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 カラン、カランとベルの乾いた音が鳴り響く。
 見上げるほどの洋館を前になまえは目を瞬かせる。表情にこそ出ないものの、夜色の眼は星を砕いて散りばめたように輝いていた。

「こんにちは、アーチャー」
「あぁ、こんにちは」
「先生からのお届け物です」
「ありがとう……私からも預けたいものがあってね。少し待っていてくれるかね」

 お茶を淹れるとの申し出を丁重に断って、なまえは温室を見せてほしいと頼んだ。キャスターの屋敷の周辺は木々に囲まれた薬草の宝庫だが、アーチャーの邸宅にあるような花々は咲いていない。見目も麗しく、様々な効能を持つ花々と触れ合える機会は貴重だ。
 もちろん、とアーチャーが目元を緩める。キャスターと対話しているときや師事を乞うているときは厳しく辛辣だが、こうして穏やかな優しさを垣間見せることもあるので、なまえはアーチャーが苦手ではなかった。

 なまえが師に頼まれてアーチャーの屋敷を訪れることは月に数回の頻度であった。異なる環境で貴重な薬草を育てる者同士、頼りにすることは多いらしい。けれど、両者の間には決定的な溝があった。犬猿の仲とでも呼ぼうか。
 以前、酒に酔ったキャスターが零したことがある。学生時代からの付き合いなのだ、と。その頃から煽り、煽られを繰り返しており、顔を見るだけで無条件に口が開くらしい。
 なまえの目から見たかぎりでは気の知れた仲という印象なのだが、当人たちが先のように言うのでそういうことにしている。それに伝書鳩の真似事をするのも気分転換になって悪くない。

「お邪魔します」

 断りを入れて温室の扉を開く。年中一定に温度や湿度を管理された温室の中は、淡い色合いの花々があちらこちらで咲き誇っていた。毒に分類されるような花は隔離されているので、なまえは散歩気分で温室の中を歩き回る。
 今日はアーチャーの機嫌もいいようだし、頼めばいくらか持たせてもらえるかもしれない。気の向くままに歩いていた足が途端に物色を始める。

「ずいぶん熱心に見ているな」
「……!」
「必要なら摘むが、どのくらい必要かね」

 東洋の姫君の異名を持つ花を眺めていたなまえは背後からかけられた声にびくりと肩を震わせた。悪戯が見つかった幼子のような反応をさらしてしまい、必要のない罪悪感にかられる。

「2、3輪頂けるとうれしいです」
「師と違って謙虚だな。何に使うんだ?」
「愛の霊薬……いわゆる惚れ薬ですね」
「は……?」
「ん?」

 刃の分厚い鋏で根元を断とうとしていたアーチャーがかっと目を見開いて彼女を振り返る。射抜くような視線に晒されたなまえは首を傾げた。そして漂う異様な雰囲気を察したのか、納得した面持ちで頷く。

「興味があるのは結果ではなく過程です。作ったものはもちろん誰かに譲渡したりしませんよ」

 その言葉を聞いたアーチャーは彼女が生粋の研究者であることを再度思い知った。
 植物を切るにしてはやや硬めの音が温室に響く。茎についた土を払い、空間から取り出した赤いリボンで簡単に束ねる。女性に贈るにしては安っぽい仕上がりだが、両手で受け取ったなまえの表情を見ると満更ではないようなのでよしとした。

「責任もって廃棄するように」
「もちろんですとも」

 アーチャーは門扉に背中を預けてなまえの姿が見えなくなるまで見送った。人気のない場所で転移を行ったようで、辿れていた気配もぷっつりと途切れてしまう。
 弟子を取るつもりはないが、彼女を見ているとその考えを改めそうになることが度々ある。けれど名も顔も知らぬ人間を側に置くことを想像しては、何かが違うと踏みとどまる。

 * * * 

 アーチャーがキャスターに呼びつけられたのはちょうど月の満ちる夜であった。満月の夜にしか採取できない薬草を摘み取る予定だったアーチャーはたいそう機嫌が悪い。至急必要なものではないが、ストックが一定量を下回ると途端に落ち着かなくなるのだ。
 彼にしては乱暴に扉を開く。香草の香りが漂う室内にはなまえの姿しか見えなかった。

「ぁ、」

 夜空のような眼がぱちぱちと瞬く。