ダンパ パターン3

夢(ドリーム)設定しおり一覧
「ラ・クロワの後夜祭では、毎年社交ダンスのデモンストレーションを行っているんだ。時間が許すのであれば、指揮官くんもぜひ応援として足を運んでほしい」
 君が来てくれれば、乗り気でない柊や巡も嫌でも緊褌するだろうからな。と。なんだか出しとして使われたような気がしなくもないが、ともあれ頼城くんからそう誘われた私は後夜祭当日、仕事の合間を縫ってラ・クロワ学苑に訪れた。
 教員に案内されたのはダンスルーム、……ではなく。ボールルーム風にセットアップされた体育館。中はすでに見物客で満員御礼の状態だったが、招待状を手にしていた私はなんの妨げもなく関係者席に座ることができた。
 しかし着席する際、「なによあいつ」みたいな眼差しで女子高生から一斉に睨まれたのは私の心だけに秘めておこうと決意した。目を合わせたらたぶん集団リンチは免れない。からの天井つるし上げも充分に考えられる。とにかく身元がバレたらただでは済まないと、本能がレッドアラームを鳴らしていた。
 なんせ身近にいる人物が人物だ。仮に事実が明るみに出てしまったら妬み嫉みの的にされること請け合いなので、なんとしても彼女らに顔を覚えられないようにせねばと、幕が上がるまでずっと視線を広報ビラに落としていた。
 しかして気まずい心地のなか始まった後夜祭。もとい、ラ・クロワのダンスパーティ。しっとりとした音楽にあわせてステップを踏む三人に視線を注ぐ。当然のことながらいつも目にする姿とは異なる振る舞いに、知れずしれず感嘆の息が零れた。
 端的に言えば、斎樹くんも霧谷くんも、とても消極的だったとは思えないスマートな身のこなしだ。淀みない足取りできちんとパートナーの女の子をエスコートしては、周りと衝突しないように気を配りながら己の舞台をつとめている。
 その最たる存在がやはりというべきか頼城くんで、彼は立役者ばりの華麗なターンで多くの観客を魅了していた。彼が動くたび教員が、関係者が、ファンクラブの女の子たちが恍惚とした溜め息を零す。もはや会場にいる誰もが頼城紫暮の虜になっていると言っても過言ではないだろう。とんでもないアウェー感だが、しかしラ・クロワの男子生徒たちはこの空気に馴染んでいるのか、必要に萎縮したり張り合おうとする者は誰一人としていなかった。
 デモンストレーションと一口に言っても、生徒的には競技的な催しではなく、あくまでお披露目会やお遊戯会のような認識が強いのかもしれない。一種のレクリエーション的な、曖昧だけれどそんな感じだ。
 私は社交ダンスに関しては門外漢なので大した意見は語れないが、個人個人がのびのびとダンスを楽しんでいるような印象を受けた。現にみんな、いい表情だ。
(――ん?)
 遊具のコーヒーカップのように、あるいはメリーゴーランドのように目まぐるしく変わる光景に注目していると、ふいに近くまで迫った斎樹くんと目が合った。もっとも私がいるのは最後列で、前には座高が高い人もそこそこいるから「絶対そうだ!」と強気の姿勢で言い切ることはできないんだけど。
 でもそれ以降ちらちら覗うような視線を何度も受け取ったから、ちゃんと観ているよ、という合図のつもりで胸の前で小さく手を振ってみた。すると彼の鹿爪らしい面持ちが些と柔らかくなったようだ。連鎖的になんとなく雰囲気も丸くなった気がして、ひょっとして案じてくれていた……? と瞠目した。
「!」
 けれども生憎と、つつがない時間も長くは続かなかった。
 曲も終盤に差し掛かったとき、ポケットの中で震える携帯に気付く。おそらく、いや確実にALIVEからだろうと直感が騒いで、周りの迷惑になる前にひっそりと席を立った。体育館の近くでは一般人に聞かれてしまう可能性もある。したがって、駆け足で非現実感に包まれる会場を後にした。
 隣接している病院を横目に、取り急ぎ私が向かった先は。
 ◇
「――はい。はい、ではその日取りで。よろしくお願いします、神ヶ原さん」
 校庭の片隅。了解の返事を得て、通話を切る。膝に置かれたスケジュール帳の中身は、斯くにも蚤取り眼でなければ解読できないほど文字の羅列で渋滞していた。のちほどタブレットに纏めなおす心算ではあるが、こうも黒く染まった紙を前にすると、みるみるやる気が削がれていくのは一体全体どういう現象だろうか。
 別に仕事を苦に感じたことはない、ないはずだけれど、今しがた日程が決まった重役とのワーキングランチに気が進まないのは確かだった。他でもない室媛さんに「適任」だと任された以上はそつなく熟すよう努力はするが、食事をともにするのはよりにもよって神経質で有名な人だから、話し合いだってどうなることやら。マナー云々に気をとられて話どころじゃなくなりそうだ。物心細し。
 懸念を少しでも体内から逃すようにふぅ、と一息。そしたら刹那、ひんやりとした夜気が身に染みた。そこでようやく上着を置いてきてしまったことを思い出して、再び溜め息。さすがにシャツ一枚で外に佇むのは時期尚早だったか。会場の――もっと言うとファンクラブの――熱気にあてられて脱いだものの、喫緊事を想定していたなら最初から脱ぐんじゃなかったと歯噛みした。完全に自分の落ち度だ。気休め程度に腕を擦って寒さを散らす。
 このまま身体を冷やして風邪を引いてしまったら尚のこと笑えない。鳥肌が悪寒に変わる前に早々に戻ろうと、ベンチから立ち上がって踵を返そうとした。
 が。視界の端を掠めた朧月に目を奪われて、咄嗟に足を留めた。
「……月なんて、まともに見たのいつぶりだろう」
 口を衝いて出た言葉に思わず苦笑いした。あたかも長期間巣籠もりしていたような物言いだ。だけれど一等正直な所感であった。
 外には毎日出ているはずなのに、極端な話、私が捉えていたのは常に真っ直ぐか真下のどちらかだったから。真上は、――空は。見ているようでちっとも見ていなかったんだと、こうして仰ぎ見ることで今さらながらの一事に気付いた。
(……いつの間にか夜空や星よりも、見なきゃいけないものがたくさん増えたなあ)淡い光を纏う輪形に彼らの面影を重ねては感傷に浸る。
 あの空に浮かぶ星々よりも尊い輝きを私は見つけた。……なんて、ありきたりで腐りきった表現を口にするつもりは更々ないけれど。
 そっと閉じた瞼の裏で、「指揮官さん」とあの子たちが笑う。眩しい笑顔につられて、自分の口角にも自然と笑みが浮かんだ。
 そのとき。ひとつの影法師が、私の背後に覆い被さった。
「――――指揮官さん」
 男の子の声が鼓膜をノックすると同時に、肩を温かな感触が包み込む。突然の出来事に息を飲むが、微かに鼻腔をくすぐった香りには偶然にも覚えがあった。
 ゆっくりと振り向けば後ろには、予想したとおりの人物が。
「斎樹くん」
「なにも羽織らず会場を出て行くのが見えたから驚いたぞ。……寒くはないか?」
 投げかけられた伺いにそろりと頷いた。
 肩に掛けられたのは斎樹くんが普段着ている制服のブレザーだ。きっと薄着で出て行く私の姿が見えたからわざわざ更衣室から持ってきてくれたのだろう。それもわりと急いだのか、せっかく社交ダンス用にセットされた髪も少々綻び始めていた。
 その様相に申し訳ない気持ちを募らせながらも。されど一方で、どこか嬉しさも感じていた。多くの人の中から見つけてくれていたこと、追ってきてくれたこと、自分の大切な制服を貸してくれたこと。全部、時間も手間も費やすことだろうに。放っておく選択だってあっただろうに、彼は。垂れていた私の手を気遣わしげに取って。
「肩に掛けるだけじゃなく、袖を通すと良い。あんたと俺の身長差なら、丈もほぼ変わりないだろう」穏やかに微笑んで、そう宣った。
 瞬間、ぐっと胃のあたりに押し寄せる圧迫感。斎樹くんの前髪が後ろに流されて黄金の瞳がよく見えるからか。顔を合わせて話すのが妙に、緊張する。
 するとどうにもギクシャクしているこちらの反応を怪訝に思ったのだろう。斎樹くんは着ないのか? とばかりに小首を傾げた。
「? 指揮官さん?」
「あ、あー……うん、じゃあ、ありがたく」
 お借りします。と恐縮しながら袖を通すと、ホッとしたような彼の顔。――その顔を目の当たりにしてそうか、今日は髪型が違うから一段と彼の表情の変化が目に付きやすいのかと合点がいった。
 額を惜しげもなく外に晒している彼は、いつも以上に幼く見える。とはいえ中身は相変わらず男前なままなんだけれど。
 ギャップが激しい、と内心戦きながらも。そういえば伝えていなかった感想を今言おうと口を開いた。
「ダンス、上手だったよ。やっぱり踊れるんだね」
「……昔の俺には必要ないものだった。だが頼城がそんな俺を研究室から引っ張り出してはこれも経験だなんだと、界隈で最も知名度の高いインストラクターを連れてきてな。これがまた人が好い人物で、断り切れなかった」
「ああ……」
 頼城くんは昔からあの調子だった、というのは斎樹くんの口振りからひしひしと伝わってきた。片眉を上げて皮肉たっぷりに笑った斎樹くんは、しかし一拍置いて今度は私に尋ねてきた。
「あんたは踊ったことはないのか?」
「……オクラホマミキサーなら、学生時代に経験あるけど。さすがに社交ダンスは触れる機会もなかったかな」
「……なら、今踊ってみるか?」
 思いもしない提案に面食らう。――彼は今なんと言った? と自問自答を行って、暫し停止。やっと意味が咀嚼できた頃には、目の前の斎樹くんは苦笑していて。らしくもなく狼狽えてしまい、忙しなく両手を横に振る。
「でも、本当に未経験だし! ステップとか基礎中の基礎も知らないから!」
「初心者なんて皆そんなものだろう」
「斎樹くんの足踏んで怪我させてしまったら大変なので!」
「その程度で怪我するほどヤワじゃない。……仮に足が縺れて転倒し擦過傷ができたとしても、ヒーローは自己治癒能力が並外れて高くなっている。それはあんたも把握しているはずだが?」
 何を言っても正論で返ってくる応酬に、徐々に窮地に追いやられていくのは自分でも分かっていた。否、もとより劣勢気味ではあったのだけれど。まさか彼が食い下がってくるとは夢にも思わなかったから、ますます戸惑いを露わにしてしまった。
 眉を下げてまごつく私に、斎樹くんは何を思ったのか。先程も触れた手に再度触れてきて、きゅっ、と。おもむろに指を握った。
「上手く踊ろうと意識しなくていい。……上手くなくても、足を踏んでしまっても、いいんだ」
 ――俺が、あんたと踊ってみたい。
 下手な言葉で飾らずに明かされた本心を、私はどんな顔で受け止めただろうか。呆然として目を瞬かせると、斎樹くんはいっそう困った表情を見せる。そして。
「俺も教えられるほど熟練しているわけではないが、指揮官さんの拙いところは必ず支えると約束する。転んだっていい。……駄目か?」
「……、斎樹くんは、ずるいね……」
 不安そうな顔つきでそんな風に問われてしまったら、断りにくくなることくらい分かっているくせに。
 降参の笑みを浮かべた私に、斎樹くんも緊張していたのか、曇らせていた面持ちを温かなものに和ませた。これ以上の問答はいたちごっこになる。それに私も反論の言が尽き掛けていたから……仕方ないと、頬を緩ませた。
 彼は一から仕切り直すように握っていた手を離し、半歩私から距離を置く。そうして流れるように恭しく頭を下げて、左手を胸に、右手を私のほうにスッと示した。
「私と、踊っていただけますか?」
 問いかけの答えは、もう決まっていた。
「――――はい」
 差し出された手のひらに、己の手を重ねる。次の瞬間、私の視界は斎樹くんの綺麗な顔でいっぱいになっていた。肩甲骨の下に手があてがわれて、こちらも見よう見まねで彼の二の腕付近に手を添える。間近に迫った黄金の瞳が半月状に細められた。
 霞がかった雲が晴れ、美しい月が顔を出す。ラ・クロワのブレザーを着た女と、燕尾服を着た男の組み合わせは、少しおかしな光景だけれど。影ともなれば関係ない。
 寄り添うふたつの影法師は、迎えが来るまで離れることはなかった。
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