01

 国際線のロビーは様々な国籍の人で溢れかえっていた。設置された椅子はどれも埋まっていたので、なまえは時計塔のポールに背中を預けて人の海に視線を滑らせた。
「弟を空港まで迎えに行ってくれねえか」
 数日前に告げられた言葉を思い出す。雇い主であり、昔馴染みであるキャスター曰く、急な学会――案内は数か月前に届いていた――のせいで地方に飛ばなければならないらしい。時間分の給金は出すから、と頭を下げられたのでなまえは渋々と頷いた。
「弟くんの写真は?」
「あー……俺と似てるから見りゃ分かんだろ。アイツ写真嫌いだし……と、お前さんも会ったことあるはずだけどなあ」
 キャスターはそう言ったけれど、なまえはいくら記憶を掘り起こしても該当するものを思い出せなかった。もしかするとアルコールが入っていた時のことかもしれない。
「おい、」
 意識が回想へと寄っていたせいで、近づいてきた人影に声をかけられるまで気が付けなかった。はっと息を呑んで顔を上げる。馴染みのあるかんばせよりは幾分か年若い顔が見上げた先にあった。
 まず目に入ったのは眼の周りを彩る赤い紋様で、次いでキャスターよりも濃い色の髪に視線が移った。キャスターは広い背中で遊ばせていることが多いが、彼はゆるりと結って胸の前に垂らしている。
「日本語は分かる?」
「……少し。ゆっくり話せ」
 互いに簡単に自己紹介をして、ひとまず車へと移動することにした。キャスターの弟、オルタの荷物は通常サイズのキャリーバッグとボストンバッグのみだった。今後は少なくとも2年はキャスターの勤める大学の院に通うとの話だったので、本当に必要なものだけを持ってきたのだろう。そうでなければ少なすぎる。
 後部座席に荷物を、助手席にオルタを乗せてなまえは車を発進させた。目指すはキャスター邸である。
「1時間くらいかかるから寝てていいよ」
 先に申し出があったとおり、なるべくゆっくりと話すことを心がける。意味が伝わったのか、そうでないのか。オルタはたっぷりとなまえに視線を注いだのち、正面を向いて静かに瞼を伏せた。
 車は順調に進行し、予定よりも少し早く目的地へと到着した。本当は途中で大型のショッピングモールで日用品の調達をしようかと提案することも考えたのだが、思ったよりもオルタが寝入っていたのでそっと口を噤んだ。アイルランドから日本までは遠い。普段飛行機に乗らないならなおさら疲れたことだろう。
「……もしもし?キャスター?いま家に着いたんだけど……」
「おー悪いな。助かった。オルタは?」
「寝てる」