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 昔から人に話かけることが苦手だった。一応最低限のレベルのコミュニケーションを取ろうと奮闘している日々を彼女は過ごしている。人前で話すことが苦手、盛り上がっている輪の中に割り込むのも、頼み込むことも、ぜーんぶ苦手だ。それでも、関わらないといけないときは必ず来る。分かっているのだ。自分が話しかけても、意地悪もされないし、無視もされない。それでも、彼女は人の輪に、楽しそうに話している中に入ることが苦手で、苦痛だった。そんなとき、木葉秋紀は困り果てた彼女によく気付いてくれた。彼女が話しかけやすいように、間を作ってくれた。

 木葉秋紀は人の輪に入ることも、抜けることも得意だった。教室の中心近くにいるような人で、自分とは真逆の存在に憧れを抱くのも自然なことだった。

 彼女は木葉に好意を抱いていることに気付いても、何ら変わりはなかった。最低限のコミュニケーションでも出来た友達と、教室の隅で平和にのびのびと過ごしていた。ときどき木葉と話す機会があると、髪で隠している耳が恥ずかしいくらい熱くなった。木葉の目が見れない。それでも、俯き加減の彼女の顔を覗き込んで、木葉は話を聞いてくれた。木葉に覗き込まれても、嫌な気持ちにならなかった。ふわ、と香る木葉のさらさらとした髪にドキドキした。木葉くんに変なこと考えているのではないか、とバレそうで怖かった。

「木葉……」
「なんだよ、そんな顔をして」
「お前裏切ったな!彼女出来たろ!」
「げぇ、何で知ってんだよ」
「先輩から聞いた〜お前ずりぃぞ〜」
「いってぇ、首を絞めんな」

 クラスの中で笑いが起こって、今日も木葉はクラスの中心近くにいる。彼女は笑えなかった。本を読むフリをして、唇をきゅっと強く結んだ。心臓がどくどくと早くなって、全身の血が沸騰するようだった。自分の心がどろどろと汚れて行くのが分かる。気に入らない。信じたくない。木葉くんに恋人が出来た。誰かのものになった。いつか、もしかしたら、の彼女の恐れていた未来は呆気なくやって来て、簡単に彼女を絶望へと叩き落した。彼女は自分がこんなにも、木葉のことを好きだったのかと実感して、机に突っ伏した。

 誰かと付き合ってから気付くって、鈍すぎ、遅過ぎ……。でもなぁ、どうせずっと木葉くんが一人だったとしても、隣に並ぼうとする勇気なんて最初からなかった気がする。

 彼女はわざと深く考えないようにして、そっと流した。友達にも言わなかった片思いはそっと流そう。傷付く前に、まだ自分で思い過ごしだと誤魔化せるうちに。これは逃げではない。防衛だ。うん。そんなことをしていたら、罰が当たった。彼女はいつものように家に帰って、自室へ引き籠った。開けっ放しのカーテンを引こうとして、目を大きく見開く。家の裏の公園に木葉と見知らぬ女子生徒がいた。丁度ベンチに座っていて、彼女の部屋からは公園がばっちりと見えた。見知らぬ女子生徒は木葉に甘えるように凭れ掛かって、とても近い距離で話している。ああ、木葉くんの彼女って、あの人か。頭では理解しているのに、早くカーテンを閉めなきゃいけないのに、手も足も動けなかった。

 木葉くんは教室では見ない顔を、している。照れたように頬を赤くして、女子生徒の髪に遠慮がちに触れて、そのままキスをした。女子生徒の肩越しに、目を閉じる木葉の顔が見える。そして、薄目を開けた木葉と彼女の視線が交わった。

「!」

 彼女は反射的にカーテンを引いて、ずるずるとへたり込む。どくんどくん、と胸が痛い。心臓の音がとても耳の近くで聞こえる。体が熱い。木葉くんはキスするとき、あんな顔をするのか。生々しさに彼女は自分の髪をぐしゃぐしゃと掻き回した。嫉妬と、罪悪感と、意味の分からない優越感。その日から、彼女は二度とカーテンを開けなくなった。



 そんな苦い思い出から月日は経って、彼女は相変わらず人の輪が苦手だった。まさか高校でも一緒になるとは、何か縁でもあるのだろうか。彼女は今日も先生に頼まれた提出物をクラスメイトのみんなに声をかけれなくて、オロオロしていた所を木葉に助けられた。彼女がお礼を言うと、木葉はにっと笑う。「ぜーんぜん。気にしないで。まあ、お礼言われるのは嬉しいけど」とどこまでも優しく気遣いに溢れた木葉の言葉に、笑顔に、彼女は今日も木葉のことが好きになる。

「名字さん」
「?」
「いや、何でもない」
「うん?」

 木葉と一緒にプリントを集めているときに、歯切れ悪く木葉に話しかけられた。いつもなら、楽しいお喋りを聞かせてくれる。今日はチラチラと伺われるだけで、何もない。彼女は笑顔を貼り付けながらも、冷や汗だらだらだった。もし、木葉に彼女がキスを見ていたことに気付かれたら、気まずいところの騒ぎではない。無理。修復不可能だ。中学の頃ならまだしも、彼女は高校に入ってからも木葉のキスシーンに遭遇してしまったのだ。

「木葉くん今彼女いないなら、……だめ?」
「う、う〜ん、気持ちは嬉しいんだけど、今そういうの考えられなくって」

「!」

 先生に頼まれたでかい地図を抱えて彼女が渡り廊下を歩いていると、木葉が見知らぬ女子生徒に迫られていた。確かに比較的にここは校舎の中でも、人が少ない方だけれども。彼女は心なしか身体を小さくして、通り抜けようとした。でも、彼女は思わず足を止めてしまう。女子生徒が無理やり木葉の口を奪って、泣き出してしまったからだ。彼女は腕の中の地図を放り投げたい衝動に駆られる。なんで、また。彼女がどろどろととした嫉妬と悲しみに耐えていると、いつかのデジャヴのように木葉と彼女の視線が交わった。ばちっと、しっかりと。

 心底困った顔をする木葉に、彼女は見ないフリしか出来なかった。木葉の優しさを好きになった女の子は可哀想だ。木葉のことを、好きになったら抜け出せない気がする。後日、木葉があの女子生徒にフラれたという噂が回った。キスシーンを彼女以外に見てしまったヤツがいるらしい。やはり、木葉は優しい。本当に振ったのは自分の癖に、見知らぬ女子生徒が恥をかかないように、わざと嘘をついたのだろう。きっとフラれた女子生徒はもっと木葉のことが好きになる。振っても優しい男なんて、最低だ。大好きだ。



「むり。俺もう名字さんに幻滅された気がする」

 木葉秋紀に相談された小見はエビフライを食べることに夢中で、半分聞いていなかった。学食の、いつもの日向ぼっこに適した温かい席だ。小見は早めに食べて、昼寝をしたい。木葉は話を聞かれてないとしても、今は誰かに話を聞いてほしい。ただのクラスメイトにキスシーンを二度も見られてしまった。名字さんと俺は間が悪いのかもしれない。今でも覚えている。中学のとき初めて付き合った先輩とのキスシーンは忘れられない。キスに夢中になるどころか、ドン引きしたクラスメイトの顔の方が印象的過ぎた。あんな外でキスしてんの、ないわ〜って感じだった。名字さん潔癖そうだし。二度って。

 木葉にとって名字はクラスメイトの一人だ。でも、いつも律儀に「木葉くんありがとう」と笑う姿には好感を持っていたし、確かにクラスメイトだけど。クラスメイトの中でも、比較的好きな部類のクラスメイトなのだ。今日も変わらずに接してくれたけど、内心どう思っているか分からない。普段から笑顔が多い子ではないけれども、あんなうわぁ……とか、見たくない!とか、すっげえ不快そうな顔を見たのはキスシーンに出くわしたときだけ、だった。木葉はきっと彼女は潔癖症なのだと、思った。人前ですることではない、と不快に思っているのだ。

 クラスメイトとして普通に接してくれるのは彼女の優しさだ。あー……、むり。凹む。

「気にし過ぎだろ。どうせただのクラスメイトなんだから」
「俺はただのクラスメイトに嫌われるのも、無理なんですー繊細なんですー」
「めんどくせぇ」
「ひでぇー」

 木葉の昼食は全然減らなかった。


 お昼の憂鬱を引きずって、掃除の時間になった。トイレ掃除の木葉はトイレットペーパーを貰って来て、と女子から頼まれていた。保健室へ向かう途中に、楽しそうに笑っている名字に気付いて木葉は思わず足と止める。丁度木葉が降りようとしている階段の踊り場で、こそこそと何かを話している。あの、三人は中学の頃から仲が良いよな。木葉は知らぬ間に盗み聞きの体制に入っていた。

「ねえねえ、木葉の噂って本当なのかなぁ?」
「あ。女の子に迫ってついキスしちゃったってやつ?」
「うん。だって、木葉ってそういうことするイメージないし」
「まあ、でも女の子のこと好き過ぎたんじゃない?」

 好き過ぎても、俺は同意なしてキスしないし。木葉は手すりに凭れ掛かって、唇を尖らせた。別に、いいのだ。女の子が特に傷付かなければ、それでいい。フラれて、思わずキスをして、やっぱりフラれて、それを人に見られて、なんて可哀想だ。可哀想って、言い方は好きじゃないけど。あんまり、だ。俺ならまだ笑い話にできる、けど……、女の子は違う気がする。よく分からないけど、たまに思う。男がする浮気と、女がする浮気、全然違うのだ。世間の、見方が違う。今回は浮気とかじゃないけど、女の子だと笑いでは済まない気がする。あの女の子は確かに無理やりキスをしてきたけど、ビッチとか、肉食とか、そういうのじゃない。俺のことが好きな、だけ。変な噂がつくのは、なんか無理だ。てか、名字さんの前で、その話題やめてくれ。

「違うよ。木葉くんは女の子を庇ってるだけだよ」
「あ!名前はキスシーン見たんだっけ」
「うっ」
「ちょっと名前に、そういう話はなしでしょ」
「なんで?」
「ええ、だって、今回の噂の話してるときも、ずっとむすっとしてたじゃん」

 マジかよ、むすっとしたの、名字さん。違う、違うんだよ、名字さん。

「名前はキスとか、セックスとか、そういう話は無理なのかと」

 セックスとか、さらりと言うんかい。あ、でも、俺も気になってた。ナイスチョイス。

「全然。話すよね?」
「うん」

 マジで?

「友達の彼氏がローション持ってきたって言ったら、爆笑してたよ、この子」
「やめてよ」
「え、なんでなんで?」
「ローションの出し方がね、ドラえもんみたいなの」
「テレレレッテレーろ〜しょん」
「名前ドラえもん下手」
「でも笑っちゃうよ」
「確かに笑えるけど」

 きゃっきゃ。とても楽しそうな会話に俺は頭を抱えた。そして、ガラガラと彼女のイメージが崩れて行く。まさか彼女の口からローションって。

「で、木葉が女の子庇ってるってどういうこと?女の子からキスして来たっこと?」
「え、まあ、うん。でも、あんまり言うの良くないから、黙秘」
「えーつまんない。じゃあ、なんで名前は木葉の噂のとき、むすっとしてんの?」
「そんなの木葉のこと好きに決まってるからじゃん」
「ちょっと!」
「違うの?」
「ち、ち、違わないけど、けど、けどさぁ〜……、こんな所で……」
「誰もいないよ」

 いるよ。俺いるよ。思い切り、居るよ。木葉は真っ赤になる顔を隠して、聞き耳を立てる。名字さんが俺の事を好き?いつから?どうして?

「なるほど〜。嫉妬してたんだ〜名前かわいい〜」
「うっ」
「名前も木葉に告白してキスしちゃえば?木葉隙だらけだし」
「……無理。フラれたくない」
「贅沢」
「両想いになりたいの?」
「なれないと思う」
「なんだそれ」
「でも、木葉とキスしたいんでしょ?」
「えっ!?」
「だって、嫉妬するってことはそうじゃないの?私もキスしたいのに〜羨ましい〜みたいな」
「グイグイ行くなぁ」

 その後、「したいの?したくないの?」と完全に面白がる友達に追い込まれた彼女は、小さな控えめな声で恥ずかしそうに「したくなくもなくもないです……」と聞こえて、完全に木葉はやられた。「どっち」と楽しそうな彼女たちのガールズトークは終わる気配がない。その後、結局木葉はトイレットペーパーを取りに行けず、女子トイレ掃除担当の女子に怒られてしまった。

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