36
 このまま花京院たちに逃げられるのは、あまり良いと言えない……それどころかはっきり言えば悪い状況になりかねない。J・ガイルは慢心するようなやつではなかったが、だからと言って万事うまく事が運ぶわけではない。J・ガイルにとって花京院のやつはアヴドゥルに次いで分が悪い相手だろうし、何よりここで行方がわからなくなるようなことが厄介だ。だから無傷とも言える状態でやつらを逃がすわけにはいかなかった。エンペラーの狙いを定める。撃ち放つ瞬間、静かな声が響いた。


「させません」


 直後、脳を揺さぶるような哄笑。鼓膜が破裂するのではないかと思わせるほどのもので、エンペラーを発動させることは出来なかった。耳を塞いでいた手を離した頃には、既にトラックは姿を消していた。哄笑が止んでも、未だに理解できない言語でスタンドは笑い続ける。汗がじわりと滲み出てくるが、ナマエの方がどう見ても体調が悪そうだ。震えや汗が止まらないように見える。


「……ナマエ、おれは敵になりたかねぇんだ。引いちゃあ、くれねーか」

「ホル・ホースさんは……わたしには優しいです。でも、ポルナレフさんや花京院さん、アヴドゥルさんの敵、なんですよね」

「………ああ」

「だから、ごめんなさい」


 わたしから、あなたの敵になります。息を整えながらスタンドを構え、きっとおれを見つめてくる。今日は嫌な日になっちまった。ため息をついてから、帽子を直す。煙草をくわえ火をつけて、煙を吐く。そしてエンペラーを手の中でくるりと一度回してから、ぶれないように照準をしっかりと合わせた。


「そうかい………でもな、おれは女には危害は加えねぇ」


 それでも、その後ろにいるアヴドゥルは、きちんと殺させてもらう。頭を貫通出来たのか、いまいちわからなかったアヴドゥルに照準を合わせる。死んでいるとは思うが出血量も少なく、脳が飛び散っている様もここから確認することはできない。本当に死んでいるのだろうか? 花京院が狼狽えていたのは間違いようのない事実だとは思う。しかし頭に当たっているのなら、それを見て動揺し勘違いをする確率は非常に高い。ならば首を落とすのがいい。それからナマエのことは考えよう、と弾丸を首に向かって発射した。
 スピードは向こうが上だろうが、精神的に参っているナマエ、そしてスタンドの先ほどの行動を考えればアヴドゥルの首をはねられると考えた。──向こうのスタンドは動かない。ビンゴ。ナマエに被害はないのだから、わざわざ怪我する可能性があるエンペラーの弾丸を止める必要などないのだ。


「ヴィトッ、」


 ナマエが焦った表情で浮かぶスタンドを見上げる。しかしスタンドは縫いとめられた口で笑いながら、ゆっくりと首を振った。あのスタンドにとってはナマエがすべてで、ナマエの意思よりもナマエの安全を優先する。それでいい。おれにナマエを傷付ける気などないのだから。


「なら、あんたには頼らない!」


 アヴドゥルの首を狙った弾丸があと一メートルを切ったとき、ナマエはアヴドゥルを庇うように地面に転がった。首の前に、ナマエの背中。何かを考える前に血の気が引く。止めようと思った瞬間には、ナマエの皮膚に到達してしまっていた。
 ぱあんッ、と弾けた。やってしまった、殺しちまった、と身体が震えたのがわかった。湧き上がるのは後悔だ。今だかつて人間を殺してここまで後悔をしたことはあっただろうか? けれどすぐにその後悔は吹き飛んで冷静さを取り戻す。身体に当たったのならば、弾けるような音がするのはおかしい。深呼吸を一度、そして背けた目をゆっくりとナマエに向ける。


「………なんだよ、それ……」


 ヴィトと呼ばれていたスタンドの安物のプラスチックのような皮膚が膨れ上がり、ナマエとアヴドゥルの周りをぐるりと囲んでいる。おれのエンペラーの弾丸はその外に落ちていた。どうやらあの膜に守られたらしい。ズルいんじゃあねーのか、と思わず笑ってしまいそうになったが、ナマエが助かってよかったと安心して腰が抜けそうだった。
mae ato

modoru top