うっそりしている私に向けて気晴らしになるから、なんて体の良い言葉で掃除当番の代わりを頼まれた。「バイトの時間 早めに入らないといけなかった」渋る私の逃げ道を塞いだこっちが本音らしい。ここまで言われちゃあしょうがない。一つしかない選択肢を引き受けて放課後の校舎を抜けて担当場所の中庭に赴いた。
使い込まれた竹ぼうきを握りしめて落ち葉を集める作業をのんびりと進める。すると「ブニャン」聞こえた鳴き声を探せばすぐ下でお座りの状態でこちらを見上げている――特徴的な模様のノブナガと目が合いもう一度鳴いた。自分に興味を示したと目の前の人間に長いしっぽを足に絡ませるように摺り寄せる、その可愛さに堪らず笑みを浮かべて手を伸ばした。差し出される手にも顔を寄せてゴロゴロとご機嫌な音を立てその場でふくよかな体を横たわらす。お腹を見せる姿に更にニマニマと口元が正直に動く。かわいいなぁ。「うりゃうりゃ」手にしていた竹ぼうきをノブナガから遠ざけるように置いて、掃除をサボる形で屈んだ私は可愛さを目一杯堪能していた。

(どっちが遊ばれてるんだろ)

「飴谷さん?」

がしっと四つの手足によって抱きすくめられた手には爪が少しだけ食い込んで痛かったがそれでも気分はいい。ふふっと声も出さすに笑っていると後ろで落ち葉を踏みしめる音を聞いたあと、声をかけられた。予期していないことでもあり色々と思うところもあって悩んでいたという事実が心臓を大きく揺らした。さっと振り返れば不思議そうにきょとんと首を傾げる一ノ瀬くんが竹ぼうきを片手に近寄ってくる。「あっ部長と遊んでたんだ」サボりの現場をのぞき込むようにして一ノ瀬くんはくすりと笑った。

「ははっ、かわいくてつい」
「うん。かわいいね」

同じような格好で隣に並ぶ一ノ瀬くんは照れた言葉に同調してくれた。「構いたくなる気持ちわかる」体を起こして伸ばされた手に額を擦りあわせるノブナガにふわりとやわらかい笑みを目元に浮かべている。その横顔にドキッとしたのを誤魔化すように「だよねー!」と明るめの声で返した。

「そういえば『部長』って呼んでるんだね」
「友達のをマネてそう呼んでるんだ」
「へぇそうなんだ。・・・あっそしたら私も同じだな。私も他の人が呼んでた名前を使ってるし」
「どんな名前?」
「『ノブナガ』。なんかドラマ?でこの髪型そっくりの人がいてそこから付けたらしいよ」
「・・・・・・あーたしかにちょっと似てるかな」
「一ノ瀬くん見てるの?」
「きちんと見たことはないけどそれは何か知ってる」

ここでお互いそのドラマを完璧に視聴していたら盛り上がれたかもしれない話題はあっという間に終息した。ブニャブニャ。撫でられて嬉しそうな鳴き声が近くの部活に勤しむ音と一緒になって沈黙が漂う私たちの間を通り抜ける。(・・・急だからかな)この空気はくすぐったくてはずかしい。それと嫌じゃないのにここから逃げ出したくなる。嬉しいのに気まずい。色んな感情がないまぜになって、途切れた会話を何とかしようとしても言葉を詰まらせていた。(もう何でもいいか)一ノ瀬くんの手の先をがぶりと甘噛みしてじゃれ合うノブナガを眺めながらもう何だっていいやと投げやりに思う。ぐちゃぐちゃな気持ちもなんでここにいるのかという疑問もどうでもいい。

(ただこうしてそばにいれるだけでもいいか―――)

そっと盗み見た、つもりがばっちりと視線が合い呼吸を飲み込んだ。途端に頬に上る熱を感じて思わず目を伏せる。・・・・・・前のようにはできないな。回らない頭はこの場の対応を諦めた。
この空気の変化になるキッカケが掴めない代わりに指先でノブナガの顎を触っていると「、あのさ」呼びかけられて隣り合った一ノ瀬くんを素早く見ると言いづらそうに逡巡していた。けれど重なる瞳に言う決心がついたのだろうと話し出すのを待った。

「この前・・・・・・校舎の窓から飴谷さんを見かけたんだ」

この前。校舎の窓。この二つの言葉に引き起こされる記憶は心臓が激しく暴れ出した。(やっぱり一ノ瀬くんにも見られていたんだ!)何か弁解のようなことを言いたいのに蓋から飛び出した羞恥の数々に目を瞠ったまま固まった。顔全体に集中した熱を気にする余裕はなかったけど僅かに眉を寄せる一ノ瀬くんを見て慌てる。

「っ、ああ! あの時ね! あれは気にしなくていいよっ! 一ノ瀬くんには関係ないし!」
「・・・・・・・・・・・・」

(気にしてくれるなんてやさしい! だけど触れて欲しくない!)

よみがえってきたこの羞恥を何とかやりすごそうと目をぎゅっと瞑る。同じようにして握りしめた拳に冷たい感触を感じてノブナガの肉球を思い浮かべた私はほんの少し落ち着けた気がして目を開いた。「――!??」また強張る手の甲には低い温度を溶かすように、一ノ瀬くんの指がそっと触れていた。

「・・・・・・関係ないとか・・・・・・」
「えっ?」

よく聞き取れなかったつぶやきに驚きから抜け出して見上げると、何でそんな顔をするのだろうと戸惑った。(やめてよ)また期待して恥じるからそんな顔は・・・・・・
ざわざわと嫌な鼓動が体の中心から響いている。それでも一ノ瀬くんの目を逸らせなくて。その嫌な鼓動の中に紛れ込んだ淡い気持ちを見つけて、知らず知らずのうちに固唾を呑んでいた。
痛みを耐えるように歪んだ唇からやがて「なんで安堂といたの・・・?」と、・・・・・・・・・ん??
問われた言葉の意味がわからなくて素っ頓狂な声を上げた。

「へっ? 一人でいたよ?」
「え?」

ううん? あれれ?
お互いに首を傾げてどういうことだと視線を投げ合う。唐突に出てきた安堂の名前に思い当たる節はない。だってあの時は私ひとりだった。なのにどうしてここで安堂?
どこかで行き違った話の原因を先に突き止めたのは一ノ瀬くんだった。「その時じゃなくて、」そう言いかける直前。一ノ瀬くんの奥からこちらに向かって来るボールが見えて「どこ蹴ってんだよーっ!」誰かの咎めた声が耳に届くよりも早く体が動いた。あっデジャブだ

「あぶない!」

一ノ瀬くんの肩を後ろに押しやって飛んでくるボールを伸ばした腕で弾いた。しかしバシンとぶつかった衝撃を全部は受け止めきれなくてボールの軌道を沿うように体は傾く。地面に倒れる、それを予測していたがぐいっと逆方向に手を引かれて反対側に倒れた。砂埃の立たない状況を安堵するものの、上から聞こえた詰めた息を吐き出す小さな音をすぐには正しく理解できなかった。だからドクンと肌に伝わる知らない音に顔を上げて目を見開く。見開いた目の中に驚きの表情をした私が映るほどに、一ノ瀬くんも驚いていた。

見つめ合って。腕の中にいるのを忘れるくらい、見つめ合って。

「すいませーん」

入り込んだ声に慌てて距離を取り、「大丈夫ですか?」ボールを間違えた方向に蹴った部員に大丈夫ですと返した。大事ないことを確認すると拾ったボールを持ってほっとしたように戻って行く。
再び訪れた静けさに時間差でさっきのことが顔を熱くさせる。

(咄嗟に動いて庇ったけど、)

「ほんとに大丈夫?」
「っえ?」
「ごめん。また・・・」
「ぁ、いいんだよ! 腕も全然痛くないし、大丈夫だよ!」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

ブニャー。いち早く危機に気付いたノブナガが遠くで鳴いているのを見つけて少しだけ気が紛れて笑った。「さてと、掃除終わらせちゃおっか」できるだけ自然に言って立ち上がる。何てことないように。

「じゃあ袋持ってくるね」
「、飴谷さん!」

向けた背中に呼びかけられて振り返ると、呼んだ本人は立ち上がって困惑が抜け切れない視線を地面に落としていた。(気にしないでほしいな)だけど気にしちゃうんだろうな。一ノ瀬くんは優しいから。
何てことないように。ちくりと胸に針が刺さったのを無視して笑い飛ばした。

「ハハハっ! そんなに気にすることないよ! 泣くほど痛くないし、むしろ受け止めてくれてありがとーってカンジだし! 思わぬ役得ってやつだよ!」
「っ」
「アハハ! 冗談だよ! ――まぁとにかくそんなに気にしないで大丈夫だよ」

今度こそその場を離れて、せり上がる感情を深呼吸で抑えた。(何だったんだろう)ひとつひとつの挙動に振り回されて、こんなにも切なくなって。あの視線、あの問いかけ、あの指先、――最後の困った顔。どう解釈すべきなんだろう。

(わからない。わたしは)

どうしたら。―――答えは見えるような。見えないような。



06.少女はめがねを探す為にめがねをかける
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