「……いたい……」

またひとり、友達が減った。原因は祐喜の難儀な体質に引き寄せられたトラブルによる、車との接触事故だった。
幸い祐喜と、祐喜とともにいた友人は軽傷で済んだ。
しかし友人の母親は良い顔をせず、祐喜も負傷しているというのに「疫病神!」と鬼のような顔で彼を糾弾したのだ。
痛い、と祐喜は繰り返し言った。
手のひらやひざ小僧に滲みる擦り傷が、地面に強かに打ちつけた後頭部が、忌避の眼差しと罵声を受け止めた胸の奥が、鈍く痛んだ。「疫病神」、だなんて。幼い祐喜にはその母親が言った言葉の意味がよく理解できなかったけれど、良くない事だというのは、幼心ながら分かった。

────近所の人々は蛇蝎の如く、不運を背負う不気味な少年を嫌っていた。
大人たちにとって祐喜という存在は、厄の塊が足を生やして町内を練り歩いているようなものだ。いつ自分にもその火の粉が降りかかる事か。考えるだけでも恐ろしいのに、その災禍の切っ先が自身の家族を脅かしたのなら。
災いに好かれる少年に、大切なものを傷付けられた人間の怒りが向くのは、最早やむを得ない事と言えるだろう。
大事なものが傷付けられた時、場合によっては自分が傷付いた時よりも怒りがこみ上げる事がある。例え不慮の事故だったとしても、この町には祐喜という″異質″な子供がいた。
町内で起こる不可解な事故や事件は全てあいつが居るせいだと、大人たちはそうやって持て余した憤りを幼い祐喜相手にぶつけたのだ。


「なんだい、祐喜。今日はいつもより酷い有様さねぇ」
「わ、お顔まっさお」

つねづね大人たちの重圧に押しつぶされそうな祐喜だったが、そんな彼にも心の拠り所といえる居場所があった。それが、幼馴染みである名前と、名前の祖母が住む平屋の家。
昔馴染みの古風な一軒家だった。毎日決まった時間に焚かれる線香の香りが家中に染み付いていて、その香りを嗅ぐたびに祐喜は安らぎというものを体感出来た。孤独に耐え切れない時は、自ずとここに足を運ぶようになっていた。
糾弾された後に訪れて、窓が開いていたから縁側に回って出迎えを受けた時も、普段と変わらずのほほんとした二人の声に、どうしようもなく泣きたくなった。もうここに自分を脅かす者は居ない。そう安心したら張り詰めた糸が緩んで、嗚咽をこぼして泣き散らしてしまいたかった。

──大人たちにとっての脅威が祐喜ならば、祐喜にとっての脅威は大人たちだったのだ。
このように身を隠せるような所に居なければ四六時中、針の筵に晒されたようで心が休まる時間などない。それは今が遊び盛りの子供にとって、非常に過酷な環境であった。

「よしよし、よく来たね。名前、傷の手当てしてあげな」
「ん」

えらく落ち込んでいる祐喜が祖母に慰められている間、名前はそう言われるのを分かっていたように素早く応急箱を取り出した。家に来る道中、つまづいて転んでしまった所為で汚れた服をついでにと脱がされ、それを受け取った名前の祖母が洗濯機を回しに行く。その片や消毒液に、コットン、絆創膏。慣れた手つきで手配を整える名前の姿をぼんやりと眺めながら、祐喜は我知らず、ぽつり。
「なんか、ごめん」
と、要領を得ない謝罪を口にしていた。

「あやまるようなことしたの?」
「おれはしてない」
「なら、あやまらないの」
「ん……」

しかし依然として悄げた面持ちの幼馴染みを見て、名前は思いっきりため息を吐いたあと、消毒液を多分に含ませたコットンを出来たばかりの生傷に押し当てた。瞬間、祐喜の口からは声にならない悲鳴が上がる。じわりと冷たい液体が傷口に滲み込む感覚が痛いわびっくりしたわで、危うく後ろにひっくり返るところだった。

「〜〜っ、なにすんだよ!」
「こうでもしないと、祐喜はまたごめんって言いそうだからな〜」

痛みに悶える祐喜とは裏腹に、悪びれもしない名前はあっさりと宣った。乱暴に押し当てたコットンをゴミ箱に捨てて、また新しいコットンに消毒液を染み込ませて傷口にあてる。今度は刺激しないように、そっと、優しく触れさせた。
傷口の周りに付着していた砂を綺麗に拭き取ったところで消毒も完了し、さほど大きくのない擦り傷に絆創膏を貼って手当ては終了。ムッスーと膨れている祐喜は後で宥めようと腹積もりし、せっせと使った道具を片していた名前だが、

「!」

来る、と思った瞬間、
勢いを殺さぬサッカーボールが窓ガラスを突き破り、名前は反射的に祐喜の身体に覆いかぶさっていた。


「──……っ?」

なにが起こったのか、祐喜は暫し状況が理解できなかった。
パリン、パリン、と割れたところからなし崩しに綻びはじめるガラス。上半身に感じる重み。
頭部は名前の腕によってしっかり抱きこまれていて、祐喜視点から見えるのは彼女の肩と木目調の天井だけ。けれど、名前の祖母が物音に気付いて駆け込んできた音で我を取り戻し、祐喜は慌てて名前の下から抜けようと身じろいだ。
直ぐさま祖母にも手伝ってもらい、大人の手が加わったことで思ったよりも簡単に抜け出せる。
が、名前は目を開けず、動きもせず。ころん、と祐喜が下から抜け出した勢みで横に転がった。

「名前!」
「名前っ」

祐喜は血の気の失せた名前の頬を軽く叩いた。怪我したような形跡は見当たらない。どこにも異常は見られないのに何で目を覚まさないのか、祐喜は一分一秒も焦れったくて仕方なかった。でも自分の体質のことを顧みれば、もしかしたらこれもトラブルの内なのかもしれないと考えた。
異様な焦りに苛まれて、だけど、どうすればいいか分からなくて、祐喜がいよいよ泣きそうになっていると「大丈夫」と力強い声が隣から聞こえる。
言わずもがな、名前の祖母だった。

「ばあちゃん……?」
「見てな」

くい、と顎で名前の方向を示されて、言われた通り視線をやった。すると閉ざされたままピクリとも動かなかった目蓋が震えて、ゆうるりとその奥から瞳を覗かせる。
まるで計り合わせたようなタイミングに言葉を失って、祐喜が呆然としながら事の成り行きを見守っていると、覚醒した様子の名前は眉を顰めて眩しそうに目を細めた。

「祐喜……? けが、ない?」 
「………名前っ!!」
「うっ!」

腹に飛び込むように抱き着かれて、目を覚ましたばかりだというのに名前は衝撃でえずく羽目になった。
早く離れて吐く、と名前の切羽詰まった訴えに祐喜は急いで離れ、くっくっと声を押し殺して笑う祖母の様子に恥ずかしそうに縮こまる。
どうやら彼女はサッカーボールが頭頂部に当たり、僅かばかり気を失っていたようだった。あの勢いのままボールが名前に直撃していたら救急車騒ぎとなっていただろうが、難を逃れたことに、頭部に当たる前に一度壁にバウンドして速度が削られていたため大事には至らなかった。

「……おれが、いたから……」

名前が庇わなければ、ボールは祐喜に当たっていただろう。もしかしたら壁にバウンドもせず、直撃していたかもしれない。そもそもサッカーボールが家の中にまで飛んでくること自体、奇っ怪な現象だ。この家の敷地内には高い塀もあるのに、そちらには掠りもせず直接屋内へ飛び込んでくるなんて、と俄かには信じがたい気持ちだった。でも一方で、今までの経験を鑑みるとあり得なくは無いとも推量した。

近所の大人たちはみな口を揃えて「お前のせいだ」と祐喜を弁難するから、祐喜もいつしか事故が起きるとたびたび「自分のせいだ」と決めてかかるようになった。刷り込まれていった。名前と祖母がどんな言葉で元気付けようと声をかけても、祐喜の深部にまで根付いてしまった固着観念は改められることが無かった。
きっと、その憎らしい体質が改善するまでは一生、強迫を伴った罪悪感に縛られて生きるのだろう。

「……」

ゴッ!と音が鳴った。それは祖母にも聞こえたかもしれないし、或いは自分の頭の中だけで響いた打撃音かもしれない。遅れてやってきた額の痛みに、ようやく祐喜は自分が名前に頭突きされたんだと認知したけれど、おとなしく口を結んだ。文句のひとつやふたつ言いたかったが、名前の凄味を帯びた表情に物怖じしてしまった。

「こんなせまいとこでサッカーボールなんてけってるヤツがわるいに決まってるでしょ」
「でも! おれは、やくびょうがみだから……」
「……なにそれ?」

自分で言ってめげた祐喜の様相に、名前はそれが祐喜自身を貶す言葉だとは分からず小首を傾げた。
会話のやり取りを一部始終聞いていた祖母に意味を問おうとしたが、祖母は神妙な面持ちでかぶりを振る。この状況で二度もその言葉を放つのは、今の祐喜にとって酷なことだ。けれどひとりキョトンとしていた名前は、予想の斜め上を行く言葉を祐喜に陳じて驚きを齎した。

「祐喜はニンゲンなんだから、カミサマなわけないじゃん」

それともカミサマになりたいの?、と彼女は訝しげに首を傾げた。真っ直ぐな瞳を前にして、祐喜はふるふると首を横に振る。
ヤクビョウガミでも、ましてやカミサマになりたいわけでも無い。自分は、桃園祐喜という人間は。

「おれは、なんだろう……?」
「わたしのともだちでしょ」
「……なげやりにすんなよっ」

彼女の、苗字名前のトモダチでありたいと、この時そう痛切に願ったのだ。
名前にとっての祐喜はトモダチ、または幼馴染みという概念しか無かった。周りの大人たちのように難しいことを考える脳はまだ無かったから、たとえ弊害が自分に及んだとしても祐喜が悪いとは微塵も思っちゃいなかった。
だから、大丈夫。
そう信じてくれる名前の存在があれば、自分は強く在れると思った。自分も名前を信じて、彼女のトモダチとして誇らしく居られるように努力しようと思った。
彼女がいれば、自分は″疫病神″などでは無く″人間″で居られるのだから──。


「 っ、」

ヒュッと息を飲む音が聞こえて、それから様々な音がクリアになる。乱れた心拍音、ぜえぜえと荒れた呼吸、耳の奥でトライアングルでも鳴らされたかのような高い耳鳴り。主に身の回りの変化を指していたが、それが夢から覚めたことを如実に表していて、祐喜は蟀谷に滲んだ汗を拭った。
寝苦しい、夢だった。
苦しいばかりの夢では無かったけれど、往時の回顧を促すための引き金になるには十分だった。お陰様で思い出さなくても良いことまで思い出してしまって、きりりと胸が痛み出す。
こんな懐かしい夢を頻りに見るようになったのは、名前と気まずい再会を果たしてからだ。

──結局、あれから数日という日数が経過したものの、祐喜は名前に顔向けが出来ず会いに行けないままでいた。
彼女と別れた後もいろいろ遭ったから、というのも理由の一端にあるが、それはつまるところ祐喜側の言い訳でしか無い。転校初日から発生した問題は″彼ら″のおかげで早期解決(但しまだまだ前途多難)に至ったのだから、短い休憩時間でも会いに行こうと発起すれば会いに行けた。ただ、「半日おけば……いや、もう少し経ってから……」と対面を先延ばしにした結果が、これだ。
時間がどうにかしてくれるんじゃないか、もしくは名前のほうから会いに来てくれるんじゃないか、なんて考えはやはり空頼みに過ぎなかったのだと、祐喜は自身の不徳の致すところ招いた事態に頭を抱えた。
(突き放したのは、自分なのに)

「相談、してみるか……」

彼らなら。部下では無く、新たに友達として手を差し伸べてくれた三基なら、いつまでもなよなよとした自分を叱咤してくれるかもしれない。
そう思い立って、祐喜は登校し、昼休みに先日攻略した赤鬼──紅を含めた四人に事情を打ち明けた。名前の名前を出しても彼らには分からないだろうし、雅彦が「祐喜殿をこんなに思い悩ませるとは……! 許せーん!」なんて吠えかねなかったので敢えて伏せて、昔の話を掻い摘んで話す。
途中で笑い出してしまうような話や、今更ながら理不尽だと感じてつい拗ねてしまうような話。
本筋から逸れた話も蛇足的に加えて一顰一笑しているうちに、強張りが解けていたらしい。
気づいた時には、隣に腰掛けていた紅が微笑みながら祐喜の顔を覗き込んでいた。

「桃君、その子のこと本当に大好きなんだね」
「えっ?」
「表情がとてもお優しいですわ」

と、鼻血を零しながら雪代も紅に同調。雅彦は悔しそうに箸をガリガリと齧っている。普段こそ理知的であれ「我が君」のことに関すると嫉妬深い犬であった。咲羽は咲羽で、雪代曰わく「優しい顔」の祐喜をカメラに収めて満足気味。
そうとは知らず、紅の言葉に先ほどのような活気が失せた祐喜は翳を帯びた瞳を伏せた。

「……うん……。でも、あっちはオレの事どう思ってるんだろう……」
「……どう、とは?」
「ちっちゃい頃に別れたきりだったからさ。名前はもう、オレの事なんて……」

友達とは思っていないんじゃないか。言葉尻が近付くにつれて窄んでいった声だったが、それでも教室の喧騒に掻き消されることは無く、雪代たちの耳にきちんと届いた。
「名前」────その名を持つ人物を、彼ら獣基は知っていた。知り過ぎていた。みな一様に顔を見合わせ、そして強い意志を宿した眼差しで三基が頷く。
凛とした声で、けれどどこか躊躇うように口火を切ったのは

「それは違います、祐喜様」

雪代だった。二日前の夜、名前と向き合って語らった彼女だからこそ、「それはあり得ない」と道破できた。
だが祐喜は、まさか雪代と名前が既に知り合っているとは思わず「何でそう言い切れるんだよ」と睨め付ける。その姿はまるで自身の殻に閉じこもった頑固者のようで、雪代たちが何を言っても簡単には揺るぎそうになかった。
さすがに尖った彼の視線には怯んだ雪代の代わりに、ため息を吐いた咲羽が意固地な主人の額に痛烈なデコピンをかます。雪代を責めるな、という意と、話を聞く気があるなら初っ端から斜めに構えるな、という両方の意を込めて。

「っつ〜……」
「オレらだって長い間、姫とは付き合いがあるから分かるモンは分かるんだよ」
「……は? ひめ……?」

……って、だれ?
ポカン、とした様子で聞き返す祐喜に、(毒気が抜けたな)と咲羽もひと安心して雅彦に目配せする。どうやら説明は任せた、という事らしい。相も変わらず形式染みたことは人任せだと咲羽の性分に内心呆れつつ、雅彦は眼鏡のブリッジを上げて役を引き受けた。

「苗字名前様。彼女は私、犬飼雅彦の親族であり、前世は桃太郎──退鬼師の姉姫様──つまり、ボクらと同じく転生組なのです」
「  えっ?」
「! あの娘も生まれ変わってるの!?」

頭を鈍器で殴られたような衝撃が祐喜に見舞う中、傍らの紅がガタッと席を立ち、頬を紅潮させ興奮した面差しで雅彦に詰め寄る。ただでさえ雅彦の説明がするりと飲み込めないのに、紅の反応で祐喜はよりいっそう混乱に貶められた。
(……みんな、名前を知ってるのか?)
それも、彼が思わぬ形で。
雪代と名前は、女子寮暮らしでひとつ屋根の下に居るから面識があるというのは分かる。
そうでなくても雅彦と名前は親族……いわゆる従兄妹同士で、雅彦繋がりで咲羽と雪代とも顔を合わせていたというのも、百歩譲って理解したとしよう。
しかし、紅は? 彼は名前が転生していると驚いていた。名前という人物とはまだ面識が無いにしても、″知っている″ような口振りだった。
そう、雅彦の話を信じるならば、″前の彼女″を──。

「っな、なぁっ! 何で紅は名前のことを知ってるんだ? まさか俺みたいに……っ」
「………桃君。」
「 お前が考えてる通りだよ、祐喜」

名前にも、呪いがかかってる。そう咲羽が告げた真実に祐喜はつかの間、茫然自失とした。
現実は思いのほか無慈悲だった。どんなに事実を否定したくとも、そんなの嘘だとネタ明かしを要求しても、返ってくる言葉は肯定ばかり。雪代も、雅彦も、──そして紅も。みな口を結んで縋るような目つきの祐喜から目を逸らした。
ただひとり、咲羽だけは彼をじっと見つめている。

「……桃太郎の話には……桃太郎の姉なんて存在、欠片も見当たらなかったじゃないか……。そうだよ、なのに何で呪いなんて!」
「……鬼ヶ島に住む鬼に苦しめられていた人々。その中には、姉姫様も含まれておりました。欠片も存在しなかったのではありません、″その他大勢″に区分されてしまったのです」

彼女の存在は、「桃太郎」の登場人物として登場するにはあまりにも影響力の無いちっぽけな存在だった。
桃太郎──否、退鬼師とは実の姉弟のように育ったけれど、それだけ。おばあさんのように桃を拾ったわけでも無く、おじいさんのように桃を割ったわけでも無い。
物語に載せなくても話の進行に支障は無いと見做され、存在そのものを省略されたのだ。

「悪い鬼は、人を連れ去ったり、人の大切なものを奪ったりしていた」。この一文にある連れ去られた人、とは多数居るわけだが、その中には退鬼師の姉君も含まれていた。
彼女はおじいさんとおばあさんに大層可愛がられていた。蝶よ花よと育てられていた彼女は、翁たちにとっての宝物だった。鬼は、文字通りふたりから「大切なものを奪っていった」のだ。そんな経緯があって、桃太郎はおじいさんとおばあさん、そして村の人々を悲しませた悪い鬼を懲らしめに鬼ヶ島へ行き、そこで姉姫もろとも呪いを施された──というのが、真相の顛末である。

「ってことは、このまま呪いを解かなければ名前も、オレと同じく十八歳で……?」
「いいえ」

恐る恐る、といった声音に雪代はハッキリと否定してかぶりを振る。この件に関しては申のほうが識っている。
そう計らって雪代は咲羽を一瞥するが、彼は限りなく無表情で感情の起伏が読めない。戌や雉よりも膨大な記憶を有する彼だからこそ、口にはし難いものもあるのだろう。
意を決して、雪代が詳細を口述した。

「姫様の場合、十八歳というのはあくまで目安……。姫様の御心次第でリミットが縮まったり、長引いたりする前例があると訊いています」
「縮まったり長引いたり……? それは、いったいどういう……」
「それが、原因は未だ我らにも分からず仕舞いなのです。一番手っ取り早いのは、そこにいる赤鬼が吐いてくれる事なんですけどねェ……?」
「う゛っ」

ムリムリ!と青ざめた顔で千切れんばかりに首を振る紅に、雅彦が青筋を浮かべる。
どうやら鬼の間には血の呪縛というものが有るらしく、他の仲間や呪いの情報に関してはいっさい口外出来ないらしい。「使えない鬼ですな、まったく!」とぷりぷり怒っている雅彦に対し、祐喜は名前のリミットが不安定という事が気掛かりだった。

「名前の呪いも、命に関わるのか……?」

こればっかりは、肯定するのも否定するのも憚られて口を噤んだ。その問いに対する答えは、実のところ獣基たちも良く分かっていないからだ。
否定したって、気休めにしかならない。肯定すれば、祐喜の不安と焦燥をより煽るだけ。なにより彼らにとって、主であるふたりの「死」を連想させるワードは禁句であった。

「……少なくとも、姫のこれまでの生き方を丸ごと覆しちまうってことは、確かだ」

呪いは祐喜にとっても、名前本人にとっても悪い方向に賽を転がすだろう。抑揚のない声で言い放った咲羽の表情を見た瞬間、祐喜は寒くもないのに背筋がゾッとした。
──緋く、ガラス玉のような瞳の奥にはほの暗い光が澱んでいた。魅入っていたら、それこそ深くまで搦め捕られるような。そんな静かな危うさを、咲羽は瞳の奥に秘めていた。
彼から醸し出される物々しい雰囲気に祐喜が息を飲む。すると面々に緊張が伝播したことが伝わったのだろうか、咲羽は瞬きひとつの合間にケロリと何食わぬ顔で紅の肩を鷲掴み、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。

「つーことで、放課後付き合えよ? 赤鬼さん」
「え。……え?」
「死ぬほど歩かせてやるからな」
「えー!!」
「もちろん祐喜もだから」
「オレもっ?!」

今度はやだやだと半ベソかきながら喚く紅の傍で、変わり身の早さに唖然としていた祐喜にも咲羽の薄ら笑いが飛び火した。「うだうだ考えてたってしゃあねえだろ?」。その言葉に、いい加減名前から逃げるなと言われている気がした。
呪いの話にすっかり気を取られていたが、彼女とはあの日喧嘩別れしたまま。
改まって対面するのは久し振りで、また緊張がぶり返してきたが……。名前のリミットの事もあり、気まずいなんて言っていられない状況に腹を括って、祐喜は咲羽に頷き返した。
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