壱
尾白アランには中学の頃から交際している女の子がいる。高校生になって、年頃になって、ふたりの身体をひとつにすることも自然の流れだった。手を繋ぐだけで、抱き合うだけで、互いにたじたじになっていた頃が懐かしいと思うほどだ。尾白は白くて柔い生き物を目の前にして、困っていた。尾白とは対照的に白い肌を白いシーツで隠して、尾白の恋人こと名字名前は不満気に唇を噤んでいた。二人は事後だったので、彼女の髪は軽く乱れていた。また対照的に乱れることの知らない尾白は自分の頭に手をおいて、彼女の顔を覗き込む。
「もっかい」
「あかん」
「アンコール」
「言い方変えてもだめやって」
「アンコールアンコール」
「増やしてもあかん」
至近距離の言い合いでも照れなくなったのはいつからだろう。それでも、彼女は目の前の厚い唇を見ると、すぐにキスをしたくなる。下着しか身に付けていない尾白の逞しい胸板を彼女は遠慮がちに、触れる。長い付き合いの癖におねだりを変な言い回しや、仕草でしか伝えれない彼女が尾白にとってはツボだった。なんだか、無償に可愛いのだ。尾白は彼女を抱き上げて膝の上にのせると、そのまま彼女の唇に塞いだ。彼女は唇同士を触れ合わせるキスが好きなので、小鳥のようなキスを何度も繰り返した。
「アランくん」
「うん?」
「好き。もっかい」
「懲りんヤツやなぁ」
言葉の割に尾白は彼女のしつこいおねだりに優しく笑っていた。彼女の足の間に指を潜らせて、さっきまで尾白を受け入れていたところを撫でる。くちゅくちゅと音がして、彼女は首を横にふる。それじゃない。違うよ。アランくん、私が欲しいの、して欲しいの、それじゃない。濡れた音がして、彼女の中に尾白の長く太い指が入ってきた。彼女は高い声を上げながら、繰り返し首を横に振った。アランくん、違うのに。涙を浮かべて彼女に見上げられた尾白は困ったように笑って、彼女の好きなキスをして、彼女の弱い首に吸い付いた。分かりやすく彼女の中がひくひく、と反応し出す。
「や、だ……ちが、うのにっ」
「すまんなぁ、名前」
「うっ、やあ、あっ」
「これで我慢しい」
「あら、んくんの、やぁっ、んんっ」
弱いところ攻められた彼女は呆気なく達してしまう。尾白の腕の中で彼女は恨めしそうに尾白を睨み上げる。尾白は彼女の中に入れたままの指を動かした。
「ひっ、なに、するの」
「足りひんのやろ?いっぱいしたるから、な?」
「ちが、あっ」
彼女は尾白の腕の中で快感に溺れながら、心の中で舌打ちをする。また今日も失敗だ。この後の結末はいつもと変わらない。尾白の指で散々いじめられて、寝落ちしてしまう。そして、目を覚ますと尾白が甘い甘いホットミルクを作ってくれて、また尾白の腕の中で過ごすのだ。
「甘すぎやった?」
「いつも通り美味しいです」
尾白の足の間で大人しくマグカップに口を付けている彼女は不機嫌を隠さずに、素っ気ない反応を返した。彼女の髪を撫でて、キスをして、白い背中に吸い付くと彼女の肩はびくっと揺れる。
「ちょっと、アランくん」
「つけてへんって」
「なら、いいんだけど」
「……」
「んっ、ちょっと、ホットミルク飲みづらい」
「つけへんのやったら、ええんやろ?」
尾白の色っぽい低い声で囁かれて、彼女は頬を真っ赤にした。ちゅ、ちゅ、とリップ音が響くだけの空間に彼女は耐え切れなくなり、ちびちび飲んでいたホットミルクを飲み干してしまう。
「もー……、なに、アランくん背中が好きなの?」
「名前なら基本何処でも好きやなぁ」
「……」
調子のいいことを。彼女は口をへの字にして、尾白の腕から抜け出した。適当にベッドの下に落ちていた自分よりも大きい尾白のTシャツを頭からかぶる。これでどうだ、彼女は尾白の方を向き直った。ふわふわと、ワンピースの裾のように揺れる。彼女の可愛いらしい抵抗に、尾白は小さく笑う。彼女の手からマグカップをとって、ローテーブルへ置く。そのまま彼女の腕を引いて、とん、とベッドに押し倒した。彼女が気付いたときには、目の前に枕がある。しまった。
シャツが捲り上げられて、現れた白い肌に尾白は目を細める。ぐぐ、とシーツへ爪を立てて抵抗しようとする小さな手に尾白は手を重ねて、そのままぎゅっと握った。尾白に覆いかぶさるように背中を取られた彼女は眉を顰めた。これでは完全に逃げられない。
「尾白くんはいじわるだ」
「懐かし」
「こんなにするなら、もっかい」
「部活あるからあかん」
「けち」
「まだ足りひんかったみたいやな?」
「!」
少し脅すように言われて、彼女は大きくふりかぶった。びし、と尾白の顔に彼女の髪が当たって尾白は目を押さえる。
「いたっ」
「え?あ、ごめ、ふへっ」
「なにわろてんねん」
「だって、あら、ひゃあ」
「仕返しや」
彼女の脇腹を尾白の長い指がばらばらに動いて、くすぐる。彼女は身体を折り曲げて、笑い声を上げた。尾白は彼女が笑ったことに内心密かにほっとして、そのまま彼女とのじゃれ合いに夢中になった。最近はずっとこんな感じだ。お互いにずっと大切なものを誤魔化しているような、気付かないふりをして、その場を濁している感じがする。良くも悪くもない。傍から見れば、順調なふたりだ。本人たちでさえ、明確な原因が分からない。
「あーもう、お腹痛いよ」
「すまんすまん」
「もー」
どうすればいいんだろう。彼女は枕に顔を埋めるふりをして、今日も漠然とした不安を飲み込んだ。
「マンネリ化やない?」
「倦怠期や、倦怠期」
とある日、彼女は学食で昔から馴染みの一つ下の双子に捕まってしまった。元気がない彼女に、「アランくんとなんかあったん?」という言葉に、彼女は思い切り眉を顰めてしまい、好奇心で目を輝かせる双子に彼女は口を開くことになった。「なんかあるわけじゃないけど、もやもやする」と言った彼女に、律儀に双子は二人そって目を丸くしたあとに、容赦のない言葉をぽろっと言ってきた。
「名前ちゃんとアランくんは一緒に居り過ぎたんやって」
「そうでもないやろ?バレーあるし」
「いや、年単位やで?」
他人の恋愛事情にずけずけと遠慮なくモノを言う宮侑と治に、彼女は顔を暗くしながらかつ丼をつつく。侑は箸を咥えたまま、右上に視線を向ける。そんな侑に治は「行儀」と単語で、注意をする。
「やって、アランくんと中学で会ったときには名前ちゃんと付き合っとったやん」
「二人が長い事は否定せへんけど、ずっと居り過ぎはないと思う」
「難しい問題やなぁ。名前ちゃんは本当にもやもやする原因心当たりあらへんの?」
「!」
ぎくっと、彼女は身体を揺らして、彼女の箸からトンカツが落ちた。侑は目を細めると、前屈みになって彼女へ迫る。
「ここで嘘ついても、いいことあらへん。田舎で待っとるアランくんも心配しとるで」
「どういう設定やねん」
「だって、名前ちゃん丁度かつ丼食べとるもん」
「もん、言うな。で、名前ちゃんその心当たりは?」
「治も気になっとるやん」
「当たり前や」
侑はイスに深く座り直すと、治と同じように改めて彼女を向きあった。彼女は頬を赤くして、困った顔をしていた。侑と治はまた目を丸くして、二人で目を合わせて頷いた。分かった、とでも言いたげの様子だった。
「夜のことやな?名前ちゃん」
「いや、その、えっと、……」
「きゃー……なんか照れるわ」
「分かるわ。なんかオトンとオカンの話聞いとる感じしてきた」
「それや。なんかドキドキする。
で、うまく……はっ!」
「まさか」
侑と治は仕草を揃えて、口を開くタイミングまでも揃えて、小さな声で彼女に問いかける。
「アランくん下手なん?」
彼女はその発言にムカッときて、勢いよくイスから立った。
「そんなことないよ!上手だよ!」
「名前ちゃんしー!しー!」
「あっ」
なんだなんだ、とこちらを見る生徒たちの視線に顔を真っ赤にさせて、彼女はすとん、とイスに座った。侑は腕を組んで、考え込み始める。マイペースめ、と彼女は侑を軽く睨む。治はそっと彼女の肩を叩いて、慰めた。侑は「あかん」と呟いて、首を横に振った。まるで難題に直面したときのような、表情だった。
「上手ならええやん?何があかんの?」
「……侑くんと治くんはさ」
「?」
「?」
「彼女からもう一回しよ、って誘われたら、どうする?」
彼女は耳まで真っ赤にさせて、俯いた。「ちょっと待って、俺今想像するわ」と目を瞑り出した侑とは対照的に、治は即答だった。
「やる」
「え、ま、迷いなく?」
「そりゃあ可愛い彼女に誘われたら、本望やもん」
「で、でもアランくん部活あるから、無理っていつも言うんだよ」
「……アランくん仏さまなん?」
「か、かもしれない」
その線が一番濃いのか、と治と彼女が二人で話していると、シュミレーションし終わった侑が目を開けて、話し始めた。侑が割り込んでくることはしょっちゅうなので、治と彼女は口を閉じる。
「めっちゃかわええ、確かにめちゃくちゃ男としては本望やけどっ、アランくんの部活って言う理由も分かる!」
「結局どっちやねん」
「時と場合による」
「気持ちは?」
「基本めちゃくちゃ嬉しい!てか、アランくんスタミナありそうやから、何回もしとる……え、名前ちゃんどんだけスタミナあるん」
「ほんまや。アランくんについていく名前ちゃんすごない?」
「な?」
「ま、まって、侑くん治くん」
この双子は話すテンポが速い。ぽんぽん、とリズムゲームのように会話をするのだ。彼女はいつも置いてきぼりを喰らう。二人の名前を呼んで、やっと侑と治の口が止まる。ヒートアップする双子の会話に気がとおくなるのは今更だが、このままでは変な誤解をされる。それにしても、こんなに明け透けと色々と話すのは恥ずかしい。
「一回しか、しないから」
「……え?」
「嘘やろ、なあ治。普通……もっと、え?」
「お、おお……俺でさえ最低はに」
「あほ。治の事情なんて聞きたないわ……俺も最低さん」
「侑の事情やって聞きたないし、何気に回数盛んなや」
双子のそんな事情知りたくない。彼女は自分の食欲がなくなっていくのが分かった。でも、二人の答えは時と場合によるのだとしても、基本的に答えはYESだった。「めちゃくちゃ嬉しい」という侑の言葉とは対照的な尾白の困った顔が彼女には思い浮かぶ。やっぱり、尾白は嬉しくないのでは……彼女は箸を噛んで、項垂れる。その仕草に気付いた治が彼女へ手を伸ばす。
「名前ちゃん行儀悪い」
「あ、うん……」
治は彼女の手首をつかんで、箸を置かせた。心ここにあらずの彼女の様子に治は眉を下げる。本格的にやばいのではないのか。
「名前ちゃん?」
「いや、アランくんが下手なんじゃなくて、私が悪いのかなぁって……、なんか仕方なく付き合ってやってるのかなぁって」
「あかん、ここだけ雰囲気がお通夜になっとる!」
「あー……アランくん優しいからな。あんま言えへんかもしれん」
「それー」
治の言葉に彼女はテーブルに突っ伏した。そうだ。それだ。一番の問題はそれ、それしかない。尾白の優しさが彼女にとって一番好きな所で、一番憎らしい所だった。アランくんの困った顔は好きだけど。困った優しい顔は好きじゃない。ああ、もう、詰んだ気がする。彼女は完全に心が折れた。ああ、二人の間が進む前はこんな悩みなかったのに。思い切り沈んでしまった彼女を目の前にして、双子はぼのぼののようになりがらも、言葉を必死で探した。
「何してんねん、名前。侑と治にいじめられたん?」
「アランくん!」
「アランくん俺らいじめてへんよ」
「知っとる。冗談やわ」
尾白はトレーをテーブルへ置くと、彼女の横の席へ座る。彼女がだらだらとした仕草で、身体を起こすと尾白は「おはようさん」といって、ぽんぽんと彼女の頭を軽く撫でた。彼女は自分の中のもやもやが小さくなるのが、分かる。尾白の温もりが、言葉が、彼女を振り回して、解放されることを許さない。
「アランくん名前ちゃんこと大事にしたって」
「はぁ?侑に言われんでも大切にしとるわ」
「せや。侑余計なこと言ったらあかん」
治はテーブルの下で、余計なことを言うなと、軽く侑の足を蹴った。蹴られた侑は治を睨んだ後に、顔を青くして焦る彼女の姿に気付いて、小さく何度も頷いた。
「内緒話か?」
「アランくんにいつも俺ら構ってばかりやから、ごめんなって。なぁ、治」
「うん。名前ちゃんが変な誤解せんように」
「なんや、それ」
尾白が笑う姿に、三人はほっとしてへらへらと笑みを浮かべた。この三人は知らない。誰よりも、この中でヤキモチやきなのは尾白だという事を知らない。ずっと一緒にいる彼女も知らない。
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