答えをくれない天使 壱


無一郎くん、あのね、相談したいことがあって。


意を決した表情で名前が僕に言って来たのは、ある日の昼下がりのこと。モジモジと指を動かして、チラチラとこっちを見ながら「えっと……」とまた俯く。

「何?どうしたの?」

首を傾げて、名前の顔を覗き込む。こちらを何回か覗いて、様子を伺ってくる。そんなに言い難いことなのかな。もともと恥ずかしがり屋の名前だから、こんな姿はよく慣れているけれど。またそんなところも可愛いんだよなあ、と勝手に1人で思っていた。

「あの、えっと…よく行くお野菜のお店あるでしょ? そこの店長が、少し腰を悪くしちゃって。よくしていただいてるから、わたし、何かできないかなって……」

「思ってて…」と尻込みしながら再び俯く名前。ああ、それは言い難いだろう。「…」無言になってしまった僕を、おそるおそるその瞳が覗いてくる。つまり、短期間の仕事の交渉。そこのお店のことは、よく知っている。名前が1人で行動できるようになってから、結構な頻度で買い物に行っていた近場の野菜売り場。夫婦で営んでいる小さなお店だけれど、夫婦共々、当初は車椅子生活だった名前を、それはそれは大層可愛がってくれた。「疲れてない?大丈夫?」「一番大きいの入れておいたから!」優しく声をかけてくれるその夫婦に、名前もとても懐いていた。だから、手伝いをしたいと言う名前の気持ちは痛いほど分かるんだけど…。

「行き帰りは、大丈夫だと思うの。いつも行っている場所だし、遅くなる時間に閉店することもないし…」
「…お客さんだって、たくさん来るんだよ。いい人だけじゃないかもしれない。名前、あんまり色んな人と話すの得意じゃないでしょ」
「それは、頑張る。いつまでもこのままじゃないけないと思うし、頑張ってみたいの。すごいお世話になった人だから、わたしにできることがあったら手伝いたいんだ」

……別に、今のままの何が悪いのさ。心の中でムスッとしたけれど、表情には出ないようにした。モジモジっ子の名前だけれど、意外と頑固なところがあるし、これは折れる気がなさそうだ。まあ、それを分かっていながら、無情にも折ってきたのが、それを上回る頑固な僕なんだけど。

「でも、やっぱり心配だなあ…」

無茶をしがちな名前のことだ。頑張って、頑張って、最後は絶対にどこかで無理が生じる。信頼がないとか、そういうことじゃなくて、それを含めて名前なんだ。何年も前から、それは分かっている。いや、まあ大分僕も考えすぎな部分もあるのか…。炭治郎に「もう少し名前さんのことを信じてみたらどうだ?」と言われたこともある。でもだって、この子のことなんだから、そりゃあ慎重になって当たり前じゃないか? どうでもいいそこら辺の誰かだったら、「好きにしたら」の一言で済ますよ、僕だって。でも、名前だからなあ…。いや、やっぱりこれだけ心配するのも、当たり前だ。間違ってないと思う。

「無一郎くん、」

顎に指を当てながらあれやこれやと考えていた僕の思考を止めたのは、目の前の名前の姿だった。

モジモジ動かしていた指を止めて、両手を合わせて。口元に持ってきて、少しの身長差から若干上目遣いになったまま、その双眸で俺を見つめて。少し困ったような、でもどこか期待をしているような表情を浮かべて。

「お願い。…駄目、かなぁ?」

あろうことかこの子は、極めつけに首を傾げてきたのだ。





「無理だと思わない?」

刀に打ち粉を叩きながら、ため息を付く。「ははは…それは…」苦笑いをする炭治郎と共に、刀の手入れを続ける。そのやり取りがあった、数日後のことだった。

「名前、いつからあんなことできるようになったんだろう。わざと? いや、わざとじゃないのが何となく分かるのがまた悔しい。可愛すぎじゃん、無理だよね。ねえ、そう思わない?」

首を傾げて炭治郎にそう問う。「時透くんと、やっぱり何か似てるんだよな、名前さんって」苦笑いを浮かべた炭治郎にそう言われて、はて?と疑問符を浮かべた。何が似てるんだろう。

「止めることができなかったんだ。本当にずるいよ、名前は。無理、どうやったら引き留められたんだろう。絶対できない。結果、名前はまあ嬉しそうにアルバイトに行ったよ。はぁ……」
「信用できる人なんだろう、その店の店主は。任せてみるしかないよ。名前さん、頑張っていて偉いじゃないか」
「分かっているよ、そんなのは。でも、やっぱり心配だよ。僕の見えないところで何かあったらどうしようって不安になる。……ああ、迎えに行こうかな、どうしよう」
「ん? もう手伝いっていうのは始まっているのか?」
「うん。初日。今日から一週間ほど。あと三時間ほどしたら帰ってくるかな。夕方前には帰ってくる予定だし、しっかりお香も持たせたから大丈夫だとは思うんだけど… 」

「うーん、いやでもやっぱり迎え…」名前のモジモジ病が僕に移ったみたいだ。時計を見ながら、ソワソワした気持ちをなるべく落ち着かせようと息を吐いた。

「大丈夫だよ。名前さんを信じてみよう。店の周りは人通りも多いし、一本道だし。今までも一人で行っていたんだろう? 迷子になる心配もないし、大丈夫だよ、きっと。待っててくれたら名前さんは一番嬉しいんじゃないかなあ」

炭治郎がカラッと笑いながらそう言う。まあ、そうなんだけどさ……。

はあ、と再びため息をついた。「クソ死ね結局惚気かよこの野郎……過保護見苦しいんだよ……」ギリギリと横の黄色い頭の人が歯ぎしりしながら何か言っていたけれど、何も聞こえなかった。ちなみに、炭治郎の同期たちも一緒だ。

まあでも、名前のことを信じていないわけじゃないから。心配なのは変わらないけれど、それが名前にとっていい時もあれば悪い時もあるっていうことだって、分かっているんだ。僕の我儘で随分と我慢をさせてしまっているところがあるのも知っている。だから僕が、我慢をしないといけないところなんだ。誰かの役に立ちたい、そう言える、優しい名前が好きなんだから。

(はあ……。我慢我慢)

「炭治郎、稽古を始めよう」竹刀を握り、炭治郎を庭へ誘う。僕は僕のやるべきことをやろう。そうして、きっと疲れて帰ってくる名前に、頑張ったねと言うんだ。グッと刀を握る手、足に力を入れた。


「なあ伊之助。絶対に言えないけどさ、霞柱の話聞くと、たまに俺藁人形作ろうかなって思うときがあるんだぜ」
「くかー……」
「間違ってないよな?誰でも藁人形作るよな?」
「くかー…………」
「答えろよこのクソ猪…」


――そうやって無理矢理納得した数時間後、名前は予想通り、少し疲れながらも誇らしげな表情で帰ってきて。「おかえり、頑張ったね」と頭を撫でたら、それはそれは嬉しそうな笑顔になるから、僕も流石に降参してしまった。結局名前の笑顔に弱いのは、自覚済みなんだ。




だから、この数日後、まさかあんなことになるなんて。世界で一番大切にしたいと思うこの笑顔が、無情にも壊されることになるなんて。
この時の僕達は、想像もしていなかった。





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