「春は、桜しかないのでしょうか」
夢子の言葉に、べし見は団子を口に運んでいた手を止めた。
舞い落ちる花弁を払いのけ、向かいにいる夢子を見る。
夢子は、満開の桜を見たまま団子を頬張っていた。
この場所は、京都有数の桜の名所。
……ではなく、とある山奥にある一本の桜の下だ。周りに、桜は一本もない。
この桜だけが、盛大に咲き誇り花弁を風で舞わせていた。
この場所は、麓からかなり離れた場所にあり、道のりも相当険しい。御庭番衆として鍛えた二人でも、花見の荷物を抱えてそこに向かうのは、一苦労だ。
そんなに苦労してまでここに来るのは、ここには誰もいないからだ。
こんな山奥にあるせいか誰にも知られていないようで、二人の周りに人はいない。一般的な花見場所では、二人の姿は目立ちすぎる。子供ほどの背丈しかない男と、白髪に赤眼の娘。人々からの奇異の目で、花見を楽しむことなど不可能だ。ここでは、誰かに二人の姿を見られることなく花見ができる。それは、二人にとってとても重要なことだった。
どうしても花見がしたいと、珍しく我が侭を言う#bk_name_1#にべし見が付き合い、何日も探し歩いてようやく見つけた穴場だった。二人は初めて見つけたその年から、花見は毎年この場所で行っていた。
今年も、長く辛い道のりを歩いて来たというのに、夢子はここが気に入らないと言うのか。
夢子の言葉は、べし見を不安にさせた。
「…桜、飽きたか?」
様子をうかがいながらそっと自分の顔を覗きこむべし見に、夢子は静かに微笑んだ。
「いえ、そういうわけではないのです」
そう言うと夢子は、顔を桜に向け、胸の高さで手を広げた。そこに、ひらひらと一枚の花弁が乗った。
「ただ、大変だろうと思いまして」
べし見は、首をかしげた。
「大変?誰がだ?」
夢子は、桜を見たままだ。
その手には、三枚の花弁が乗っている。
「桜が、です」
ますます訳がわからない。べし見の頭の中「?」でいっぱいだった。
それは表情に出ていたようで、べし見の顔を見た#夢子は少し困ったように微笑んだ。
「わかりづらいですね。申し訳ございません」
そう言って、夢子は深々と頭を下げようとした。
「簡単に謝るんじゃねぇよ。約束だろ?」
べし見が、夢子を制する。
夢子は、頬を軽く掻きながら気まずそうにべし見を見た。
「そうでした。申し訳…」
「夢子」
「あ……」
夢子は、口に手を添えて目線を逸らした。恥ずかしいのか、頬が少し赤い。
すぐに謝るところは、昔から変わらない。自分が悪くないところでもすぐに頭を下げる。べし見がどれだけやめろと言っても、これは直らなかった。
夢子の様子を見て、べし見は軽く溜め息をつき助け舟を出した。
「で、何で桜が大変なんだ?」
夢子は、思い出したという顔をして話し始めた。
「春と言えば、桜でございましょう?人は、桜を求め集い、浮かれ楽しみます。皆、この美しい花が咲き誇る姿を期待しているのです」
夢子は、眉を少し下げて桜の幹に手を添えた。
「……その期待が、重荷になっているのではないかと思いました」
「重荷?桜にか?」
「はい、べし見様。期待が桜にとって重荷なら、毎年この子たちは重荷を背負うことになりましょう。それが心配でならないのです」
少し悲しそうな顔をして幹を擦る夢子に、べし見はふっと笑みをこぼした。夢子は昔から木や花にも心があると信じていた。夢子らしい、そう思った。
「別に、重荷じゃねェとを思うぜ」
「えっ?」
べし見は、夢子の隣に座りなおし幹に軽く手を触れた。木のゴツゴツとした触感が心地いい。
「こいつらは好きで咲いてんだ。俺らのことなんざ、これっぽっちも考えてねェだろうぜ」
「はぁ…」
夢子は、心配そうな顔で桜を見上げる。本当に重荷じゃないのか、気になっているのだろう。
その姿を横目で見たべし見は、自分も桜を見上げた。
「……もし、本当に期待がこいつらの重荷になってるってんなら」
「……」
「お前みたいな奴がいて、嬉しいんじゃねェのか」
夢子は、きょとんとしてべし見を見る。
そして、べし見の言いたいこと理解した夢子は花が咲いたような笑みをべし見に向けた。
「……ありがとうございます、べし見様」
「けっ」
眉間に皺を寄せ目線を逸らすべし見に、夢子は微笑まずにはいられなかった。
夢子の様子に気付いたのか、話を逸らそうとべし見が少し芝居がかった声で話し始めた。
「ったく。夢子が『春は桜だけなのか』なんて言いやがるから、てっきり桜に飽きたか俺との花見が嫌になっちまったのかと思ったぜ」
「そんな…!」
この世の終わりかというような表情を浮かべた夢子は、身体をべし見の方へ向け正座した。
「べし見様との花見が嫌なわけがございません!毎年、楽しみにしております!私は、べし見様のことを心からお慕いしております!」
「申し訳ございません」と深々と頭を下げる夢子に、べし見は苦笑した。
話をそらすついでにちょっとからかうつもりだったのだが。「好きだ」と告げられることに嫌な気はしないが、まさか土下座されるとは思わなかった。べし見に罪悪感が生まれる。
べし見は、下がったままの夢子の頭に手をのせ、髪の流れに沿うように撫で始めた。
身長のわりに大きく、ゴツゴツとしたかたい手の感覚は、夢子にとってとても心地よいものだった。
「頭撫でても、払い除けなくなったな」
べし見の言葉で、目を綴じて心地よさを味わうことに集中していた夢子はハッとした。
そして、急いでべし見の手を払いのけ、俯いた。
べし見に顔を見られないようにしているのだろうが、真っ赤になっている耳が全て語っていた。
夕日が陰り、満開の桜を暗く染まりだした頃。べし見は肌寒さに身震いした。
「…さて、そろそろ帰っか。がっつり暗くなっちまったら、さすがに危ねェし」
そう言って、べし見は立ち上がり歩き出そうとしたが、夢子は立ち上がろうともせず桜を見ていた。
べし見は、首をひねる。
「どうした?」
べし見は、具合でも悪いのかと少し心配になり問いかけた。
夢子は、ぼーっと桜を見たまま一呼吸置き、答えた。
「夜桜、見ませんか」
そう言った夢子は、答えを待たずに荷物の中から大きめの毛布を取り出した。
やけに荷物が大きかったのはこのせいか、とべし見は軽く吹き出した。
「そうだな。たまにはいいかもな」
そう言って、べし見は#夢子と共に毛布に包まった。
お互いの体温で、じんわりと温かい。
心地よい温もりと、隣から香る相手の匂いは二人を微睡みに誘う。
「べし見様」
うとうとしていたべし見はハッとしたが、それを悟られぬよう出来るだけ平静を装って答えた。
「なんだ?」
夢子は、毛布の中にあるべし見の手を遠慮がちに、そっと握った。
「また、来ましょう。来年も。再来年も。ずっと一緒に。」
べし見は、夢子の顔を見た。その凛として、それでいて優さしい横顔に桜の花弁がよく栄えた。
ふっと微笑み、夢子の手を強く握り返した。
「あぁ、来ような。絶対に」
二人はそっと寄り添い、お互い体に体を預けた。夢子の肩の位置は、べし見が頭を置くのに丁度いい。
距離がなくなった二人は、より一層お互いの温もりを感じながら静かに眠りについた。
翌朝。
葵屋には、朝帰りした二人に説教をする翁の姿があった。
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