風見裕也の独白




降谷さんから電話で言われたことは、"苗字は帰せなくなったので急ぎの仕事はそちらで終わらせてやるように"といった内容だった。自分自身の急ぎの業務は完了していたこともありもちろん快諾する。
そもそもあの頑張り屋な部下がこちらの仕事を寝ずに手伝ってくれたことにより俺の急ぎの仕事は終わり、そしてそれにより彼女の分の急ぎの仕事が後回しになったことを知ったのは、帰り支度をする自分を何故か見送る苗字に「お前は帰らないのか?…まさか、俺を手伝って自分の仕事が残っているんじゃないだろうな?」と詰め寄ったことにより発覚した。その日は強制的に帰宅させ、その残りの仕事を降谷さんから電話があったあの日に片付けるつもりだったのだ。むしろこちらとしては無理やりにでも手伝うことを決めていたので、それを任されることは全く問題なかった。
そして日頃の部下の頑張りを称える意味も込めて、手を付ける予定の無かった彼女の他の書類も資料をまとめリストアップし、あとは完成させるだけの状態にして机の上に置いておく。もしかしたら彼女は恐縮してしまうかもしれないな、と思いつつ出勤したのが今朝で、遅れて出勤した彼女は自分のデスクを見て感動したり青ざめたりと忙しそうだった。内心、悪戯が成功したような気持ちでとても満足だった。ちなみに彼女が遅れてくることは降谷さんから事前に連絡が来ていたので把握している。


「かっ、風見さん…!本日は遅れてすみません!あとこれ、これっ…!」


俺が机に置いておいた書類の束を持って、わなわなと震える姿がほほえましい。やはり申し訳なく思っているようだ。この部下は自分と、そして自分の尊敬する降谷さんを崇拝する傾向があった。


「昨日はご苦労だったな。降谷さんに巻き込まれたんだろう?」

「はっ…いえ、巻き込まれただなんてとんでもない!私の力不足でご迷惑をおかけして…!」

「君を帰せないと降谷さんから聞いたが、任務は朝までかかったんじゃないのか?休めと降谷さんに言われただろう?全然聞かないから遅れて出勤させると連絡があったが、そうして無理をすることは必ずしも評価につながるわけではないんだぞ。それに君は女性なんだから、我々と同じように体力勝負をするんじゃない。」


ついつい説教じみてしまう自分のセリフも、彼女はそれは熱心に相槌を打ち真剣に聞く。だからついついこうして説教をしてしまうのを、自分も嫌なおじさんになったなと辟易する。ハッとそこに思考が行きつき、ゴホンと自制の為に咳払いをひとつ。


「すまない、違うんだ。君のことは頼りにしてるから、倒れられないためにも体を気遣ってほしいだけで…決して責めている訳ではなくてだな、」


そう言えば、「いえ!有り難く、身に余るお言葉です!ありがとうございます!」とハキハキした返事とともにお前はどこの軍人だというようなぱっきりと90度に曲がったお辞儀を披露され、つい「やめろ」と頭をひっつかんでしまった。これはよく降谷さんもやっているが、なんせ彼女の頭はまんまるで掴みたくなる魅力があった。
半強制的に頭を上げさせ、彼女の手のひらにぽとりと鍵を落とす。それはこのフロアに設置させている仮眠室のもので、彼女が公安唯一の女性という事で1室にだけ特別に鍵をつけたのだ。降谷さんが。


「寝てないんだろう。少しでもいいから休め。」

「あ、これ仮眠室の…いやあの、実はその…えっと…」

「?」


急にもごもごと歯切れの悪くなった彼女の頬がじわじわと赤く染まってゆく。なんだ?何か気に障ることを言ってしまったかと自分の発言を振り返るが、特別デリカシーの無い発言はしていないはずだ。こちらが怪訝な顔をしたのに気付いていないのか、苗字は小さく「しっかり寝させて頂きました…!」と言った。
…朝まで降谷さんと任務についていたと聞いていたが、一体どういうことなのか。降谷さんの潜入している捜査は極秘であり、簡単に口に出来ないことは重々承知している。この部屋にいる人間では自分と彼女だけがその一端を担うことを許されているわけで、もちろん今回の事を根掘り葉掘り聞くつもりはなかった。


「苗字、」


つもりはなかったわけだが、彼女の今の様子――恥じらうように頬を染めるその様子に、俺は降谷さんまさか…と、とある想像に至っていた。いくら仕事上の都合があったからといって、部下に、それも自分の直属の、右腕ともいえる存在に、まさか、嘘だろう。
そう思い近づいた途端、ふわりと風に乗って鼻孔をくすぐったのは何度か嗅いだことのある男性物の香水の匂い。
降谷零ではない、彼が組織の一員として任務に就く際に使用している香りだ。しかしながら本体は降谷さんに変わりはない。


「お、お、お前、降谷さんに――」


がっしと彼女の肩を掴んで震える声を紡いだ時だった。
バンと勢いよく扉が開いて、自分がつい先ほど、いや今この瞬間口にした名前をもつその人物が、それはもう恐ろしく鋭い表情で部屋の中へと足を踏み入れていた。


一瞬、いい歳をして"怒られる"という思考が脳を駆け巡ったわけであるが、しかしもし同意の上でないのならば自分としても引く気はない。もし万が一彼女のこの忠誠心を利用されたとあれば、自分は泣いてしまうかもしれない。降谷さんは恐ろしいが、それでも彼女は自分の手塩にかけた可愛い部下なのだ。バッと苗字を自分の後ろに隠し、「ふっ、降谷さん!」と食って掛かろうとした自分に、降谷さんはこちらをちらりと一瞥しただけで近くを歩いている部下に「このメモに記している日時の防犯カメラの映像を、この住所周辺のもの全て入手してこい」と告げた。

まるで肩透かしを食らったように次の言葉を零れ落とした自分に反し、後ろの苗字は驚くほどいつも通りに「降谷さん、おはようございます!」と挨拶をした。


「よし、二人とも揃ってるな。会議室Aに来い。」







モヤモヤとした気持ちは拭えなかったが、苗字があまりにもいつも通りである為こちらから噛みつくわけにもいかず、とりあえず会議室へ移動した。
降谷さんの鋭い表情の原因は、今しがた聞いた"例の組織の密売が近くの港で実行される"という情報だった。


「この倉庫は見晴らしが良い。周囲に高い建物も少ないから、向こうのスナイパーの心配もない反面、こちらの潜入する人数も限られることになる。」

「しかし、降谷さんが参加しても大丈夫なんですか?」

「問題ない。組織の人間と言っても下っ端の下っ端だ。幹部の連中は今回の取引すら把握してないだろう。」


確かですか?と念押して確認する苗字に、降谷さんは99%問題ないと言った。今回は、この3人で動くこととなる。


「今夜21時の予定だ。それまで準備にかかる。今回の連中から組織についての情報は得られないだろうが、それでも危険人物に変わりはない。ぬかるなよ。」

「はい!」
「はい。」







今回の倉庫も例にもれず港にある為、潮の香りのする現場に、何故か苗字は嬉しそうに「いい匂い…」と感想を漏らしていた。それに反応したのは降谷さんで、「遊びに来たんじゃないんだぞ。」と叱るように言うその声はどこか優しいような気がする。自分の方が付き合いが長いと言うのに、降谷さんはそんな声色を自分に向けたことは無い。いや、向けられても困る。一体この二人の間に何があったというのか。いやいや、そんなことを今考えていると死ぬぞ、風見裕也しっかりしろ。


インカムをつけ、少人数で動くことになった今回の人員の配置はそれぞれ一人一か所で担当することとなった。普段あまり前線に出ることのない自分とは違って機動力抜群の苗字はいつも突入の際、斬り込み隊長を務める。そんな彼女は今回は小さい身体を生かして物陰にも潜み、状況をこちらへと流す役だ。確保は俺と降谷さんで担当する。あくまでも陰から情報を流すだけで、確保の場には出てこないようにと念押しをするのはもう5回目だ。降谷さんの過保護が十分に発揮されたところで黒塗りの2台の車が港へと停車する。事前に調べ上げた人数は3人。もちろんその顔も頭に入れてある。


『こちら降谷。ターゲット車より降車。足音から人数は3名。』

『了解。』


潜入当初は何のドラマに影響されたのか語尾に「どうぞ!」とつけたがっていた苗字も、今はそれもなくなっていた。降谷さんにうるさいと一喝されたからだ。インカムは3人とも繋がっており、俺と降谷さんはお互いの顔が認識できる距離にいる為アイコンタクトで済ませる。


『こちら苗字。ターゲット、倉庫内に到着。倉庫内明かりなし。よって顔の確認できず。人数は3名、全て長身、荷物・武器の所持等無いが、隠し持っている可能性あり。懐より何か取出している様子から取引開始の可能性が高い。』

『了解。』


苗字からの報告にそう返事をすると、音もなくスッと降谷さんは前進した。それに倣って自分も進む。ターゲットは取引に集中しているようで、こちらには気づいていなかった。


真っ暗な倉庫に、雲が晴れたのか一筋の月明かりが差し込んだ。ちょうどターゲットに降り注いだその光で、3人と予想したターゲットの人数は問題なく的中していることが遠目でも確認できる。そして今確保に踏み込んではこちらの顔も見えてしまうため、10m先の物陰に隠れる降谷さんから手のひらだけで静止の合図。この時、インカムから声のひとつも聞こえないことに疑問を持つべきだったのだ。

――ザザッという雑音とともに、苗字の声が耳に飛び込んでくる。


『ターゲット、人数は3名ですが1名事前情報と顔が違います!もしかしたら――』


確かに、自分には聞こえている。だが、暗闇に点滅する小さな小さな赤い光。月がまた雲に隠れたのか再び闇と化した倉庫で、でも確かに降谷さんがいた位置で動く気配がした。駄目だ、今は動くべきではない―。だが、降谷さんのインカムは――きっと、聞こえていない。あの赤い点滅は、ペアリング…接続に不備が出ているのだと気付いた瞬間、真後ろに気配を感じ咄嗟に振り返る。ああ、まさか、これは完全に――


「だれだ、お前。」


事前の資料に載っていた男の瞳が、はっきりと自分を映していた。その倉庫中に響いた男の声に、取引をしていた男たちも反応する。なんということだ。ターゲットは4人いたのだ。

咄嗟ではあるが苗字の声が届いていた俺は、難なく後ろに立っていたターゲットを抑え込む。
降谷さんは、一瞬――ほんの一瞬で理解したのか、こちらの無事を瞬時に確認し、前にいる男たちへと向き直る。が、3人の男は全員、降谷さんを標的として認識していた。一番後ろの男が上げた声なのだ。向ける視線の直線上に潜む俺と降谷さんが見つかるのは当然だった。男たちは当然、遠い位置にいる自分より、近くにいる降谷さんを先に仕留めるつもりだ。

俺はターゲットに拳銃を向けた。もちろん降谷さんも、拳銃を向けた。そしてやはりターゲットも隠し持っていたのかこちらに拳銃を向けていた。だがその中の誰の拳銃よりも先に弾丸を放ったのは、隠れていろと命じたはずの部下のものだった。
男たちの一番近くの窓が、大きな音を立てて割れる。もう一人の存在を男たちに示し隙を作った苗字は、きっと降谷さんに向けられた3つの銃口が動かなかったことに焦ったのだ。馬鹿、やめろ――その思いも届かず、潜んでいた場所から飛び降り姿を見せてしまった彼女が叫ぶ。


「こっちだ!」


降谷さんとターゲットの距離は10m、苗字とターゲットに距離は無かった。もう一人を抑え込んだまま銃口を向けることしかできない俺は、しかし降谷さんの動きが読めない以上は発砲することはできない。そして銃を構えるだけの俺の目には、はっきりと映る。降谷さんの放った1発が苗字に向かうターゲットに当たり、苗字が放った1発が最後に一人だけが降谷さんに向けたままだった拳銃を弾き飛ばし、ターゲットの一人が放った弾丸が、苗字を貫通した。

一瞬だった。彼女が地に倒れるのも、降谷さんが男の元へ間合いを詰めたのも。

10mの距離を感じさせないほど一瞬で、銃弾を放った男を降谷さんが右腕一本で殴り飛ばし、それを認識した時には苗字が拳銃を弾き飛ばしたもう一人の男も地面に伸びていた。

もう、ターゲットは全員取り押さえたといって良い。自分が抑える男こそ意識はあるが、それでも手錠をかけ武器をすべて遠くへ蹴り飛ばせばただの転がる丸腰の人間だ。そうわかっていても、うまく呼吸が出来なかった。手錠をかける俺の手は、震えていた。


「苗字!!」


降谷さんの怒号とも取れる声に、ゆるりと視線を向ける苗字の腹からは、開いたままの蛇口のように血があふれ出ている。これは、この量は、


「ふ、る…ごめ、なさ…め、いれ、を…」

「しゃべるな!おい、風見なにしてる!救急車を呼べ!!」


ガツンと頭を殴られたような衝撃にハッとする。
感覚の曖昧な指で行う救急車の手配と応援の連絡は、どこか違うところにいる自分がやっているような、そんな感覚だった。それぐらい自分は動揺しているというのに、目の前の上司は迷うことなく苗字の服をめくり上げ患部を直接圧迫し止血をしていた。


「意識を飛ばすな、いいな!?」

「…は、」


苗字が返事とも言えないような返事をするも、もう苗字の瞼はほとんど閉じてしまっていた。
連絡を終え止血に加勢するが、もう苗字の服も止血をするために巻きつけている降谷さんの服も血まみれで、ぐらりと眩暈がした。
「押さえていろ。」そう命じられ患部への圧迫を交代した瞬間、あろうことか降谷さんは、手加減なしに苗字の顔面に平手打ちをかましたのだ。


「ふ、ふる――」

「名前!!起きろ!!!」


ガッと首――というか顎を掴んで、「起きないならもう一発だ!」と言う降谷さんは、顎と首の間ををつかむその指で脈拍を確認していた。ああ、本当に危ないのだと、実感する。埃臭くて蒸し暑い倉庫の気温が下がったように感じた。

でも、だからといって、見ていられなかった。「やめてください、降谷さん…!」そう乞うた自分の声は自覚している以上に情けなかった。そして、震えながら苗字に右手を振りかざしたまま動かない上司の瞳は、見たことが無いくらい揺れていた。


「名前、だめだ、行くな――」


名前――そうだ、彼女の名前だ。そういえば、先ほどもそう呼んでいた。
降谷さんは彼女の顎に当てていた手を、心音のいちばん近い場所を探すようにゆっくりと心臓の上に移動させた。心臓マッサージをするということは、そういうことだ。いよいよもう時間が無い――そうはっきりと分かっているはずなのに、今この状態のこの人が心臓マッサージなんてしてしまったら、骨の1本2本などでは済まないのではいかと、彼女の腫れた頬を見て、そう確信した。折れた骨が内臓に突き刺さってしまったら元も子もない。咄嗟に、考えるより先に、渾身の力で自分より細いその上司の手首を掴む。しかし、どこにそんな力があるのか降谷さんの手は本気の自分の力を上回る力で、ぐぐぐっ、と動きを止めなかった。これは、俺では止めることはできないと悟る。でも、それでも――


「降谷さん、俺がっ、」


その時だった。倉庫の扉が開き、闇に包まれた倉庫が車のライトに照らされたことで、ぴたりと降谷さんの手が止まる。待ちに待った、救急車の到着だった。


「患者は、どちらです!?」

「こっちです!早く!!」


今日で一番大きな声が出たと思う。
必死に救急隊員を誘導する自分を目にも入れず、救急車が到着したほんの一瞬そちらに視線を寄越しただけで、降谷さんは苗字の容態を見つめていた。
救急隊員が降谷さんの隣に到着すると、目線は彼女から外すことなく降谷さんはつらつらと告げる。


「27歳女性。血液型は××――10分前銃弾が腹に貫通した。7分前まで意識はあり、おそらく貧血で気を失ってそれきり…心臓マッサージはまだ施していない。先ほど脈が――」


滑らかに動いていた口が、小さく震えたきり止まってしまった。
それを聞いた救急隊員は、素早い動きで脈を確認する。


「――いえ、微弱ですが脈はあります!急いで車内で処置を!」

「――!、」


ぱっと顔を上げた降谷さんは、すぐに彼女の手を拾い上げた。安全だと言われたわけではない。ただ微弱な脈があると言われただけだったが、それでもこの微かな光にすがるほかなかった。なるべく動かさないようにと彼女の身体を担架に乗せ運ぶことはプロに任せ、ちょうど到着した部下に捕獲したターゲットの処理を指示する。その間も、降谷さんは救急隊員に必要な情報を伝え、また説明を聞いていた。二人で救急車に乗り込み、病院へと向かう。


気づけば、さり気なく降谷さんは車内のなかで苗字の顔が一番よく見える位置に陣取り彼女の手を自身の手で包んでいた。その手を撫でたりつまんだりしているのは、おそらく少しでも意識をこちらへ引っ張るためなのだろう。やはり――この二人の関係は…二人の間の距離は、何か変わったように思う。
一時は絶望しかけたが、機器を使った心臓マッサージにより15まで下がった心拍は弱くも回復していた。まだまだ安心が出来るわけではない。出来るわけではないが、それでも幾分か自分も降谷さんも、倉庫にいるときに比べると落ち着いていた。動揺する自分に比べて降谷さんは冷静だと思っていたが、あの降谷さんが脈を測り違うだなんてありえない。きっとこの上司も動揺していたのだと、今となってはそう思った。

苗字のほうに前屈みになる降谷さんの斜め後ろから二人の様子を見ながら、距離が変わったように感じる二人を観察していた。見られていることに気づいているであろう降谷さんが何も言わないから観察していたのだが、後悔することになるとはこのときは気づいていなかったのだ。
「もう着きます、運ぶ準備を!」救急隊員のその声に、降谷さんは静かに「はい」と応えた。そうして、自分の手を口許に寄せた。もちろん降谷さんの手には苗字の手が握られている。正面から見たわけではないのではっきりと断言はできないが――いや、これはもう確実にそうだ。そうとしか見えない。この上司は、あろうことか自分が可愛がっている部下の手に唇を寄せたのだ。


やはり二人はそういう関係だったのか?――今朝の彼女の反応が頭に浮かんでは消える。見たくなかった。見なければよかった。知りたくなかった。なんだこの父親が娘を嫁に出すような気持ちは。胃がきりりと捻り上げられたように痛んだ。聞きたい二人の関係をまさかこんな状況で聞けるはずもなく、病院に救急車が到着したことにより、この話は流れることになった。







集中治療室に彼女が運び込まれ、ただ茫然と見送りベンチへと腰かける。
降谷さんに現場の当時の状況を聞かれ、悩んだ末正直に話せば彼の手に握られるインカムはみしりと軋むような音を鳴らす。

「すみません、事前に機器をもう少しテストしておくべきでした。」

「いや…何度テストを重ねようが、機器の不具合は起きるときは起きる。どうしようもなかった。」


そう言ったのは降谷さんなのに、顔は全く納得していなかった。悔しいのだろうと、思う。
それはそうだ。もし自分が降谷さんの立場だったとして、自分もおそらく悔しがるだろう。でも、だからこそ言いたいことがあった。自分は、今の降谷さんの気持ちも、降谷さんを身を挺して守りたかった苗字の気持ちも痛いほど分かるのだ。


「苗字はおそらく、目の前で降谷さんが撃たれでもしたら自分を責めるだろうし…やっぱり命を落とすかもしれないと分かっていても、銃弾の前に飛び込んでしまうんだと思います。」

「…全く嬉しくない。」

「ちなみに、自分もそうです。」

「俺の下には厄介なやつしかいないのか。」


降谷さんは、本気で嫌そうな顔をした。
人間とは理不尽なもので、俺だって、苗字が俺のことを身を挺して守るなんて御免被るが、きっと降谷さんにはそうしてしまうのだろう。これはやめろと言われても、仕方がないのだ、それこそどうしようもない。



いつも、何度夜を本庁で過ごしても、こんなにやつれた上司の姿は見たことが無かったように思う。
口許を片手で覆った降谷さんは、背を丸め眉間に皺を寄せただじっと目を閉じて手術が終わるのを待っていた。
自分が残るからと説得しても結局彼が帰ることは無く。朝日が昇った時、ようやく開いた手術室の扉から出てきた医師は、もう大丈夫だと告げた。


麻酔が効いており目覚めるのには時間がかかるのだそうだ。
ガラスの向こうで眠る苗字は、顔色が悪いのは変わらないがスース―とまるで生きていることをこちらに伝えるように大きく息をしている。声を聴いたわけでも笑顔が見れたわけでもないのに、冷たくなりかけていた彼女が生きていることを主張しているその光景が、何故だか眩しかった。それを眺める降谷さんの大きな瞳に涙の膜が張っているように見えたのは、単純に寝ていない疲れなのか、先ほどまでこらえていたあくびのせいなのかは微妙なところだ。ちなみに俺は、少し泣いた。




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