていも、そう思えてならなかった。
今、俺の背中に羽根が生えたら。このまま空を飛んでいけるのか。
コンコン
そんな考えを遮るように、ドアからノックの音が聞こえた。
まさか、と嫌な予感がしながらも俺はドアをゆっくり開けた。
「よぉ、刃六」
部屋の前にいたのは、夢子だった。やっぱりな、と思いながら頭を抱えた。
いつの間に来た、という質問はこいつには無意味だ。
大方、母さんに事前に連絡を入れて開けてもらったんだろう。
昔から、そういう奴だった。
しかし、何でこんな時に。
「夢子、何をしにきた」
「折角可愛い幼馴染が遊びに来たんだ。そんなに嫌な顔するなよ」
お邪魔するよ、と言いながら行く手を阻んでいた俺の手をひょいと潜って部屋の中に入って行った。
どこが可愛い幼なじみだよ。心の中で悪態をついた。
俺の許可を取らずに、部屋に入って来るのも昔のままだ。
どんなに睨んでも、カラカラと笑いながら気にしないこいつの面の厚さには、呆れてしまう。
…それに慣れてしまった俺も俺だが。
「相変わらず、刃六の部屋はキレイだ」
ドアを閉めて振り返れば、夢子はもう床に胡座をかいていた。
キョロキョロと周りを見渡す度に夜のように黒く艶のある長い髪が揺れる。
昔から、どこか変わっている奴だった。
誰かが、こいつのことを黙っていれば美人なのに、と言っていたことを思い出す。
確かに、俺の目から見てもこいつはなかなかの美人だ。黙っていれば、な。
何でこんな残念な美人と幼馴染なのかと思うと、自然に大きな溜め息が出た。
「深呼吸かな?」
「溜め息だよ、バカ女」
なんだそうかと言いながら、カラカラ笑う。
再び出そうになった溜め息を堪えながら視線をずらすと、夢子の横に紙袋があることに気付いた。
「おい、なんだそれ」
「あぁ、これか?やっと気付いたんだね」
その言葉に少しイラッとしたが、面倒なので黙っていた。
「今の刃六にぴったりだと思ってね」
そう言って夢子が袋から取り出したのは、小さな鉢植えだった。
鮮やかなオレンジ色の花が、机に置かれた衝撃で小さく上下に揺れている。
「…何を考えてるんだ?」
「俺に花なんて、って言いたいのかな?」
「まぁ、聞けよ」と言って、夢子はベッドに腰掛けた。
長い脚を組み、ベッドに両手をついて体重を支えながら、机の上にあるオレンジ色の花の方を見た。
俺も、その視線を追って花を見た。南国を連想させるその鮮やかなオレンジ色が、俺に似合うとは思えなかった。
今の俺には、特に。
「シャクナゲっていう花だ。聞いたことはあるだろ?」
「ふーん、それで?」
「答えになってないな」
カラカラと笑う夢子#は、俺から花に視線を戻した。
「話を戻すぞ。こいつは、シャクナゲの仲間でマレーシアシャクナゲっていう何とも可愛らしくない名前なんだ。
オレンジ色のマレーシアシャクナゲは、サンセットと呼ばれるそうだよ」
「ふーん、だから?」
「相槌の仕方を覚えろよ、刃六」
オーバーに両手を広げてやれやれと言う夢子は、苛ついているようには見えなかった。
むしろ、楽しんでいるように見えて、やはりこいつは変なやつなんだと再認識した。
「ここからが本題なのに」
「じゃあ、さっさと言えよ。俺だって、暇じゃないんだ」
「はいはい、仕方ないね」
俺の見え透いた嘘を気にも留めず、夢子はベッドに両手をつき直して花を見た。
「シャクナゲの花言葉は、威厳と荘厳。
これだけでもお前が好きそうだが、それ以上にぴったりだと思った理由は、この花の特徴にあるんだ」
「何だよ。ハッキリ言えよ」
夢子は、ニヤリと笑うとベッドから降りて、グッと俺に顔を近づけた。
羽根のようにふわりと微笑み、唇をゆっくりと動かした。
「この花はな、二度咲くんだよ」
自分の身体が、一気に固まったのがわかった。
目と鼻の先に、夢子がいる。俺に顔を近づけたまま、真っ直ぐ真剣な目で見つめてくる。
夢子の瞳に、目を見開いた間抜け面の俺が映っていた。
石鹸の柔らかい香りが、鼻を抜ける。
こいつに聞こえるんじゃないかというくらい心臓が鳴る。
「返り咲け、刃六。お前なら、必ず出来る」
スッと身体を引いた夢子は、立ち上がって足早にドアへ向かった。
「可愛い幼馴染からは以上だ。せいぜい頑張ってくれよ。
泣いてへこんでるお前は見たくないからね」
背を向けたまま、ドアを開ける。
「ついでに、刃六が投げてるところを見れたら、嬉しいな」
そう言って、こっちを見ないまま出ていった。
俺は、その場から動けずにポカンとしていることしかできなかった。
「なんだよ、あいつ」
夢子が出ていってすぐ俺は両手で顔を覆った。苛つくぐらい熱くなっていることに、今更気づく。
なんだか負けた気がして、悔しくなった。いきなり何だよ。
チラッと花を見た。夕日みたいに輝くオレンジ色の花が揺れる。
…あいつの髪も揺れてたな。
黒髪が揺れて、なんか良い匂いがして、瞳の中に俺がいて、ゆっくりと唇が。
「…くそっ」
身を乱暴にベッドへ投げた。
思い出してることにも腹が立つし、思い出してより熱くなる顔と速くなる鼓動にも腹が立つ。
それなのに、あいつの姿も、あいつの言葉も、頭から離れない。
「泣いてねぇよ、ばーか」
花に向かって呟いた。
「返り咲いてやるさ、必ずな」
見ておけよ、夢子。
ツンと軽く突いた花が、大きく揺れる。
なんとなく、いつものようにカラカラと笑うあいつの顔が浮かんだ。
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