アールグレイ
最近背中がチクチクする。後ろを振り向くと、必ず宮くんがいる。……自意識過剰だよね?私はそうやって納得させて、気付かないふりをしていた。もしかして、また下着忘れたのではないかと、心配されているのかな。宮くん心配ありがとう。最近はちゃんと毎日つけてるよ。心の中で返事をしておこう。
「ぎゃあああ。名前ちゃんだいじょうぶ!?」
「だ、だいじょうぶ……」
「大丈夫やないよ、全然!こらぁ、男子!」
コラ、男子!なんて久々に聞いた。やんちゃな男の子は中学までかと思っていましたよ。頭のてっぺんから、つま先まで私はべしゃべしゃだった。めっちゃ濡れていた。体操服が身体に張り付いて、気持ちが悪い。何か知らないけど、奉仕活動なのか、たまにある全生徒でお掃除をする時間のはずだった。決して水遊びなどの時間ではない。十月入る前、ギリギリ九月だけど、それなりに肌寒くなる季節だと思うんだけど。なに、この仕打ち。私はもくもくと下駄箱の、砂を掃いていたはずなのに、近くの水飲み場を掃除していた男子のおふざけに巻き込まれた。
「名字さんとりあえず保健室行っておいで」
「はい」
委員長の言葉に頷いて、私はのそのそと外から保健室へ向かった。保健室は外からでも入れるはず、記憶が正しければ……そんなに保健室にお世話になってないから、分からないんだよな。中庭を通って保健室へ歩いていると、後ろからすごい足音がした。ダダダって感じの、足音がした。道の隅によって、私は避難した。危ない危ない。このまま誰かとぶつかって転んだら、泥だらけになっちゃう。
「名字さんっ」
「うわっ」
「はあ、はあ」
「み、宮くんどうしたの」
「……」
すごい勢いの足音は私の隣でぴったり、と止まって、思い切り肩を掴まれた。大きい手のひらと熱にびっくりしていると、宮くんは怖い顔をして私を見下ろした。苛立ったように眉間に皺を寄せて、自分の着ていたジャージを私の肩にかけたと思ったら、そのまま丁寧にジッパーまで上げてくれた。宮くんの行動に戸惑うことしか出来なくて、瞬きを繰り返していると、宮は居心地が悪そうに視線を逸らした。そして、ぽつりと口を開く。
「名字さん色々と丸見えや」
「……!」
「はぁ……、保健室まで一緒に行こ」
「え、でも、宮くん掃除は」
「俺の持ち場は終わったから」
「は、早いね?」
「ん、まあ」
歯切れの悪い宮くんに首を傾げていると、宮くんは痺れを切らしたように私の腕を引っ張った。どうやら、宮くんは急いで保健室に行きたいらしい。
さすが運動部と言うべきか宮くんは保健室に慣れていた。眠たそうな目の印象からは想像できないほど、手際よく動く様子に私は何もできなかった。宮くんが洗濯機を操作している間、私は宮くんが渡してくれたバスタオルで濡れた体操服や髪を大人しく拭いていた。保健室に洗濯機ってあったんだ。知らなかった。あ、でも、洗濯機ないと保健室のベッドのシーツとか洗濯できないよね、なるほど。一人で保健室の仕組みについて納得していると、宮くんが振り返った。宮くんは洗濯機の操作出来るんだね、意外と家庭的なのかな。洗濯機は保健室の一番奥にある。宮くんは外から隠すようにカーテンを引いて、そしてベッド側のカーテンも引いて完全に二人きりの空間が出来た。
「名字さん脱いで」
「え?」
「濡れとるもん、全部」
「え!?む、無理だよ!」
「着替えあるん?帰りノーパンでもええなら、別に俺は構わんけど」
「……」
え、あれ、宮くんってこんなに威圧的だったっけ……?もしかして、私の苦手な宮くんだったのかな。いや、でも、そんなはずは……恐らくないと思うんだけど。でも、なんだろう。別に私は好きでこんな水浸しになったわけではなくて、確かにジャージ貸してくれたことは有難いし嬉しいけど、でも、なんか、そんな責められるような、言い方されると凹む。しょんぼりする。私は自分の、若干湿っているだけの、くるぶし靴下のつま先を見つめた。たぶん、靴下が唯一無事なのかも。私はジャージを脱いで宮くんに押し付けた。
「名字さん?」
「後は自分でやるから、宮くんは先戻って」
どっちの、宮くんでもいい。だって、私別に悪くない。巻き込まれた、だけなのに。バスタオルをジャージ代わりに羽織ってみるけど、ぶるりと身体が震える。あ、寒いと思ったとき、急に温かくなった。
「ひい」
「ごめん、名字さん。完全に今の八つ当たりや、ごめん」
「???」
宮くんの行動も、言葉も一つも理解できない。後ろから抱き締められている?誰に?宮くんに?誰が?私が?
「あ、あの」
「名字さん無防備過ぎやもん。あんな格好でうろうろしたら、あかん。名字さんの所為やないって分かっとっても……ムカつく」
「???」
もう何も理解出来ないまま私は宮くんの腕の中で、もぞもぞと動こうとするが動けない。むしろ余計に宮くんの腕の締め付けは強くなる。なんか昔映画で見たことがあるぞ。抵抗すればするほど、だめなやつ。やられちゃうやつ。それだろうか。
「あの、みやくん」
「はあー……名字さんいい匂い」
「!」
ぎゃあああ。まって、いまの、いまの!あれだよ、えっと、イケメンじゃなかったら許されないやつだ!濡れた髪に顔を埋められている気がする!私はやられようが関係ないと、宮くんに抵抗し始めた。見っとも無く顔を赤くして暴れ始めた私に宮くんはバッと素晴らしい動きで私を解放してくれた。なんか、おかしい。身体が熱い。全然寒くない。宮くんから距離をとって、私は今度こそ振り返った。そこには気まずそうに顔を赤くした宮くんがいた。あ、やっぱり苦手じゃない、宮くんがいた。たぶん。
「あ、の宮くん?どうしたの?」
「あー……いや、ごめん。ほんま、ごめん。俺名字さんで抜いてから、変やねん」
「え?」
「エ?」
「……」
「だ、だめだよ!宮くん冷静になって!絶対洗濯機の中に宮くんは入れないよ!」
形の綺麗な目をまん丸に開いたと思ったら、宮くんは洗濯機の中に顔を突っ込んでそのまま潜り込もうとする。無茶だよ。無茶過ぎるよ、宮くん。私はそんな宮くんの腕に抱き着いて、ぐいぐいと引っ張る。びくっ!と大袈裟に宮くんの身体が震えて、宮くんはそのまま蹲ってしまった。怒涛の展開に私は疲れて、そっと宮くんの頭にジャージを掛けておいた。きっと穴にも入りたい気分だろう。今の内に……、私の我慢も限界だった。じめじめとした濡れた衣服をずっと着ていられるような精神力はない。カーテンで閉め切った空間とは言え、隣にクラスメイトの男の子がいる。一応背を向けておこう。
「……名字さんもういい?」
「う、うん」
私はバスタオルを雪ん子のようにして、宮くんと同じようにしゃがみ込んだ。一応距離は取っておく。宮くんはそろりと顔を上げて、きょろきょろと目を動かして私を見つけると目を大きくして逸らした。
「あかんわ……、名字さん」
「そう言われましても、ノーパンで帰るわけにはいかないので」
「……せやけど」
宮くんは両手で顔を隠してはこちらをちらり、顔隠してちらりを繰り返して大きくため息をついた。言わないけど、ため息をつきたいのはこっちだよ。私はごうごう、と大きな音を立てる洗濯機の音を聞きながら、壁に凭れ掛かる。カーテンを引いてると言っても、窓際に凭れ掛かる勇気はない。しゃがみ込んでいるし、丁度いい。なんか、疲れちゃったな。
「あのな名字さん」
「うん」
「さっきの、名字さんで抜いた発言の件なんやけど」
「ええ、それ掘り返すの?せっかくスルーしたのに」
「スルーって、名字さんスルーできるもん?クラスメイトの男子から、自分で抜いとるよって言われて」
「ええ、宮くんにしか言われたことないから分かんないよ」
「いや、……俺が言うのもなんやけど、言われたとったらやばない?」
「う、うん、そうだね……。でも今の私逃げ場ないって言うか、気まずくなるの嫌だなと思って」
「……名字さんは」
「?」
「俺のこと、どう思ってる?」
宮くんはじっと私を見つめてきた。茶化すこともなく、呆れることもなく、真っ直ぐに見つめられて私は口ごもる。何と言えばいいのだろう。だって、冷静に考えたら有り得ない状況なんだと思う。そもそも、宮くんが有り得ない状況を作る原因な気もする。でも、別にその有り得ない状況が嫌だという訳ではない。戸惑いは、するけど。それに宮くんはいつだって、優しい。私を助けてくれた。
「優しいって、思う」
「……俺は優しくないよ、名字さん。自分のためや」
「え、えーっと、よく分かんないけど、宮くんが自分のためって行動してたとしても、結果的に私は宮くんに助けられてるし、助かってるし、……嬉しい、よ?」
宮くんがきっかけでクラスで普段話さない女の子とも、仲良くなれたし。悪いことは特にない。むしろ良いことしかない。すっかり落ち込んでいる宮くんを放っておけず、私は宮くんの頭に手を伸ばした。乱れた前髪を直しながら、もう一度繰り返した。
「宮くんは優しいよ」
「……」
「す、少なくとも私はそう思う、思います」
「……名字さん」
「ひい」
しまった。やらかした。出来る限り腕を伸ばして宮くんに触れたつもりだったが、宮くんのリーチとは比べ物にならないらしい。高身長め……。真正面から男の子に抱き締められたら、どうすればいいんですか。私は自分の両手をどうすれば、いいんだろう。天に向かって伸ばしているような両手の先に視線を逃がすと、蛍光灯の光が眩しくて軽く涙がにじむ。「好き」はい?なんか右京さんみたいな声出そうになった。相棒の右京さんみたいな、声出そう。宮くんは少し距離を開けると、私を見つめて繰り返した。
「好き。俺やっぱ名字さんのこと好き」
「……何がどうなったら、そう言った結論に?」
「分からんけど」
「!」
「名字さんのこと可愛いと思うし、俺以外に無防備なところ見られたくないなって思うし、名字さんとキスもセックスもしたいって思うし」
「……」
羅列された言葉に私の口からは何も出てこなかった。頭が理解することを拒否している。宮くんは自分で納得するように頷いて、私の抱き直した。
「やっぱ、俺名字さんのこと好きやわ」
「ひえ」
「名字さんは俺のこと好き?嫌い?」
まさかの二択。追い込まれている。あっちにふらふら、こっちにふよふよ視線を泳がしても誤魔化せない。どうしよう、困り果てたように宮くんを見上げて、喉が引っかかる。宮くんは私の答えを待っていて、逃げられない。
「めっちゃ唐突なのは分かっとるんやけど、……けど、名字さんの今の素直な気持ち訊かせて」
「ええ」
「何でもええから」
「えーっと、……宮くんのことは嫌いじゃないけど」
「名字さんは好きでもないヤツに大人しく抱かれる子なん?」
「ええ、逃げれないだけ、だよ」
弱弱しく言い返せば、宮くんの腕は分かりやすいぐらいに緩む。後ろに踏み出したただけで、きっとこの腕から抜けれるはずだ。
「名字さん逃げへんの?」
「……」
分かっている。ここで逃げれば、何もかも丸く収まるって分かっているのに。私は顔を熱くして俯くことしか出来なかった。だ、だって、宮くんみたいなイケメンで優しい男の子に好きだって言われて、悪い気はしない。でも、その抜くっていう性欲と好きって気持ちは完全に一緒なのか、一体なのかと問われれば違う気もする。分からない。分からないよ、宮くん。何にも答えない私に痺れを切らした宮くんはまた私を強く抱きしめた。その温かさと、軽い圧迫感が好きだと思った。
「名字さん逃げへんの?」
「……だ、だって、宮くんはかっこいいし、優しいし。イケメンだから許されるって言うか」
しまった。イケメンよりかっこいいの方が誠実感出るかなって思って言い直したのに、余計な一言を言ってしまった。
「いや、ね、私こんな現金な奴だから、ほんと」
やっと決まった。何がかはよく分かんないけど、私は宮くんの胸板を押して逃げようとしてみるが、何故か宮くんは逃げしてくれない。
「じゃあ、侑に抱き締められても同じこと言える?」
「……あっちの、宮くんが、私を?」
「あっちって、言い方」
「恐ろしいよ!想像するのも恐ろしいよ!」
「なんで?俺と同じ顔やから、イケメンやないの?」
「え、ええ、……」
目を瞑ってあっちの宮くんに抱き締められる想像をしてみるが、できない。全てモザイクがかかる。目を開くと、宮くんと目が合う。宮くんの、腕の中に私はいる。それは嫌なこと?
「名字さん俺のこと好きって言ってみて」
「ええ?」
「実際に言ってみたら、実感することあるやん。治のこと好きって言って」
「え、えっと」
「名前のこと好き」
「……」
「ほら、名前も言って」
こつん、と宮くんの前髪が私のおでこをくすぐる。バスタオルたった一枚越しに、抱き締める腕が強くなる。熱くて、力強い。みや、おさむくんに名前って呼ばれても、嫌な感じしない。馴れ馴れしいとか、思わない。どきって、心臓に悪いけど、嫌じゃない。こんなに近くに、男の子の顔がある。あの日、初めて電車の中ですごく近くなったときも、嫌だとは思わなかった。気まずいとは感じたけど。急かすみたいに、ねだるように治くんの大きな手が私の背中を撫でる。熱に浮かされたみたいに、私は治くんの首に腕を回して抱き着いた。
「あ」
「好き。治くんのこと、好き」
一回口に出すと、止まらない。治くんの匂い、好き。優しいところ、素直に優しいって言えないとこも好き。結構素直でただ男の子っぽいところも好き。突拍子もないところはよく分かんないけど。治くんのうなじにキスがしたいと思った。だめだ、私も変態だ。
「あの、名字さん」
「好きです」
「……」
「ごめん、治くん見てたら口から勝手に出る。変なの」
距離を開けて見つめ合うと、ぽろっと零れる。治くんは赤い頬も隠さずに嬉しそうに笑うと、そのままキスをした。びっくりしたけど、気持ちがいいから、いいやと思って私は目を閉じた。閉じた……けど、長くないかな?そこまでキスの経験があるとかではないけれど、長くないかな?ちょっと様子を見ようと唇を離そうとしても、治くんが追いかけてくる。喋ろうとして開いた口も塞がれてしまう。摩擦熱起こるんじゃないかなと思うぐらい、唇を重ねていたら、治くんの手が動き出した。流れに身を任せたら、胡坐をかいた治くんの上に座らされていた。ずる、と呆気なくバスタオルが落ちて私は悲鳴を上げそうになるが、器用にも治くんに塞がれた。
「んー!んー!」
「……」
まって。学校で全裸はやばい。無理。治くんの前で、無理。治くんは隙間を埋めるように、ぴったりと胸をくっ付けた。
「え」
「動かんといて」
「う、うん?」
なんだろう。肩にかかった感覚はバスタオルよりもしっかりしていて、治くんの言う通り腕を通して、互いの距離を少し開けてもぞもぞとジッパーを閉められた。「よし」そんな声がして、治くんはひょいっと私を抱え直した。
「なんか感動するわ。素肌に彼ジャーって」
「……」
目を輝かせて無邪気に笑う治くんは可愛い、非常に可愛いんだけれども、私は複雑だった。あ、そうだ。今度こそ、ちゃんとしないと。
「治くん」
「うん?」
「ちゃんとジャージ洗って返すから!」
「……」
「何で首を横にふるの!」
何気なく治くんが言った彼ジャー、という言葉には気付かないまま私は無言で頑なに首を横にふる治くんと格闘していた。まだまだ洗濯機の音は鳴り止まない。もう少し治くんのジャージのお世話になりそうだ。
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