かつて小さかった俺の隣には世間一般でいうところの幼なじみ、という間柄に当てはまる女の子がいた。誰も彼もが災禍を招く俺の体質を不気味がって離れてゆく中、その子だけは何が起こっても変わらずそばに居てくれた。
無邪気でとても可愛らしく、よく微笑う子だった。
太陽みたいなあたたかい笑顔に、幾度となく元気付けられた。密かに憧れ、だった。彼女のトモダチであることが、自慢で誇らしかった。これから先もずっとずっと二人一緒だと、信じて疑わなかった。
けれどそれは、ひとりになりたくない俺のちんけでちっぽけな望みでしかなかったのだ。

あの子は、ある日を境にぱったりと消息が途絶えてしまった。向こうにも親がいないと知っていたから今さら俺たちを無理やりに引き離す大人が現れるとも思わなかったし、きっとあの子も俺の体質に恐れをなして自ら離れてしまったのだろうと思った。
今までは我慢して俺に付き合ってくれていただけなのだと幼いながらもふと悟って、その時の俺はまるでふて腐れた子供のような(実際子供だったんだけど、)心境でいた。
だけどハッキリものを言うあの子が我慢していたとも思えなくて、直接本人の口から理由を聞かないと納得できなくて、引き下がらずに何度も彼女の家を訪問した。きらいって詰られても、もう会いたくないって手のひらを返されても、甘んじて受けるつもりで。
でも外から覗く家の中は決まって真っ暗で、ポストは新聞やチラシ類の紙で溢れかえっていた。

そのことを面妖に思いつつも、俺はなお訪ね続けた。が、やがて諦めの悪い俺を見かねたのか、それとも早く厄介払いしたかったのかは分からないが、彼女の家の隣に住むおばさんがおずおずと事情を教えてくれた。
赤ん坊の頃に両親を事故で亡くし、孤独となった彼女を引き取って面倒を見てくれていたおばあさんもとうとうつい先日病気で亡くなり、あの子は母方の妹夫婦に引き取られた、と。だからこの家はもう無人で、誰かが帰ってくることはあり得ないと。待っていても無駄だと、そうにべもなく切り捨てられた。

そうして俺は、行く宛もなく一人になった。
雷鳴が轟く嵐の日も、雪が一晩中しんしんと降り続いたせいで冷え込む朝も、大人から向けられる嫌忌の目がこわくて震えていた日も。全部、全部ふたりで身を寄せ合って凌いでいたのに、これからはひとりきりで耳を塞いで堪えなければならないのだと気付くと谷底に突き落とされたような絶望が俺に降りかかった。
これまで二人で苦難を乗り越えてきたのにも関わらず、あの子は俺に何も、伝言すら残さずに住み慣れた町を出たから、その事について多少恨みがましい気持ちはある。
けれどのちのち俺は、これはミーイズムが過ぎた自分に対する罰がくだったのだと戒めた。自身の体質に何度巻き込んででも、あの子が傷付いてでも、そばに居て欲しい、そばに居たいと胴欲にも願ってしまったから。ひとりぼっちが、孤独になるのが嫌で、彼女は何があっても離れないなんて当たり前のように決め付けていたから。
そうやって無意識にすがってしまっていたから。だから。

(かみさまは、おれたちをひきはがしたんだ)
きっとそれが、最善策。
身勝手でごめん。傷つけて、ごめん。謝りたくてもずっと傍らで支えてくれた彼女はもう居ない。いつも繋いでいた小さな手は、俺を置いて遠いどこかへ行ってしまった。
もう届きはしない。
あの幸せだった日々は永遠に戻ってこないんだと自分なりに割り切ったのに。

今、目の前に差し出されているこの手は。

「ようこそ愛譚学園へ。初めまして……いや、久しぶりだね。また会えて嬉しいよ、祐喜」

あの時と大きさに違いはあれど、間違いなくいつも俺の手を引っ張ってくれていた力強い手と同じものだった。

「…………え。は?」

予期もしない出来事にポカンと開いた口が塞がらない。
……なんだ。なんなんだ、これは。これこそ俺の妄想が作り出した夢じゃないのか。錯覚かと思って目をゴシゴシと擦り二度見しても、対面している相手が消えるわけじゃない。ならばと手の甲を抓っても痛みを感じる。
────夢じゃない。
動揺を隠せない俺とは対照的に、落ち着いた佇まいの彼女は口元を隠し、くすくすと可笑しそうに微笑う。その笑った顔と記憶に残るあの子の面影が、覆うべくもなく合致して。

「……名前……?」

恐る恐る、長年にわたり口に出すことを禁じていた名前を発せば彼女はにこりと微笑んだ。
「そんなに信じられない?」と、柔らかな声音で問いかけられて素直に頷く。
だって、まさか。転校してきた学園に幼い頃離別した幼なじみが待ち構えているとは誰も予想だにしないだろう。連絡先だって知らない。転居先さえ教えてもらえなかったのに、気まぐれな神のいたずらに言葉が出ない。
この口振りからすると名前は俺が転校して来ることを知っていたみたいだし、それはそれで不公平だ。
なのに狐につままれたような俺の顔を見て名前はやっぱり、とでも言いたげに笑っているから、俺は自身の体質のことを棚上げして、小さい頃から鬱積していた不満がまたちょっと膨らんだのを感じた。

「……なんで名前がここにいるんだよ」
「私もいろいろあってね。お世話になった叔母さんの家を離れて、今はこの学園の寮で暮らしてるんだ」

いろいろあって、と詳しい経緯を濁されたことに落胆した。もうなんでも話してくれるような関係では無いんだと、そんな瑣末なことを俺に知らしめたから。
もちろん問い質したい気持ちはあるけど、根掘り葉掘りと踏み込めそうな話ではなかった。だから俺はそっか、と返すのが精一杯で、それきり口を噤んで目を伏せた。

「……それにしてもずいぶんボロボロだね。遅いとは思ったけれど、何か事故にでも巻き込まれたの?」
「あ。あぁ……。痴漢に間違われたり、電車が脱輪して止まっちゃったり……して……」

通学途中に遭ったトラブルの数々を思い出すだけでも頭が痛くなってくる。実際に学園に到着する少し前、俺目掛けて飛んできた豪速球の野球ボールが側頭部に当たって、出来たばかりのたんこぶが痛むんだけど。
だが皮肉な事に遭遇した災難はそれだけじゃない。上述した出来事に加え、牙の鋭い野良犬に追い掛けられるわ、通勤ラッシュの人の波にもみくちゃにされて転ぶわで、精神的疲労も蓄積し、肉体にも新しい生傷が増えて。
あちこちで足止めをくらった結果、てっぺんで輝いていたお天道様も今はもう西に傾き、地平線の向こうに沈みかかっている。つまりは転校初日から大遅刻したのであった。

「……て、遅かったね、ってまさか……」
「ずっとここで祐喜の到着を待ってたんだよ。これでも私、生徒会長代理ですから」
「……ナルホド?」

生徒会長代理、とあまり耳馴染みしない役割を聞いて小首を傾げる。いったいどういった役目なのだろう?
いちいち転校生を出迎えて案内役をこなすのが彼女の仕事という事だろうか。
謎だ。と疑念を持て余していると、愛譚の生徒会長は忙しいからどうしても処理しきれない仕事がある。それを補うために代理という特別な役割を果たす枠が設けられたのだと名前は補足した。……普通そういうのって副会長がこなすんじゃないかと突っ込んだけど、副会長は特殊な人であまり表には出ないらしい。シャイか。
それならまぁ、確かにデカい学園だし、追いきれない仕事があっても仕方ないと頷ける。

「まあなんだ、立派な肩書きのように聞こえるけど要は表立った行動をする雑用係ってとこかな」
「そ、そうか……? ごめん、俺まさか、誰かが待っててくれるとは思わなくて」

これでも急いで来たんだけど……。となんだか言い訳がましくなってしまった。雑用係と開き直ったように明かす名前には面食らったけども、彼女がここで長時間待ちぼうけを食らっていたのは事実のようだし、俺がトラブル吸引体質である事は彼女も把握しているとは云え申し訳ない。
ああ、いつまで経っても俺は人様に迷惑をかけっぱなしで成長出来ていないままなんだと実感して、つきりと胸を刺す疼痛に俯いた。
すると、視界に収まった名前の靴が一歩前に出る。前に出たって事は、すなわち俺に近付いたって事で。
なんだろう、と下を向いたまま名前の動きに注意を寄せると、刹那、潮垂れた俺の背中に温かい感触が回った。

「言ったでしょ? また会えて嬉しいって。待つ時間も、なかなか悪くはなかったよ」

転校してくるって訊いてから、ずっと心待ちにしてたんだ。
そう嬉々として話す名前の声が俺の耳朶を直接打って、むず痒くなった。背中に回った腕にいっそう力が篭り、落ち込んだ子供を慰めるように項垂れた頭ごと抱き締められる。
結局強引ともとれる形で一足飛びに縮まったふたりの距離。真新しい制服越しに名前の感触と弾んだ気持ちがありありと伝わってきて、トクン、と心臓が跳ねた。

(──いまさら、なんなんだよ、)
されど嬉しい気持ちと、腹立たしい気持ち。
ふたつの相反する感情がせめぎあって、でもやっぱり許せなくて、裏切られたようなあの時の気持ちまで蘇ってきて。
こみ上げる感情がキャパを超えた時、気付けば俺は、俺を抱き締めるその身体を突き飛ばしていた。

「……っ!?」

目を見開く名前、自分がやった過ちに愕然とする俺。お互い何が起こったのだろうと事態を飲み込むまでに暫くの時間を費やして、だけど茫然と立ち尽くす名前の姿に(ああ、)と忸怩たる思いが胸を支配した。
子供の頃から積み重なった不服、苛立ち。それら負の感情が交錯し、混和して、怒りを助長してしまった。再会できた喜びよりも安堵よりも、憤りが上回ってしまった。

「……置いていったほうは、良いじゃないか。黙って追いて行かれたほうは、どんな思いで探しまわったと思ってるんだよ!!」

もうこうなりゃやけっぱちだ。自己嫌悪も名前の気持ちも差し置いて、鬱屈していた自分の本音を真っ向からぶつけた。
自分が女々しいことを言ってるなんて百も承知だ。挙げ句、利かん坊のように喚いてだんだん情けなくなってくる。けど、これが俺の本心なんだ。何ひとつ嘘なんて吐いてない。
だけど心なしか傷付いたような顔を見せる名前に言わなきゃよかったなんて慚悔の念が喉までせり上がってくるのも、時間の問題で。良い機会だから不満も鬱憤も全部彼女にぶち撒けてやろう、なんて愚劣な考えは直ぐに消えた。
軽率、だ。
泣きそうな顔をしている名前にたたみ込むような事、俺には出来ない。出来るわけがない。
先ほどとは打って変わって気詰まりすら感じる居心地の中、俺は静かに踵を返した。今のままじゃまたいつ名前に暴言を吐いてしまうか分からない。なら、

「……大声あげて、ごめん……。俺、叔父さんに挨拶しに行かないと」
「……うん。案内、するよ」
「いい。ひとりになりたいんだ。……ごめんな」

ひとまず離れるべきだと勘案して、その場からそそくさと逃げ出すように……いや、逃げたんだ、俺は。一瞬とはいえ頭に血が上った状態にしては、冷静な判断だと思う。
おそらく朝から待ってくれていたのだろう彼女の申し出を断るのはものすごく罪悪感があったけれど、これ以上不用意な発言で傷付けてしまうよりはずっとマシだと思ったんだ。

大人になりきれてない俺と。
変わらず無邪気なままの彼女。
俺はまだ、きっぱりとけじめをつけられていなかった。


「……やっちゃった……」

やっぱり無神経、だったかな。祐喜、怒ってたな。こうなる事はある程度予測していた筈なのに、想像するのと実際に体験するのとでは自身に跳ね返ってくる痛みが違う。
あんな風に拒絶されるくらいなら一歩なんて踏み出さなければ良かったと、いまさら後の祭りに苛まれる私はぬるくなったミルクティーにやっと口をつけた。

普段は絶妙な甘さにホッと一息付けるはずなのに、今日ばかりは気分が晴れない。それどころか少しでも気を緩めるとすごく苦しそうに歪んでいた祐喜の顔が想起されて、どんどん気持ちは沈んでゆく一方だ。
(───つらかったのは、私だって)
祐喜は私が何も思わずにあの町を離れたとでも思っているのだろうか。何も伝えられずに去ってしまったことを、後悔していないとでも思っているのだろうか。私はそこまで薄情な人間だと思われていたのか。遺憾ながら祐喜が思うほど割り切りのいいタイプじゃ無いぞ私は。
あんなに仲良く、ましてや姉弟のように幼少期を共に過ごした子を簡単に忘れられるほど私は、

「……祐喜のばぁか……」

変わってなんか、ないのに。

時の流れに逆らえず身体だけは立派に成長したけれど、心はあの日に置いてきたまま。どんなに泣きじゃくって暴れても、引きずられるようにして思い出の詰まったあの家を出て行った日から、私の中の時間は止まっている。
おばあちゃんが亡くなった後、引き取ってくれた叔母さん夫婦は本当に良くしてくれた。
「子供ができなかったから来てくれて嬉しい」と抱き締められた時は、写真でしか見たことのない母の面影を重ねて叔母さんの腕の中で声をあげて大泣きしたものだ。大好きな祐喜やおばあちゃんと引き換えに、得たものがあった。
けれどだからと言って、幼く未熟な心に刻まれた爪痕までもが癒えるわけでは無かったのだ。
たとえひとりぼっちになってしまっても、祐喜と一緒にいたかった。そんなの子供がどう足掻いても無理だという現実を知りながら、そう未練がましくも執念を抱くくらいには私は祐喜のことをかけがえない存在だと認めていた。
それは今も変わらない。
変わらないのに、祐喜は変わってしまったのだろうか。黙って去った私のことを、恨んでいるのだろうか。

「……あ……ひめさま?」
「……雪代?」

かすれた声で呼び掛けられ、ふっと深い思惟から呼び戻される。私を姫様なんて呼ぶのはあの獣基たちしか居ない。
ましてここは女子寮だから三人の中から更に特定した人物が絞られる訳で、私はろくに姿も確認しないまま、後ろに控えているだろう相手の名前を口に出すとともに振り向いた。
……目があった瞬間、何か用かと出かかっていた言葉を思わず飲み込んでしまうくらいぎょっとしてしまったけど。

「雪代……? その目、どうしたの……?!」

慌てて彼女に詰め寄れば、ぼうっとした様子で突っ立っていた雪代は我に返って、多分、咄嗟にだろう。ほのかに赤くなっている目元を自身の指先でなぞった。
なぞるってことは、心当たりがあるってことだ。でもこの子は慎み深い性格で、私には心配を掛けさせまいとやけに意固地だから、目元が赤い理由を素直に話してくれる筈もなく。

「姫様がお気になされる程のことでは御座いませんわ。お見苦しい姿をご尊前に晒してしまい申し訳ありません……!」
「いや、あの……謙遜しすぎ……」

かえって恐縮されて深深と頭を下げられる始末である。もうちょっとこう、咲羽みたいにフランクに接してくれれば私も気楽なんだけど。……ご尊前なんて初めて聞いたぞ……。
なにはともあれ、そんな慇懃な言葉でこのまま理由をはぐらかされてしまうのは釈然としない。
そりゃあ雪代にだって話したくないことの一つや二つあるだろうし、私も普通なら無理に聞き出そうとはしないけど。
だけど今回は私にだって思い当たるふしがあるんだ、見過ごせはしない。

「祐喜となにかあった?」
「!」

まどろっこしい前振りはなしで、ずばりと突き詰めれば雪代は息を飲んで固まった。
私と同じく、祐喜の叔父さん──もとい、咲羽の従兄弟でもある高円寺先生から祐喜が転校してくると事前に訊いていた獣基三人は、今日あの後に彼と会ったのだろう。
守るべき主人との、今生での邂逅。
それは想像するだけでも魂の震えを呼び覚ますものだと雅彦は涙ぐんでいたけれど……。私にはどうも、雪代が涙を流した理由が雅彦と同じ感涙のものだとは思えなかった。
「雪代、」
ゆっくりでもいい。言いたくないことは端折っても構わないから、話して?
そう雪代の意に寄り添うように諭せば、彼女は瞳を伏せて口を結び、やがて決心したかのように顔を上げて頷いた。

彼らの初対面は、祐喜が高円寺先生と合流した後らしい。
さんざ災難に巻き込まれた後だと云うのに、鳴りを潜めることなくトラブルは祐喜の元に引き寄せられて、今度は割れた窓ガラスの破片となって彼に降りかかった。
──ところに、ヒロインを守るヒーロー登場。ではなく。雪代が登場。間一髪で祐喜の代わりにガラス破片のシャワーを浴びて、祐喜は無傷で済んだという。

いったん話の腰を折ることは憚られたが、「怪我は大丈夫?」と念のため問い掛ける。そしたら雪代は「獣基は傷の治りが早いですから」と控えめに微笑んだ。
つまりもう治癒したのだとその言葉の含みから汲んで、なんとも言えない気持ちになる。雪代も含め、獣基たちは主人の為ならば身を投げ打ってでも、ってもの凄い気迫を感じる時があるから、少し……いや、かなり心配。
けど私がどうこう口出ししたところでいまさら矯正されるものでも無いだろう。彼女らにとってはそれが″当然″なのだ。誰に言われたでもなく、己の中に流れる血が「そうしろ」と強制する。謂わば、本能も同然なのだ。
何も出来ないのが歯痒いが、彼女にも獣基としてのプライドがある。私があまりしつこく聞けば、雪代には「この程度のことで負傷など、」と責められてる気分になるかもしれない。私に出来る唯一の事は、怪我の件はあまり掘り下げずに話を聞くことだけだった。

なのでその話題は早々に打ち切り、″我が君″の話題に話を戻す。その後、職員室前で話を終えた三人は屋上に祐喜を導き、常に携帯している桃太郎の絵本を読み聞かせたという。
……なんで高校生にもなって有名な童話を聞かされなきゃならないと祐喜は憤慨しそうだな。光景が目に浮かぶようだ。
付け加えて、祐喜自身がその桃太郎の生まれ変わりなのだとカミングアウトされれば驚くことは違いない。ま、その話をすんなりと飲み込むか否かは祐喜次第だけど。
でも雪代の落ち込んだ様子を見る限り、いい返事は貰えなかったんだろう事が窺える。

「………上手くいかないね、」

人のこころってやつは。ペットボトルの口に触れながら、自分でも無意識に零した一言。
憔悴した顔の雪代は私が意味深に呟いた言葉に、何か言葉を探すよう視線を泳がせたあと「ひめさまは、」と口を開く。蚊の鳴くような頼りない声。
無二の存在に撥ね付けられて弱っているのはきっと、この場にいるふたりともだ。

「姫様は、我が君と会われて、どう思われましたか?」
「どうって?」
「……わたくしは、我が君と会い見えるのは初めてのことでしたから……」

 我が君との距離感が、解らないのです。

「……」

この学園に来てから驚き尽くしで、まだ右も左もよく分かっていない祐喜と、幼少の頃からずっと″我が君″へと心を焦がしていた雪代たち。それぞれ四人の温度差は、それはもう筆舌に尽くしがたいものだったろう。
雪代たちは我が君との出会いを何度も、何度も頭の中で細かくシミュレーションしてきたのだと思う。桃太郎の生まれ変わりがどのような人間でも、獣基である彼らにとっては仕えるべき主人だ。憧れであり、自身の光である存在だ。
だからこそ、実際に祐喜と対面して雪代は戸惑いが勝ってしまったのだろう。
幾重にもパターンを連ねてシミュレーションしたは良いものの、認めて貰えなかったときの事までは想定していなかったのだ。微かに拒まれる予感はあったかもしれない。だけど根が真面目な彼女は、自身の「我が君を守りたい」という気持ちまで笑われてしまったんだと思い込んでショックが強かったのではないかと心中察する。
しかし、軽くあしらわれたからと言って祐喜をひとりで野放しにするのは危険だ。今後のことをきちんと踏まえた上で、雪代はショックを引きずらずに(立ち直ったとは言ってない)私に意見を尋ねてきたのだろう。
けれど、私は。
私も、怒られてしまったから。

「……ごめん。その問いに対する答えは、私も持ってないよ」

瞳を伏せて告げた言葉に、まさか雪代はそう返されるとは思っていなかったのだろう。瞳を大きく見開いて、視線を下ろした私を見つめた。
気まずい沈黙が下りる。
結局、私はその日、自分の部屋に戻るまで顔を上げることは出来なかった。
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