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 なるほど、これはひどい。どうにでもなれこんちくしょう、とアヴドゥルの前に倒れて、いっそもう死んでやれくらいの、まさにやけくそという言葉がぴったりな気合を発揮してみれば、目の前にはヴィト、そしてヴィトの皮膚で覆われたドーム。守ってもらえたらしい。わたしは擦り傷くらいしかない。
 そう、ひどいのは、ヴィトだ。
 今までの形はドームのような皮膚以外まるで残っておらず、学校のカーテンのような厚手の大きな布でできた重そうなてるてる坊主にお面をつけたような外見になっている。ただしその無機物さとは反対に、そのお面の真ん中にはクレヨンで書いたような単眼が目蓋を閉じており、そこから真っ赤な雫を垂らしている。その単眼よりもやや下に位置している三日月のような口には綺麗に歯が並びずるりと血色の悪い舌が零れ落ちている。それに中には何も入っていないようにも、何かが吊るされているようにも見える。そんな妙なリアリティがたまらなく怖気を誘うような、どこぞのゲームに登場しそうなクリーチャーの見た目にヴィトは変わってしまったのであった。
 どうしてこうなった。これ、子供が見たら絶叫して泣くだろう。もしくは心停止するかもしれないぞ。それでもわたしからしてみれば可愛く見えると言うのだから、わたしの目はもう腐りきっているのかもしれない。寄ってきたヴィトを抱きしめる。


「ありがとうね」

「否」


 あれ、しゃべり方まで変わっちゃってる。前の駄々っ子のようなのが可愛かったのに、これはなかなかショックだ。古風というかなんというか……その喋り方はどうにかならないのだろうか。いやでも見た目クリーチャーなのに古風な喋り方ってもしかしたらギャップ萌えになるのかもしれない。……ならないか。
 そんなくだらぬことを考えるわたしを、ヴィトは起こすことは出来ない。仕方がないのだ。今のヴィトには手も足もないのだから。赤い涙を拭ってやる。


「よくわからないんだけど、ヴィトはなんでこんなことになってるの?」

「ナマエ、危機、進化」

「わたしが危険な目にあったから、成長したってこと?」

「是」

「能力はこのドームみたいなやつ?」

「否、壁、一部」


 どうやら防御壁だけではないらしい。喋り方や手足がないことを考えると進化か退化かわからないな、と口元が自然にへらりと笑う。これじゃあ破壊力はないに等しい。特殊能力の質だけが上がったと考えればいいのだろうか。


「ナマエ、音声命令、ヴィト、能力発動、停止可能」

「………ん? ……え?」

「ナマエ、音声命令、ヴィト、能力発動、停止可能」

「や、お前は機械か」

「否」

「や、違くて! ヴィトが機械じゃないのはわかってるよ!」

「是」


 なんだかばか正直に話を受け止めるあたり、ヴィトは変わってないんだなあ、と少しだけ安心。頭の中でもう一度整理する。ヴィトはどうやらわたしが撃たれそうになって、成長したらしい。それは要するに康一くんのエコーズと一緒だろう。そして見た目と、能力が変わった。動くのにはわたしの命令が必要で、前の状態の皮膚を使用して防御壁のようなものも作れる。うん、こんなところかな?


「わかった。命令すればいいんだね」

「否、音声命令」

「……声で命令しなきゃだめなの?」

「是」


 細かいところを確認した上で、わかったと頷き、厚手の布のような頭を撫でると裂けている口がこれ以上にないほど笑った。これなんてホラー? そういうの、嫌いじゃないよ!
 さて、これからどうしようか。脳震盪を起こしているであろうアヴドゥルを病院に連れて行かなければいけないが、ホル・ホースはまだそこにいるはずだ。誰かが助けに来てくれるのを期待するのは馬鹿らしい、けれどわたしにホル・ホースが倒せるのか。いや、できるできないに関わらず、すべきことなのだ。
 仕方ない、と立ち上がる。しかし先ほども立ってしまったが、抜糸前だというのに大丈夫なのだろうか? とりあえずは痛くないので、いいということにしておこう。
 ぱんぱん、と砂ぼこりをはらえば、ドームを挟んですぐ向こう側に、ホル・ホースの姿が見えた。目が合って、ホル・ホースが笑う。何故彼が笑ってるのか、よくわからない。


「無事でよかった、心臓止まっちまうかと思ったぜェ?」


 軽い笑い方ならば、茶化すような笑い方ならば、わたしだってどうとでも言い返せた。敵ですから、と突っぱねることも出来たはずなのだ。けれどホル・ホースが本当に安心したとばかりに笑うから、わたしは困惑するしかない。
 如何にホル・ホースが女好きだからと言って、どうしてわたしにここまで目をかけてくれるのだろうか? わたしたちはほんの数十分前に会っただけのただの他人だ。いくらわたしが女だからと言っても、この展開はさすがに無理があるのではないか。デーボのときもだ。何かがおかしい?
 それでもホル・ホースのその笑みだけは本物だと思った。彼は本当にわたしを心配してくれている。はからずも眉が下がるのがわかった。ホル・ホースは申し訳なさそうに笑顔を作り替えてから、コンコンと指で防御壁を叩いた。


「これ、解除しちゃくれねぇか」

「……え、その、…でも……」

「もうアヴドゥルには攻撃しねーよ。そもそも女が敵にいねーからこそ、仕事を引き受けたんだ」


 いいんだよ、もう仕事なんか。女のためだけに命張るのも、たまには悪かねーだろう?
mae ato

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