ステーシヨン前の旅館から、新聞社の人達によつて案内されて来たその宿は、氷川の趣味性から言つて、ちよつと気持の好いものであつた。それは其の宿屋が、近代式旅館と言ふには少し古風であつたと同時に、かいなでの田舎の旅籠屋とちがつた、古い都会らしい趣味の頽廃気分があつたからで、彼は庭の植込みのあひだを潜つて、飛石づたひに、一棟離れた茶室に案内されたとき、漸と落着場所に有りついたやうな安易を感じた。その離房は、簡素な茶室と、それにつゞいた薄暗い六畳の二室から成立つてゐた。氷川は勿論お茶人でも風流人でもなかつたけれど、旅でさう云ふ部屋に寝起きすることが、暫らくでもちよつとさう云ふ佗しい気分にならせるのであつた。
『倒れた花瓶』徳田秋聲('青空文庫'より)
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