風邪ひいて部屋で密かに寝込む大瀬とそれを取り巻く住人たちの様子を、トカゲ視点で見た話です。
トカゲのもろもろ捏造。知識がほぼ人間ですがご容赦ください。

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 ワガハイはトカゲである。名前は未公開。そのうち明らかになるかもしれないし、ならないかもしれない。気になっている諸君におかれましては、まあ気長に待っていてほしいと思う。

 ところで、ワガハイの飼い主について話をしよう。
 名前は湊大瀬。よく初対面の輩に「湊? 大瀬? どっちが苗字?」と言われるらしいが、トカゲであるワガハイからしてみればそんなことはどちらでもよろしい。名前が大瀬である。間に長音が入るのでトカゲにも発音しやすくて良い。

 この大瀬というやつは、いわゆる内気な人物だ。そのぶん胸中に渦巻く思いはかえってやかましいくらいだが、対外的には非常に遠慮深く物静か。いるのかいないのかわからないと、よく存在を忘れられる。というか、自分自身でも存在しないほうがいいなどと思っているので、あえて気配を消している節もあるが、まあそれもやつの性格上、致し方ないことかもしれない。

 そんな調子であるから、自己主張というものも、やつの場合著しく弱い。人間的にはしたほうが良いと思われる場面でも、ほとんどまったくと言っていいほどしない。

 これはある夜のことである。

 大瀬はいつものとおりに、ワガハイに食事を用意してくれた。本音を言えばもっと頻回にくれても良いのだが、それもワガハイの健康を考えてのことと理解しているので文句は言わない。いつもの主食に、今日はデザートにフルーツもついてきて、ワガハイはご機嫌だった。

 ワガハイはワガハイであまり感情を表に出さないほうだが、そんなワガハイの変化を大瀬は良く察してくれる。水槽のガラス壁を隔てた向こう、薄暗い部屋で大瀬がこそりと微笑むのが見える。大瀬はワガハイのほうを見るとき、よくこの表情をする。ワガハイも、そんな大瀬の様子を見るのは嫌いではない。

 それにしても、今日の大瀬は、顔の皮膚がなんとなく赤く見えるな。そんなことを思いながら、ワガハイはフルーツの最後の一欠けらを口中へと収めた。たいへん美味であった。口周りについた果汁の名残りを舐め取っていると、大瀬はそっと水槽の前を離れていった。手に持っていたワガハイ用の食器を、傍らのキャビネットに置く。

 そしてそのまま、床へとくずおれた。

 どさっ、と、人間の成体一個分の重さが地に倒れ伏す音。
 その余韻を残し、大瀬の体はぴくりとも動かなくなった。


 そして翌朝。
 部屋の扉が叩かれる音が聞こえ、ワガハイは目を覚ました。床に目をやると、大瀬は昨夜と同じ場所、同じ体勢で相変わらず倒れている。窓外からは朝の光が差し込み、のした餅のように伸びるその背を照らすが、やつが身を起こす気配はちっともなかった。

 もう一度、扉を叩く音がする。続けて、人間がおそらくこちらへ呼びかける声。しかし大瀬に反応はない。やれどうしたものかと首を捻るが、ワガハイもトカゲであるからして、代わりに扉を開けてやることも難しい。

 やがて、声の主はしびれを切らしたのだろうか。ドアノブを下げる音がして、部屋の扉が開いた。

 「大瀬さん? 朝ごはんできて……ってええっ!? 大瀬さん!? 大丈夫!?」

 入ってきたのは、この家でいちばん頭の形が丸い人間だった。名前は確か、イオクン。大瀬がこの家で、唯一正面きって張り合うこともある人物である。

 イオクンは慌てふためきながら、大瀬の肩を揺すった。そして古のちゃぶ台返しの要領でその身をひっくり返すと、大瀬は昨夜見たときと同じ赤い皮膚をして、ふにゃふにゃしていた。このとき初めて、死んでいたわけではないということがわかり、ワガハイも内心でほっとする。

 「大変……!」

 イオクンはそう呟き、立ち上がった。

 「みんなー! 大瀬さんが部屋で密かに寝込んでるー!」

 そして、そんなことを呼ばわりながらバタバタと部屋を出ていった。

 ほどなくして、その“みんな”がどやどやと大瀬の部屋へ詰めかけた。

 「大瀬くん、大丈夫かい!?」
 「熱あるんだって? いつから?」
 「こんな状態でお一人で……さすがにセクシーが過ぎます」
 「ったく、調子悪いならそう言やいんだよ」
 「そこもオバケくんらしいっていうか……げっ。そうだった、トカゲいるんだった……」

 ばかにでかい生物がこうもいっぺんに現れると、ワガハイの視界では全員の判別がつかない。
 けれども、最後に入ってきてワガハイに向け顔をしかめた、やたらきらきらしいこの人間だけはよく覚えがある。いつだったか、生気漲るワガハイを勝手に剥製扱いした挙句、謝罪もなしに何事か喚いて逃げ出した輩だ。あれは非常に不愉快な出来事だった。

 今回もまた、悪びれもなしにやって来てはワガハイを嫌そ〜な目で見るので、お返しに舌を出してやった。「ひっ」と短い声を上げ、そいつは黙り込む。してやったり、である。

 「とりあえず、寝袋じゃ休まるものも休まらないし、布団敷こっか」
 「ぃ……いです、ぃぉくん……自分は……床で……」
 「おっ、生きてた」
 「生きてるに決まってるじゃないですか、ふみやさん!」
 「理解さん……すみません……このまま、死ねると、思ったのですが……永らえてしまって……」
 「あーもーいいから。何か飲み食いできる? 特別に用意してあげる」
 「お手伝いしましょう、ビューティ」
 「俺は何もしねーからな」
 「じゃあ、君は氷枕とか冷えピタとか、絶対用意しちゃダメだからね」
 「はあぁ? んなもん用意するに決まってんだろ熱出してんだからよ! お大事に!」
 「依央利さん、我々にもできることはありますか?」
 「うーん……それじゃ、布団敷いて大瀬さん運ぶの手伝ってくれますか? ふみやさんも」
 「あ、はい」
 「負荷が減っちゃうけど、仕方ないか……」

 最後の一言だけ、イオクンは小さな声で呟いて笑った。


 そうして、急遽こしらえられたふかふかの居心地よさげな寝床に、大瀬は収められた。
 その後も、人間たちはかわるがわる、ほとんど切れ目なしにやつのもとを訪れる。
 イオクンは抵抗する大瀬の口をこじ開け、水とお薬なるものを流し込み、リカイサンは暇潰しになればと人間の無常を描いたとされる小難しげな本を置いていった。
 フミヤサンは見舞の品だと言って持ってきた菓子類をその場で貪り、サルカワサンが部屋の前を行ったり来たりする気配がずっとしていた。そこに通りがかったアマヒコサンがもろとも部屋の中へと押し入り、快気祈願のポールダンスを踊ろうとするので、サルカワサンは全力で止めてくれた。その様子を、部屋の外からテラサンが引いた面持ちで眺める。

 まったくもって、一時も静かにしていられない、この家の住人たちである。

 これでは治るものも治らないのではないかと、心配になってワガハイは大瀬のほうを見やる。
 大瀬は肩まですっぽりと布団にくるまり、部屋の外から聞こえてくる騒がしい声に耳を傾けていた。その表情が、いつもワガハイに見せるものとそっくりなことに、ワガハイはふと気がついた。

 「…………ふふ」

 目を閉じたまま、大瀬が淡い息を漏らす。氷枕と冷えピタに頭を挟まれて、その皮膚はやはり、ほんのり赤いまま。それでも大瀬のその表情には、心底からの喜びがにじみ出ていた。


 大瀬は内気なやつである。自己主張も苦手だ。
 けれどもこの家の仲間たちといるならば、そんなことで心配してやらずとも良いのだと、ワガハイも安心して見守ることができるのである。


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