「…………」
「……こんばんは」
少女は存外丸い目をしていた。まあ、目の前にいきなり人が現れたらこうもなるだろう。暗闇の道路、彼女の家の前で帰りを待っていた僕に、戸惑っているようだった。「あの………ドア開けたいんで、いいですか?」うつむき加減に僕にそう尋ねる。僕が君以外に何か用があってここにいるとでも? アパートのこの部屋に彼女が住んでいることは、主からの情報で既に知っていた。
「お隣さん、とかですか」
「違います」
「……宅配便さん?」
「それも違いますね」
「……ストー、」
皆まで言わせなかった。人間という俗物とはかけ離れた存在であることは間違いないが、さすがに犯罪者に間違われるのはいただけない。キッと睨むと僕のその表情に怯んだのか、少女はヒッと震えた。……素性を明かさない僕に、恐怖心を持つのは至極当然のことなのだが。さっそく僕の説明をしようと1枚の紙を差し出した。黒い瞳が訝しげにその紙を見つめる。キョロキョロと文字を追っている。戸惑ったようにその子はしばらく何も言わなかったが、しばらくしてふぅっと息を吐いた。僕を見つめる瞳は、未だに弱々しい。
「……つまり、あなたは死神さんで、わたしに死期が近づいているということですか? あなたはわたしを、迎えに来たと」
「その通りです」
「そんな小説みたいな話、あるんですね……」
ぽかんとしていた少女の口角が、面白そうにあがる。思ったよりも飲み込みが早いと思った。大抵の人間は、ここで「嘘だ」「帰ってくれ」「殺さないでくれ」そう言って喚くのに。予想外の反応に、首を傾げる。いずれにせよ、話が早いのは助かる。「できればあなたの最期の日まで、家に泊まらせていただきたいんですが」目をパチパチとさせ、「わかりました」とだけ呟いた。さすがに拍子抜けだ。この少女は、危機感というものがないのだろうか。いや、貞操概念といった方がいいのだろうか。「警戒しないんですか」「嘘をついているようには見えないので」「………」時々、人間の中にもこのような少女のように、この特異的な状況を瞬時に受け止める人がいる。例えば、不治の病に侵された人や、老衰で亡くなろうとしている老人。ギャンブル狂い、アルコール中毒、そんな人間もいた。前者は自分の状況を今までの経験から悟っていると諦めたように呟き、後者は人生などとうの昔に捨てた、と笑っていた。この少女は、そのどちらかなのだろうか。まだ十分若そうで、いたって健康体のように見える。人生に悲観している様子も全くない。ちらりと見えたトートバッグの中は、年齢的に考えて恐らく大学の講義のノートだろうか。
「とりあえずお家の中入りましょうか。えっと…………死神、さん?」
「時透です」
「時透さん」
ガチャと開けられたドアから中に入ると、足元に小さな何かが近づいてきた。みゃあ。威嚇するように僕を見て毛を逆立てる。猫だ。白い柔らかそうな毛並みをした猫を少女がふわりと撫でた。「ただいま、チビ」飼い猫のようだ。僕が動じない様子を見て、すっとどこかに逃げていった。少女が少し残念そうに唇を尖らせる。
「ああ……逃げちゃいました」
「警戒心が強いようですね」
「突然のお客さんにビックリしてしまったのかもしれないですね」
「あなたとは大違いですね」
パチリと電気をつけた少女と目が合う。「その通りかもしれないです」そう言って彼女は笑うのだ。