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『明日、日本に帰る。
もし時間があれば近いうちに食事でもどうかな?』


今日も今日とて多忙を極めるタイムスケジュール。
プライベートのスマホが振動したと思ったら、そこには懐かしい人物から連絡が1通。

懐かしいとは言っても連絡は割と取っているため連絡が来ること自体はさして珍しい事ではないのだが、一瞬動きを止めてしまったのはその内容だった。


"日本に帰る"


数年前、気まぐれにふらっと海外に飛び立ったと思ったらそこから丸3年日本に帰ってくることはなかった。昔から思い立ったら即行動をするタイプで、俗にいう"自由人"であったため不思議でもなんでもなかったが――そうか、帰ってくるのか。
懐かしい幼なじみの顔が浮かび、ふと気が抜ける。…しかし、明日とは。
会う気があると連絡を寄こしてきたのは悪い気はしないが、何事も連絡が急すぎるのは昔から変わらずで、海外でもその癖はなおらなかったらしい。


「なんだ、緩い顔して珍しいな。」


隣から聞こえた、男性にしては軽めの通る声が鼓膜を揺らす。
そちらに視線を向けると、先ほどまでPCの画面を見ていたはずの蒼い瞳がこちらを見ていた。本当に、細かい変化を余すことなく拾ってしまうこの上司が、たまに恐ろしく感じることがある。


「――いえ。何でもありません。」

「それ、私用携帯だろう。用事が出来たのなら帰れ。」

「とんでもない。降谷さんがお帰りになってないのに、自分が帰るわけには…」


思わずそう零すと、一瞬呆れた顔をした上司であるこの男――降谷零は、「ここはいつからブラック企業になったんだ。」とそのままPCの画面に視線を戻してしまった。それに倣って自分のPCに視線を戻し、そのままちらりと右下に表示された小さい時刻を確認すると、あと1時間もすれば終電を迎える時間だ。上司はこう言うが、片付けても片付けても自分を離してくれない仕事の量を考えると、立派なブラック企業なのではとすら思えてしまう。まあ、嫌々やっているわけではないのでそこだけが救いだが。


「まさか、恋人か?」


――今日は本当にどうしたというのだろう。
普段から他人のプライベートに踏み込まない降谷さんからかけられたこの言葉を理解するのに、不自然な間が空いてしまった。


「…あ、いえ!古くからの友人で…。海外に急に飛んだと思ったら、また急に明日帰ると連絡があって…。」

「長く会ってないのか?」

「まあ、3年といったところですかね。」


ふうん、と相槌を打ちながら、手元のキーボードを打つ手はそのまま小気味よくカタカタという音を鳴らしていた。


「会えるうちに会っておいた方がいい。他に任せられる事務作業は分担して自分で時間をつくるくらいお前なら出来るだろうから、近いうちに会ってやったらいいんじゃないか。」

「いえ、そんな…」

「上司だ部下だと気にせず、自分のやるべきことが終わったなら気にせず帰れ。どうも俺の直属の部下は残りたがりが多いようだが、変に気を遣われても俺が仕事をやりづらい。」


このセリフは、自分だけでなくこのデスクに残っている周りの部下にも向けられたのだろう。PCから顔をあげて放たれた後半のセリフは、心なしか大きな音となって耳に届いた。

残っている者たちはこの上司の見せる突き放すような優しさに、驚いたような嬉しいような顔で「は、はい!」と返事をしていた。
…これだからこの人についていきたいと、作業をする手が止まらないのだなと改めて思う。


『分かった。時間を作ってまた連絡する。』


返信を送ったその向こう側で、受信した端末を見ながら幼なじみは嬉しそうに笑っているのだろうな、と脳内では3年前のままの姿の名前の顔を思い浮かべ、一息ついてまたPCに向き直る。今日は終電で家に帰ろうと、心の中で決意をしながら。







場所を選ばない仕事って、ラクで本当に自分に合っているなと思う。
漫画やドラマで観る、書類をコピーしたりお茶を入れたり給湯室では上司の悪口を言うOLさんにも興味がないわけではないが、満員電車で決まった時間に出勤し、仕事もないのに定時になるまで暇な時間を過ごすような仕事は御免だ。
若干自分の描くOL像が古い気がしなくもないが、歳も歳なので放っておいてほしい。

わたしの仕事は、PCとネットワークさえあれば世界のどこにいてもできる。報酬は取引相手にもよるが、ほとんどがネットバンクだしリアルタイムで数字が増えていくのはとても気分がいい。


「ドイツで最後の仕事だったけど、今回は割のいい仕事だったな〜。」


ネットバンクの預金残高を眺めながらウイスキーを煽る。お金はいくらあったって邪魔にはならないし、持っているに越したことはない。
実はもう建物と内装の発注はしているのだが、日本に帰ってからはBARを経営する予定だ。セキュリティや防音にかなりこだわってしまったのと、バレないように盗撮・盗聴の機械をインテリアに組み込むのは思ったより費用がかさんでしまった。もちろん、それとは別に超小型のカメラなどは随時仕込む予定だ。

私の本職は情報屋である。

今回の3年にわたる海外生活は、コネクションを築くことはもちろん、取引が多い主要の国の口座を作ることや衛星マップでは細かく把握することができなかった土地に明るくなるために費やした。もちろん海外に非居住者口座を作ることはネットでも可能だが、職業柄どこから誰に狙われているかもわからない自身のPCである。正直セキュリティには自信があるのでそんなヘマは無いにしろ、開設という最初の1歩ぐらいは自分の足で趣き自分の目で確かめ自分の手で行うことが確実であろう。まあ、その後の取引はネットで行うのだから意味がないといえば意味がない。要は気持ちの問題だ。
今は情報社会である。大体のことはハッキングでどうにでもなるが、長く情報屋をやっていて実際に目で見ないとしっくりこないことが多くあったため、今回はそれを解消するための旅であった。

このまま海外で暮らしてもよかったのだが、やはり恋しくなるのは日本食。

"日本でそこそこ情報屋を続けて、将来は田舎で漬物でもつけてゆっくり暮らそう。"そう思い立ち、3年ぶりに日本への帰国を決意した。そしていざ帰るとなれば真っ先に思い浮かぶのが幼馴染の顔である。その幼馴染とは連絡こそ比較的とっている方ではあったが、実際に会うのは3年ぶりとなる。

実は、私には両親がいない。おばあちゃんの家で育った幼少期、近所に住んでいたメガネの少年と出会い、その仲が今の今まで続いている。彼は昔から優しく正義感が強い、わたしのヒーローだった。彼が小さいころ夢だと語っていた警察官になったと聞いたときは飛び上がるほど嬉しかったものだ。その頃すでに情報屋として少しずつ活動しており、当時やっていた仕事が褒められるようなものではなかったこともあり、彼に本職を言えず今まで黙ってきてしまった。この私の本職は、これからも明かすつもりはない。

私には、情報屋になってから決めているルールがある。
情報屋として生きる上で最大のルール。
“信頼する人間の情報は、自ら暴かない。”

知りすぎることは時に相手も、そして自分を傷つける。その傷はお互いの仲に亀裂を生じさせてしまうのだ。何度と罪悪感で押しつぶされそうになったことか。
本当に裏切りたくない相手の情報は、その存在を護る時以外は暴かないと、自分を守る為にも大切なルールだった。

だから私は自分の仕事のことを彼に明かさない代わりに、彼のことを調べることもしない。
まあ、きっと3年前と変わらず警察官をしているのだろうけど。

ポコン、という着信音を鳴らしたわたしのスマホには、その幼馴染から返信が届いたようだ。

忙しい忙しいと電話をするたびに嘆いていた彼は、果たして本当に時間が取れるのだろうか?画面を見ながら思わず笑みがこぼれる。
さあ、ここから日本まで片道13時間。ドイツから日本に行くには時間は戻るから…時差を計算しながら、引っ越しという割には軽すぎるハンドバックを手にして1か月ほど過ごした部屋にありがとうと呟いた。



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