とりあえずもう一度先程の書類を見せることとした。少女は決して取り乱すこともなく、書類をじっと見つめる。先程目の前のこの少女に入れてもらったコーヒーの湯気がもくもくと立っている。少し熱すぎないか。ゆっくりと飲むであろうことを想定したのか、単なるミスなのか。目の前の少女は、どちらの可能性も考えることが出来るほど不思議な存在に思えた。ゆらりと揺れる肩くらいまでのボブヘアーの黒髪。女性というよりは、まだ少女らしい雰囲気を纏っている。それなのに、その瞳だけはどこか暗く見えるのだ。
「んー……あんまり難しいことはよく分からないんですけど、とりあえずわたしがもうそろそろ死んでしまうということですよね?」
「まあ……簡単に言えばそうです」
「そうですかあ……」
まただ。あまりにも簡単に、僕の言葉を、自分の運命を受け止めている。少女らしい雰囲気とは似ても似つかない。物わかりが良すぎるのも不気味だな、と内心思った。仕事をする上では楽でいいのだが、今までの経験上あまり遭遇したことのないパターンであるため戸惑いもある。
「何か心当たりでもあるんでしょうか?」
「え?」
キョトンと少女は目を丸くする。不可解に思っていたこともあった。主からの報告書には、最初のページの分かりやすいところにその者の死因が載っている。僕自体細かいところまで見るタチではないのだが、そこは目を通そうと思わなくても分かるのだ。事故、殺人、病気、老衰、自然死………本来これらのように載っているのだが、この少女の場合は違った。ただ一言書かれていたのだ。「運命」だと。
「いや、あまりにも落ち着いているっていうか……簡単に自分の運命を受け止めていると言いますか」
「そのように見えますか?」
「まあ……」
「んーと……そう言われればないこともないって感じなんですけど」
少女は困ったように笑う。「不躾な質問すいません」あまり詮索はしない方がいいのだろう。どうせいずれは分かるものだ。それまではあまり関わらないに越したことはない。今朝疲れ切ったように仕事から帰ってきたあの人のように。全てを受け止めようと思うと、あまりにも荷が重たいのだ。コーヒーをゆっくりと喉に流す。「死神さんでも、味とかって分かるんですねえ」呑気に笑うその姿に、少し呆れてしまうほどだ。
「みゃあ」
「あっ、チビ!」
会話もないまましばらく時間が経つと、僕たちの座るローテーブルの下に再び小さな影が近づいてきた。真っ白い物体。先程勇ましく僕に威嚇をしてきた仔猫だ。少女の膝元にゆっくりと歩いていき、前足をあげる。「そうだね、ご飯の時間だったね」立ち上がろうとした少女は、仔猫の様子を見てそのまま固まった。
「チビ、前足怪我しているじゃない!」
「ああ……ほんとですね」
少女の言葉を聞き仔猫の様子を見ると、どうやら前足の爪先から血が滲んでいるようだった。自分の爪で引っ掻いてしまったのだろうか、それともどこかにぶつけてしまったのか。家からフラリと出ることがあるならば、どこかで犬に噛まれたりしたのだろうか。「やっぱ窓開けておくべきじゃないのかなあ……」どうやら一番最後の可能性が高いらしい。
「少し化膿しているようですね。ワセリンとかありますか?」
「わせりん……」
オウム返しの言葉に、思わず笑いが出そうになった。できれば消毒した方がいいと思うんですけれど。彼女の様子を見ると、そのようなものはこの家に無いのだろうか。胡蝶さんに頼むこともできないことはないけれど、そこまで煩わせることでもないだろう。
「救急箱のようなもの、ありますか?」
「いえ……」
「心配ならどこかで買ってきた方がいいかもしれないですね」
「いや、あの、……大丈夫です」
大丈夫って? 僕の言葉を苦笑いを浮かべながら遮り、すっと少女が仔猫の目の前にしゃがみこむ。怪我をしている前足を左手で優しく掴む。何をするのか、と聞くまでもない短い時間。そっと右手を翳す。…………。
「治ったよ、チビ」
気がついたらそれは終わっていた。驚いて固まる僕の横で、仔猫――チビが元気そうにみゃあと鳴いた。何事も無かったかのように、キッチンへと向かおうとする小さな背中に、思わず声をかける。
「あの、」
「はい?」
「あなたの名前……お伺いしてもいいでしょうか?」
僕は知っていた。今起こったことが、聞いた話そのものだということを。少女の不可解な死因、落ち着きすぎている様子、心当たりがあると苦笑いをした理由。点と点で、結びついていく。
「………苗字といいます。苗字名前です」