ナマエという労働力を逃がさないために狸というリスクを受け入れ、一旦問題を先送りにしたところで、おおよそナマエの鹿の解体が終了した。皮の上に並べられた肉はブロックごとに分けられ、骨やツノは何かに使えるように仕分けされている。


「とりあえず終わったよ。あ、これありがとう。返すね」

「やる。持っとけ」

「……いいの?」

「テメーの方が使う。それで存分に成果あげやがれ」


 ナマエが借りたものを返そうとしてきたので、千空はそのまま石器ナイフをナマエに押し付けた。狩りをするうえで、今後もナマエが色々解体する機会はあるだろう。
 ナマエの方も刃物を持たれるのが危険だとかそういったことを今更言ってきたりはしなかった。返事に少しそういった躊躇いがあったようにも思えたが、千空に対し、何度も同じことを言う必要はないと判断して言葉を飲み込んだようだ。


「助かる〜。ありがとう」

「さっさと焼くなりなんなりしねえとな。無駄に傷むぞ」

「ですねぇ。冷燻したら多少持つから、少し冷燻しようか」

「……狩りしかしてねえわりに冷燻してたのか? 塩漬けじゃなくてかよ」


 冷燻とは、燻製の方法のひとつで、15℃〜30℃ほどの低い温度で肉などを燻すことだ。普通にイメージされる燻製は熱燻と言って風味付けがメインだが、冷燻は肉を長持ちさせるためには簡単な方法の一つだ。簡単とはいえ、低温であるため燻すのには時間がかかる。第一どうやって火力調整をしたのだ、という問題もある。
 その点塩漬けは簡単だ。ざっくり言えば、塩を塗してしまっておけばいい。出てきた余分な水などは捨てる必要性があるが、燻しのように見張っている必要はない。本来は塩漬けにした上で燻製が出来れば一番だが、千空にはそこまでする余裕はなかった。


「わはは、まあね。鹿一体狩れば一人分の肉が何日分になるかって話じゃない? だから傷まないようにやらざるを得なかったんだよね。結構失敗もしてるけど、それなりにはなったよ」

「……成功してんのか」

「これは正直、わたしのお腹が強靭になってる可能性もあるから、何とも言えないところなんだけど……とりあえず腐ったりはしてないと思う」


 言ってナマエは腰から下げていた革袋から、燻されたと思われる肉を取り出した。千空に手渡されたそれは、確かに変なにおいもしなければ変な汁が出たり、カビが生えているふうでもなかった。


「これは何日経ってる?」

「大体二週間くらいかな。さすがにそろそろ食べきりたいと思ってるとこ。下痢とか、下手したら死ぬでしょ?」

「ククク、食中毒はこえーぞ。ここじゃあ簡単にお陀仏だ」


 千空が笑うと、ナマエは引きつった笑みを浮かべた。大方自分が下痢塗れで死ぬところでも想像したのだろう。ナマエが手に燻製肉を持っていると、狸──ポンちゃんと呼ばれていた──がじいっとその肉を見つめていた。


「ポンちゃん、さっきくず肉食べてたよね。これは人間の分だからダメだよ〜」

「……こいつが匂い嗅いで食おうとしやがったら大丈夫なんじゃねえのか?」

「千空くんさらっと毒見させよとしてるけど、そもそもポンちゃん生肉食べれるから無意味だよ」

「そうだった……ダメだな。多少腐ってても食べちまう」

「たぶんね。お腹の出来に関して言えば、人間よりたぬき様のが強いと思うよ」


 なんとも悲しい話を終えたところで、千空とナマエは移動を開始した。ナマエの隣でやっていた千空の作業も終わっている。あとはとりあえずご馳走を食べることと、それなりの保存食を作り、今後に備えることだ。
 燻製について話しながら歩き、二人はベースキャンプへ戻ってきた。明るい中で拠点を確認していたナマエが、ぽつりとつぶやいた。


「今更気が付いたけど、千空くんめっちゃ土器作ってるね……?」

「たりめーだろ。鍋もなきゃ皿もなきゃ何にもねえんだぞ。人間様には不便すぎて生活できねえわ」

「その不便すぎる生活を送ってきた人間が隣にいるんですよ……」


 ナマエが遠い目をしている。器になるものがなかったとなれば、ナマエは塩を作ることもできずに塩水をかける程度でしか味付けもできなかっただろう。肉の味しかしないのもたまにならいいが、飽食の時代に育った現代日本人に素材の味付けだけというのはなかなか酷な食生活だ。


「こっからは使いたい放題だ。好きなだけ使え」

「いやほんと、マジで、うれしい。ありがとうね……。料理が食べられそうで、うれしい……千空くん天才……」


 ナマエがサムズアップして、喜びをあらわにした。よっぽど食生活はつらいものだったらしい。ナマエは千空に許可を取りながら土器を使って調理をしていく。料理や調理は三か月の間にできなかったとのことなので、もともと料理をする人間だったのだろう。
 千空が燻製の準備をしている横で、スープを作り出したナマエが鍋を混ぜながら、「あ」と何かに気が付いたように声を発した。


「そういえばわたしも聞きたいことがあったんだよね」

「何が聞きたい?」


 昨日会ってから今まで、基本的に質問攻めしていたのは千空であって、ナマエがあれこれと聞いてきたりはしなかった。あまり自己主張が強いタイプではないのだろう。千空自身が自己主張が強いタイプなので、ぶつからなくてよかったと考えるべきだろうか。だが初対面の他人である以上、察してほしいは通じない。何か意見や思うところがあれば必ず口に出してもらう必要がある。そう考えれば、これはいい機会だろう。
 何が聞きたいのだろうか、千空は考えを馳せる。千空がこうしていろいろと物を作れていることだろうか? 千空ならば自分が思いつかなかったことなどについて聞きたくなる。というか、実際にナマエにそうして色々聞いている。だから似たようなことかと考えたのだが、ナマエの質問は、予想外のものだった。


「わたし、石化前に死にかけてたせいで、どっちかっていうと石化前の方が知識が曖昧でね。石化前のこと教えてほしいんだけど、いいかな?」



mae ato
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