一方ならず張り詰めた空気が満ち満ちているZの円卓。薄暗い照明灯と巨大スクリーンで薄ぼんやりと足場が照らされている空間の中央に、男たちふたりは粛然として立っていた。彼らは己の身長を優に超えた位置に現れた立体映像ホログラフィーを見上げ、このあと吐き捨てられるであろう指弾の言葉を心して待つ。

「前代未聞の失態だぞ」

 非情に重々しい口調で上層部のひとり、マクノベが口火を切った。シルエットで姿こそ映し出されるもの、光の反照によりその表情を窺い知ることはできない。

「カラスナで無差別に人間を襲い、血に狂った能力者を見つけ、一撃で仕留められたその手管は流石と称えておこう。……しかし仕留める際に一般人が近くにいたことにも気付かず、あまつさえ能力者の血飛沫まで浴びせてしまうとは……貳號艇長の目も曇りましたかな?」
「……返す言葉も御座いません」

 露骨な皮肉、されど当を得た論難に名指しされた貳號艇長、平門は瞑目する。マクノベが口にしたことは全て事実だ。弁解の余地も無いし、仮に機会を与えられたとしても、一般人を『人ならざる者』との戦闘に巻き込んでしまった至らなさに申し開きする気も起きない。例え場に居合わせていた不幸な少女が、能力者に的を絞られて狙われていたレアな案件ケースだったとしても、だ。
 一般人が路上で襲われる寸前に駆けつけ、能力者の体液の一滴すら漏らさず葬送した事例は、平門も数えきれないほど場数を踏んできたはずなのに。──失態。マクノベが述べた一語が露悪的に脳内で繰り返される。
 瞼の裏には、ドロリとした血液を小さな身体に万斛に浴びた少女の風姿が蘇る。平門が上層部から糾弾される事訳となったその幼い被害者は、能力者の体液が体内に侵入しているかもしれない危険性を挙げられてすぐさま審判塔に隔離された。
 もし能力者の細胞があの短躯を既に冒してしまっていたら、そしてその状態で外へ野放しにして自我を失ってしまったら、それこそ取り返しのつかない事態に発展する。
 子供だろうが大人だろうが関係ない。『被害者』が『加害者』になる前に、不穏分子は速やかに外界から切り離して民の安泰を優先するべきだと、そう上層部は冷静かつ冷淡な決断を下した。

「……しっかし失態って言ったって、まだその子供が昇能者になるって決まったワケじゃねーだろ? 燭ちゃんの検査結果も出てねぇのに、今そんなことゴチャゴチャ言われてもなぁ」
「我々の話を聞いていなかったのか、朔。不安の種は早期に摘んでおくことが何よりの万全策になると、最前線に出ているお前も嫌というほど知了しているだろう」
「そりゃそうですが」

 被害が拡大してから動いたのでは我々『輪』の名折れに繋がる。
 巻き込まれた少女の心よりも、あくまで自分たちの面子を守ろうとする上層部連中の有様にもうひとりの男、朔は肩を竦めた。
 個より全を取る発言をしておきながら、上が何よりもこだわっているのは己自身──個の沽券。発言から透けて見える酷い矛盾と正義の皮をかぶった虚栄心がちゃんちゃら可笑しくて、今なら臍で茶が沸かせそうだ。……が、朔は現状、情を挟む潮流ではないことも痛いくらい理解していた。
 良心と諦念がせめぎ合い、尖りつつある気を宥めようと深く腹から息を出す。当分はあの少女を審判搭という名の檻に閉じ込めておくつもりだろうと僅かにちりついた苛立ちも忍ばせて、横で反論もせず黙りこくる同僚を一瞥した。

(……こっちも相変わらずなに考えてんだか)

 腹に一物を抱えてるこの男がこれほどまでに静かなことは少し不気味だ。奇妙、と言っても良いだろう。まず第一に彼は成り行き上、未来のある少女の希望を奪ってしまった一事にとんでもない罪悪を感じるような殊勝な人間ではない。
 特殊な細胞を埋め込まれ変貌した人間は、今まで子供だろうと無慈悲にその命を刈り取ってきたのだから、巻き込まれたあの少女が昇能者になったとしても今さら躊躇うことも無いだろう。冷酷とも捉えられるが、情に絆されてしまえばもっと多くの命が奪われる懸念もある。最前線で国の駒として戦ってきた過程で、人が消えて亡国となった景色の惨さも目の当たりにしている彼らは、不穏分子を看過することによって惹起されるあらゆるリスクをいっそう強く憂慮していた。
 生命の尊厳を傷つける行為は、人を破滅に導く。その脅威を隅々までしゃぶり尽くしたが故に彼らは情けを持たず、変異した人間の背後に隠れた『火不火』の存在を憎みながら、変異を齎す種子を容赦なく断罪する。
 だがしかし今回は平門の見落としが招いた結果だ。多少なりとも少女に思うところはあるのかもしれないと平門の心中を忖度しつつ、朔は目の前のスクリーンを見上げる。
 哀調を帯びた金色の双眸の先には、『輪』の統括指揮官として上層部に名を連ねる男がいた。

「時辰」
「……どうしたんだい、壱號艇長」

 プライベートで話しかける時と変わらない態度で、朔は指揮官に──時辰に向かって声を掛けた。やや間があって返ってきた声は微かにノイズがかっていたが、一連の話は聞いていたようだ。
 固くも柔らかくもない、機微の読み取りづらい時辰の声色に、されど朔は怯まずニッと口角を上げて軽い調子で言い放つ。

「ちょいと会議抜け出してもいいか? ついでにこいつも一緒に、な」
「朔!? 先ほどから巫山戯た戯言を吐かすな! だいたいここにお前たちを呼んだのは貳號艇長の処罰を決めるためで──!」
「構わないよ。行っておいで」

 真摯に取り組む気のない朔に業を煮やした上層部のひとりが語気を荒げたが、癇走ったその声を遮ったのはまさかの承諾の言葉。
「時辰様!?」とひっくり返ったような声をあげたのは誰だったか。どよめく周りの雑言を意に介した風もなく、言質を表白した時辰は余裕然とした佇まいで微笑を唇に漂わせた。

「貳號艇長」
「はい」
「一度、その少女に会って話をしてみるといい。合間にその子の分析はこちらで済ませておく」

 そう告げた彼の思惑は何なのか。この局面で少女に会う益はあるのか。さしもの平門にも意図が掴めなかった。ただ有無を言わせない言い回しから感取できたのは、これは『提案』なんて生温い指顧ではなく、『統括指揮官からの命令』なのだという純然たる旗幟。証左として、今の時辰に楯突く者は誰ひとりとして居ない。つまり自分が断る選択肢は用意されていないのだと平門は悟って、「……御意」と素直に従う意向を示した。
 行ってくれと時辰の声に促されたふたりは恭しく頭を下げ、後ろ髪を引かれる様子もなく退室していく。彼らの背中が扉の向こうへ消えて円卓が上層部の面々だけとなると、途端に場は騒然となった。納得がいかない、なぜあのような聴許を、万が一にも情が芽生えたらどう責任を取るおつもりだ。口々に時辰を批難して不満を吠えるお偉方。
 ──耳が痛い話だよ、まったく。
 円卓と繋がっている鏡に触れながら苦笑した時辰は、オフレコでため息を吐いた後に大きく息を吸い込んだ。発した開陳は堂々たる断言。

「問題ありません。万一の場合があっても、彼は徹頭徹尾ブレないでしょうから」

 僕の弟をあまり見縊ってくれるなという不敵な自信も込めて、時辰は平門が見ていたら殺意が誘発されたかもしれない笑顔でそう宣った。



「朔、」
「んー?」
「お前はどういった訳で俺をあそこから連れ出そうとした?」

 審判塔の受付に向かって歩を進めながら、話しかけられた朔は隣を歩く平門の横顔を一瞥した。同性として嫌味なくらい整っている顔。その表情は不機嫌なようにも無感情なようにも窺えて、彼の明確な真意は推し量れそうにない。
 けれど、まあ。朔の見解は当たらずとも遠からずだろう。一線を引いている兄──時辰からの、本旨がいっこうに見えない沙汰。それは少女を尋問してこいという意なのか、異変はあるか自分の目で見極めてこいという意なのか。
 平門は今だ分からずして時辰の腹蔵を看破することができていなかった。このままでは兄の手のひらの上で転がされているような心地がして釈然としないのだろう。だから機嫌は緩やかに斜めへ上昇中でもあるし、鬱勃とした怒気を押し殺そうとするあまり感情そのものを消している様子でもあった。

 触れぬ平門に雷なし。迂闊なことを口走れば殺気立ちそうな同僚に辟易しつつ、朔は「俺はあんな息苦しい空間から退散したかっただけだって」と言い抜けを図る。時辰のように裏を含んで上に交渉したわけじゃない、という釈明だ。
 そりゃあ朔は指揮官殿に言われなくとも後で被害者のもとに顔を出す心積もりではいたが、それはあくまでひとりでの予定だ。平門を誘うつもりは露ほどもなかった。
「……お前に訊いた俺が愚かだった」あからさまに悩ましい表情を作って憎まれ口を叩く平門。さらっと毒づかれても朔はけたけたと笑い声を上げて、お構い無しに頭を抱える彼の肩を組んだ。

「ま、こんなとこで奴の考えを推測したって時間の空費だろうよ。隔離されてるお嬢ちゃんの所に行けば、ヒントが見つかるかも知れないぜ?」
「……アレの胸算通りだったら腹立たしいこと、この上ないが……」

 肩に乗った朔の腕を煩わしそうに除けて嘆息を吐く。脳裏に過ぎるのは、やはり恐怖に満ち満ちたあの少女の顔。
 遅かれ早かれ平門は、少女と顔をあわせなければならなかったのだ。こうなってしまった以上は腹を括って、検査の結果がどう転がろうとも、ここにいる間は自分が少女を看てやらねばなるまいと義務感が意識にのぼっていた。
 たとえ少女が怨情を抱いて、その感情の切っ先が自身に向けられることになろうとも。平門は彼女から、目を背けるつもりは微塵もなかった。

「覚悟はできてるか?」
「怨嗟の言葉を浴びせられることは慣れてる。気にするな」
「……わぁったよ」

 茶化すように言っても、返って来るのは論を俟たない本音。嫌な慣れだというのはわざわざ口にせずとも本人たちが一番よく分かっている。然るが故に「もっと気楽に構えようぜ」なんて陽気な励ましは口が裂けても言えなかった。
 それきり何となしに沈黙が落ちて、迷路のような道形を迷うことなく徒行する。幾重もの荘厳な扉をくぐり抜けてしばらく進むと、細い通路の奥に小ぢんまりとした受付が見えてきた。
 職員の案内に従い、素早く声紋と腕輪の認証を済ます。次いで少女が軟禁されている部屋の番号を入力し、パネルに必要な略述データを開示させた。

 今のところ脳の波長や心拍数に大きな変動は見られない。これは落ち着いている、というより──。

「あの娘はここに来てから一度も目を覚ましていません。念のため研案塔からスタッフを呼び寄せて容体を診てもらいましたが、異常はなく……」
「眠っているだけ、か?」
「外傷は?」
「無いと報告を受けています」

 心得た、とばかりに平門と朔は頷いた。平門の記憶では、少女に触れさせる前に能力者を葬ったはずだ。少女が気絶してからも身体の至るところを確認したが、頭を打ったような形跡はどこにも見られなかった。だが依然として昏々と眠り続けているとなると……。
 平門と朔はアイコンタクトを交わし、直々に自分たちが少女を診ると申し出た。あの能力者が精神汚染を使える力を有していたとしたら厄介だ。意識が浮上したら暴れ出すかもしれない鬼胎を踏まえ、スタッフに少女のデータから極力目を離さないことを直言して厳重な扉の前に立つ。とうに時辰側から連絡が入っていたのか、扉のロックは最低限のキーを解除するだけの手筈となっていた。平門が腕輪を翳すとそれはたちまち輝きを放ち、立ちはだかる扉は重い音を立てて開かれていく。
 ふたりが部屋に足を踏み入れるとゆっくり扉は閉ざされ、オフホワイトの無機質な空間には少女と平門たちの三人だけとなった。中央部にある瓶のような形をした硬質ガラスの中に少女は力なく横たわっている。髪に隠されて顔まではハッキリと見えないが、身体の汚れはあらかた落としてもらったのだろう。平門に運ばれてきた当初よりはマシになった姿を見て、朔はおっ、と弾んだ声を漏らした。

「ちゃんと着替えさせてもらったんだな。よかったよかった」
「よくない。……こんな子供が着るような服じゃないだろう」
「──それもそうだ」

 少女が身に纏っているのは、あたかも死刑囚が着るような粗衣だ。先ほどまで装っていた服も血と泥に塗れて決して好いとは言えないが、今の姿も見ていて身につまされるような感情が胸の奥底に蟠る。軽々しく「よかった」なんて言葉を口にしたことを朔は悔やみつつも、しかし感傷に浸っている時間はないと気持ちを引き締めた。
 少女のID「B10495」の取り調べを行うと高々に宣言を掲げて、硬質ガラスに見せかけた障壁のロックを解除した。隔てるものが何もなくなり、警戒を怠らないまま先立って平門が近づいていく。微動だにしない少女が本当に眠っていることを見定めて朔に合図すると、彼は平門のハンドサインに了解して少女の頸動脈に手をあてた。
 腕輪の解析による目立った反応は──ない。精神の干渉を受けているわけでもなければマインドコントロールをされてる徴候も感じない。
 深い眠りに落ちてるだけだと朔が脱力感に襲われながらも平門にそう伝えると、彼も朔につられて苦笑いをこぼした。

「……真っ青だな」

 髪を退けてやっと目にすることができた少女の面差しは、心なしかやつれていた。血がべったりと付着していた肌は比較的綺麗にされていたもの、どうにも顔色は悪いままだ。眉を顰めた平門が手袋越しに彼女の頬に触れると体温はおぼろげながら感じられるが、一抹の心細さを抱くくらいの冷たさが指の背に伝わる。このくらいの幼い子供にはこんな無機的な部屋ではなく、もっと情緒的な温かい部屋で毛布に包まれて眠るのが望ましい在り方だというのに。そんな当然の在り方すら己の過失で──。平門は言なく瞳を閉じた。その様子を黙って見つめていた朔も眉を寄せて少女を見下ろす。
 もし燭の検査結果で細胞の異常が見つからず、安全が保障されて、少女が政府が管轄する檻から解放されたとしても──気絶する前に見た光景は一生、死ぬまで少女に付き纏うだろう。
 全身に降り注いだ血液のシャワー。鋭い杖が肉を断つ生々しい切断音。のみならず異形の化け物に食指を伸ばされた怖気や、錆くさい戦場の臭いまでも。列挙した感触は例外なく少女の五感に記憶され、影法師のようにへばりついて離れない。それは、悪夢に塗れた長い人生の幕開け。

「この年齢で能力者と遭遇するってのは、今となっちゃさほど珍しい出来事でもないが……何で狙われてたんだろうな」
「……この子が能力者の求める物を手にしていたか、前々から内紛に巻き込まれていたか……」
「火不火絡みの、か」

 考えられる憶説はいくつかある。けれど思い浮かんだどれもに火不火の、それも上物との結び付きがあるだろう、とふたりは共通の所見を立てていた。
「いっぺん過去を洗う必要があるな」真面目な面持ちで朔が呟くと、その傍らで表情に変化のない平門が落ち着いた声色で既に仲間が調査中だと貳組の動向を明らかにする。あまりの行動の速さに朔はいささか面食らった様子だったが、平門が募らせている不信感は異様に彼の心を責っ付くものだった。
 分からないのは、能力者がこの少女を攫おうとした動機だ。震える少女を前にして、能力者は息を巻きながら「手柄があがる」とえらく喜んでいた。喜ぶ理由として無難に考えられるのは、火不火は子供の実験体を探し求めていたか、あるいは特殊な条件を満たす人間を求めていたかの二択。
 されども他の街で子供が攫われたという報告は今のところ上がっていない。しかして最も有力な疑惑は後者となるが、本当に後者だとしたらこの少女にはどんな秘密が隠されているのか、という連想的に根本的な疑問にたどり着くのは平門だけではないだろう。火不火が特殊な人材を求めていたとしたら、少女の他に狙われる人間も出てくるかもしれない。敵が求める『条件』をある程度把捉することで、未然に防げる悲劇もあるかもしれないのだ。
 このような訳があって、平門は政府塔に赴く前にイヴァの端末へ連絡を入れていた。今頃は少女の身元と氏名、大まかな過去くらいは特定できているだろう。その中に平門が望んでいる情報があるかは不明だが、少なからず端緒を得ることは可能なはず。仲間が集めてくれた情報と燭の検査結果を照らし合わせれば──。

「……ん……」
「! っと……」

 見つめていた少女の睫毛がふるりと戦慄き、目覚めの兆候を窺わせた。平門と朔の面様に一瞬緊張が走る。が、しかし。

「…………すぅ……」
「……」
「…………ぶっ!」

 ふたりの警戒をよそに、少女は再び寝息を立てて眠ってしまった。
 平門は若干呆気に取られながら少女を注視し、対する朔は毒気が抜かれたのか思い切り噴き出す。彼はしばし顔を俯かせてくつくつと笑いを堪えながらも、胸中はどこか安堵にも似た感情が七割を占めていた。

「っはー……笑った笑った……このお嬢ちゃんは神経が図太いのか、もしくはただ鈍感なだけなのか……」
「どちらの可能性も大いに有り得るが……」
「ま、寝る子は育つっつうし?」

 上からの命令でここに来ているのだという意識がすっかり欠けてしまった朔は、眠りこける少女の頭を撫でる。白手袋には彼女の髪にこびりついていた能力者の血が付着してしまったが、朔はそれを憐憫の情を帯びた眼差しでただ見遣った。「ここを出たらすぐに廃棄しろよ」と瞳に険を滲ませる平門の注意に「わかってるよ」と素気無く返す。情に絆されてはいけないという戒めも、壱號艇長としての自身の使命も。全部承知している。やるせない気持ちが自然と下がる口角に現れていた。
 耳に痛いくらいの静寂が檻を包む。すると、三人だけだった空間に突然アナウンスが入った。何でも研案塔から少女のデータが届いたらしく、平門・朔の両名は速やかに政府塔に戻るようにとの指示だった。予想していたより早い報せに顔を見合わせる。

「まだ話せてないんだがなぁ」
「取り調べは燭さんから結果を聞いたあとでも構わないだろう。話が終わった頃にはイヴァからの連絡も来るだろうし」
「嬢ちゃんが"なる"って決まったわけでもないしな」

 俺もそう願いたいさ。
 平門は瞳を閉じて唇に苦い笑みを湛えた。こんなところに縛り付ける起因を作った自分が口にする権利はないと思ったから、本心は胸の奥に秘めたまま。
 少女を一瞥した彼らは緩慢と立ち上がって、自分たちがこの部屋から退室したら自動で障壁を掛ける機能をオンにする。やがて受付と部屋を区切っていた扉が開かれ、朔が一歩踏み出すと平門も続くと思われたが、なぜか彼はその場に立ち尽くしたまま。
 平門?と訝しんだ朔が小首を傾げると、名前を呼ばれた彼はこれまたなぜか自分が着ていたジャケットを脱ぎ始めた。そして、寒そうに縮こまっている少女の身体の上にふわりと掛けてやる。

「……それも廃棄か?」
「新調しようと思っていたから、ちょうどいい」

 少女に掛けたジャケットは新調したばかりの物だということを朔は知っていた。まったく素直じゃないねぇと呆れつつも、別に優しさを失ったわけじゃない同僚の肩を組む。「しつこい」と悪態を吐かれても気にならなかった。彼は、平門は。冷酷であっても、人間としての心まで凍ったわけじゃない。その事実を改めて実感しただけのこと。

「平門、お前さてはぶきっちょか」
「リノルの海に投げ捨ててやろうか」

 けんもほろろな平門の態度は、殊更朔の笑いを誘うだけだった。
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