02



名前から日本に帰ると連絡が来て、3週間が経過しようとしていた。
あれからなかなか時間を作ることができず会うことが出来ていなかったが、今日の仕事は早く終わりそうである。
もちろん毎日決まった時間に帰れる仕事ではないし、むしろその日の帰宅時間などその日どころかその時にならなければ分からない。不測の事態が起こればやることは発生する。しかしながら先日大きな山であった事件が解決し事後処理もスムーズに完了したため、今日はみんな早く帰ろうと話していたところであった。

作成していた報告書を打ち終わり一息ついたところで、自分のスマホが振動する。それは仕事用のスマホで、非通知からの着信であった。
電話に出ると予想していた通り潜入捜査のため滅多に本庁へ来ることのない上司からの連絡で、珍しく登庁するため目を通してほしい書類などがあれば提出するよう声をかけておいてほしいとのことだった。
ちょうど完成した報告書に間違いがないかどうか、もう一度目を通す。ここに上司の判が押されれば、上にあげて本日の業務は完了しそうだ。
周りの部下に声をかけるも、今のところ降谷さんに提出する書類のある者は自分以外にはいないようで、いつもPC前で眉間にしわを寄せる上司の顔を思い浮かべながら今日は負担が少なくなるだろうと、ホッと胸を撫で下ろした。


「お疲れ様です、降谷さん!」


廊下のほうから響いた嬉しそうな後輩の声に、無意識に自分の背筋がぴしりとが伸びたのを感じる。あまり会うことの少ない尊敬する上司である彼と顔を合わせるときは、どの後輩も目をキラキラとさせさながら犬のようである。自分も例外ではないのかもしれないが、表面に出ていない自信はあった。少なくとも彼から多少の信頼を得ていると自負しているため、その期待を裏切りたくない、お前はできるやつだと思ってもらいたいという気持ちが先行してしまうため、無意識に背筋が伸びてしまうのだった。


「お疲れ。何か変わったことは?」

「お疲れ様です降谷さん。今のところありません。先日の事件の事後処理も問題なく完了しました。こちらが報告書です。」


そう言って報告書を手渡すと、降谷さんは念入りに目を通し確認済みの判を押す。
ついでに他に書類を提出する者がいないことを報告すると、降谷さんの金色の前髪から覗く垂れた目が少し驚いたように見開かれ、半分瞼を下した状態でふうと深く息を吐く。相当疲れている様子であったが、肩の力が抜けたところを見ると彼もある程度の仕事の見切りがついたようであった。


「降谷さんは、まだ仕事が?」

「いや、今日はちょっと確認したい資料があったから寄っただけだ。先ほどそれは済ませた。風見はどうなんだ?」

「自分もそろそろ帰れそうです。今日は珍しくみんな早く帰れそうだと話していたところで。」

「そうか。ゆっくり休めよ。」


OKだというセリフと共に渡された報告書を受け取る。さて、提出をして帰る支度をしよう。その前にとスマホを取出し、メッセージを作成する。


『今日は早く帰れそうだ。もし暇なら食事でもどうだ?』


送信完了してから数秒で、メッセージよりも長いバイブ音が響く。着信だった。
ちらりと上司を見遣ると「構わない」との合図が返ってくる。


「もしもし」

『裕也、久しぶり!メッセージありがとう。』


嬉しそうな声が手元の端末から耳に届いた。幼馴染のはにかむ笑顔が、容易に想像できる。


「なかなか時間がとれなくてすまなかった。今日はどう…

『あ、私いま日本でBARを経営してるんだけど、』

「えっ」

『一組予約入っちゃってるから、その後でもいい?何時に終わるかわからないんだけど…でも早めの予約だからきっとそんなに遅くはならないと思う。まあ時間は読めないんだけどね。』


何でもない事のようにさらっと言われたが、少なくとも俺は驚愕した。
BARを経営するなんて聞いていなかったのももちろんあるが、彼女はつい3週間前まで海外にいたのだ。いろいろとぶっ飛んでいる。


「…いろいろと言いたいことはあるが、分かった。じゃあせっかくだし店に行こうかな。住所送ってくれ。」

『本当に?あ、じゃあ昼に作った煮込みハンバーグ食べる?』

「もらう。じゃあ、そちらに向かう時にまた連絡入れるよ。」

『OK。待ってるね。』


会話が終了したと思ったら、待つ様子もなくツーツーと電子音が耳に届いた。昔から相手が電話を切るのを待ったりせず、終わったと思ったら即電話を切る無駄のないやつだった。

電話からふと視線を外せば、目の前には仕事中の顔からは想像ができない、なにか面白いものでも見たようなそんな顔をした上司が一人。今自分がこの上司に報告書を渡したところだということをすっかり忘れていた。


「随分と仲がいいんだな。」

「振り回されっぱなしですよ。ああ、そうだ降谷さん―――」







電話をしている風見を眺めながら、仕事一筋の真面目な風見しか見たことがなかった俺は少なからず面白いものを見たな、と思った。


「もしもし」


そういって電話に出た部下の声は優しく、本当に仲がいいのだなと二人のことを知らない自分でも分かる。相手が何を言っているのかは分からなかったが、目の前にいる風見という男は明らかにいつもの硬い表情ではなく、以前スマホの画面を見ながら顔を緩めていた時と同じ表情をしていた。


「なかなか時間がとれなくてすまなかった。今日はどう……えっ」


なにか予想外のことを言われたのか、風見の緩い顔は一転し驚きの表情に変わる。相手はあまり人の話を聞かないタイプなのか、彼の発言を遮りなにかを告げたようだ。いつも話し込むような電話の場合は慌てて場所を移動する風見も、そこに意識がいかないのかこの場に留まったまま会話を続けている。自分としては、普段見ることのできない部下の様子を観察することができ、興味深いのでよしとする。


「…いろいろといいたいことはあるが、分かった。じゃあせっかくだし店に行こうかな。住所送ってくれ。……もらう。じゃあ、そちらに向かう時にまた連絡入れるよ。」


せっかくだし”店”にと目の前の男は言う。その友人とやらはなにか先約がありどこかの店にいるのだろうか?住所を送れということは、風見の知らない店だろう。実家が飲食店をやっているなどの場合は二人の仲の良さからいくと場所を把握していないのは違和感がある。そしてそこで何かを"貰う"ということは、なにかふるまってもらう可能性がある…いや、貰うというのはなにもその場で食べ物を貰うことに限定するのも視野が狭いか。物の可能性もあるな。脳内で勝手に推理をしていると、電話が終わったのかスッと端末が耳から離される。会話が終わったとたん電話はすぐに切られたようで、はっとした顔がこちらに向けられる。まあ、男同士であれば要件が済めば電話をすぐに切ることは何の違和感もない。


「随分と仲がいいんだな。」


正直、そういった仲のいい相手がいるのが羨ましく思ってしまった自分がいる。しかし自分の置かれる今の状況では、そういった相手がいることはあまりいいことでもない。そう言い聞かせ、大切な人物を失った過去が顔を出しそうになるのを、すんでのところで抑え込む。いらない。必要ない。今の俺には重すぎる。


「振り回されっぱなしですよ。ああそうだ降谷さん、この後もしお暇でしたら、一緒に行きませんか?」

「………は」


予想外すぎる部下の提案に、驚きの声しか出ない。


「いや、久しぶりに会うんだろ?俺が行っても邪魔になる。」

「邪魔じゃないです。いや、ご迷惑じゃなければですが…。先ほどの電話でアイツがBARを経営していることを聞きまして。なんだかひとりでBARに行くのもちょっと恥ずかしいといいますか…。」


遊び慣れていないやつだとは思っていたが、30歳の男の発言とは思えない。なんだコイツ可愛いとこあるんだな…。
いやしかし、最近外で酒を飲むなんてことがなかったから、なかなか魅力的な誘いでもあるのは事実。風見と酒を飲むのも久しぶりだ。風見をこんなに振り回す幼馴染も正直、気になる。


「それに降谷さんは世間一般でいうイケメンですから。振り回されっぱなしも癪ですし…アイツを驚かせてやろうかと思いまして。」

「……そっちのやつなのか?自分でいうのもなんだが、俺の顔はあんまりそっちにはウケはよくないぞ。」


電話の相手が男友達だと思っている俺は、この段階ですれ違いが起こっていることにはまだ気づいていなかった。
まさか風見という男の幼馴染が女性だとは。
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