いつぞやの設定から



昔から、変なものをよく見る。祖父が言うにはそれは人には見えないはずの妖怪≠ニ呼ばれる存在だそうだ。


伸びた影が不自然に膨れて不規則に揺れ動いた。踏み出せば小さな悲鳴を上げて影は元に戻る。「恐ろしい人の子だ」震え声が微かに聞こえる中、影の持ち主は背後に一瞬視線をやって黙々と歩き進めた。

忌々しい人の子め。危うく踏み潰されるところだった。ビクビクと電柱に隠れてやり過ごしていると体は宙を浮いた。唐突な浮遊感に何事かと驚き慄けばじっとこちらを見つめる双眸が目の前にあった。深く底なしのような黒い色の瞳に覗き込まれ持ち上げる手ひらと同じぐらいの体躯がひいと震えあがる。
「あれを脅かす者か?」
「お、下ろしてくれ!頼む!」
「あれに二度と近づくな。去れ」

周囲の細々とした気配を感じ取り、現状の様子から確信を得る。あのような小さな者が近付ける程に『弱まっている』。どうしたものかとめんどくさそうにため息を吐いて先程より遠ざかった背中を見やる。(ああ、うまそうだ)そして面影の見えない背中を追いかけた。


付かず離れずの距離が保たれたまま制服姿の女と男は同じ家の扉を潜った。只今帰りましたと挨拶する男とは対照的に女は無言を貫きながら靴を抜き捨てて上がる。廊下の奥から出迎えるように人が現れるその前に二階へ駆け込んで行った。「おかえり〜」雑に転がる靴を揃える男に挨拶を返すその人は階段を見上げて頬に手を当てた。それに倣うように男も見上げていると「あ、そうそう!回覧板届けにちょっと行ってくるわ」ニコニコとたたきに残されたサンダルに履き替えておやつが冷蔵庫にあるからと言葉を添えて引き戸は閉じられた。
階下の音が伝わってそれとなく外出を知ると閉じていた瞼を持ち上げる。並び合った写真立てを見つめて強張った肩の力を抜いた。今日も息苦しくて疲れたよ。手を合わせた仏壇から嗅ぎ慣れた線香の匂いが漂い始め深く呼吸をする。そして脱力したように背中から倒れると癖のある毛先をした髪が畳に広がった。(やっと落ち着ける)座布団から転がるように寝返る少女いづるは目を閉じた。(おじいちゃん・・・)行方知れずとなった祖父の姿を思い描けば線香の匂いが強まった気がした。


「うまそうだ」涎を啜る嫌な音を響かせて大きな口がぱかりと開く。人ではないなにか、獣ともちがうなにかに襲われるのは常で、こわくてこわくて泣きわめく日常は祖父と出会ってから変わった。ずっと泣き続ける私のせいで疲弊しきった母を思い、父は遠くで暮らす祖父の元に私は預けられ、恐ろしい世界をやさしくしてくれた人は私と同じだった。
大きなお屋敷で気味の悪いものと暮らす人の元へ一緒に赴いてしばらくした頃に真っ黒い男の人を祖父は私に会わせた。小学校に上がる前の私より年上の不思議な青年はその日から私たちの暮らしの中に溶けない色を纏わせたまま入ってきた。そして今も私の後ろにいる。祖父を奪ったそいつは何一つ変わらずに私の後ろにいる。


廊下にまで香る線香に意識を留めていたがはっとして家を飛び出した。すかさず左を見やれば塀の上でくつろぐ猫を眺めるその人は回覧板を届けてくると今しがた出かけた女性。見慣れない姿かたちをした猫を珍しげに見つめる目は柔らかった。そこへ一歩足を踏み出すと丸まった体がビクッと跳ね上がりこちらに鋭い感覚を飛ばしてくる。強い警戒をこれでもかと飛ばしてくる姿を細めた目で受け止めた。(ここまで近付けるのか)効力が弱まっている状況を改めて目の当たりにする彼を、威嚇する猫の視線の先を辿って気づいた女性は目をぱちくりとさせた。「ナギトくん」猫から視線を外してにこりと笑いかければ女性も釣られて笑んだ。
「お腹空いちゃいました」
「おやつだけじゃ足りなかった?やっぱり男の子ね」
くすくすと楽しそうに笑う女性が横を通る際にちらりと一瞥をくれる。大人しくじっと見つめる目と合うが気にせず背中を向けた。(・・・転入生の匂いがしたな)すこし前に会って困らせた、勝気な顔とは正反対の少年を思い出した。



(転入して間もない頃の、ニャンコ先生に会う前の夏目と対面している)
(その時に名前を返してくれと言ったけど何言ってんだこいつと困らせました)

19.07.04 17:56 natsume(bun)
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