渋滞T
強豪のバレー部主将とは言え、受験生とは言え、北信介とて男子高校生である。たまの、本当にたまの休みが重なって、名前は二回目の北家訪問の予定だった。彼女は北家と運がいいのか、悪いのかまた家族が不在のときにお邪魔することになっていた。一緒に勉強をしよう、と言いつつも、北も彼女もその先の展開に期待していたし、するつもりだった。彼女が北家訪問をドタキャンする、その瞬間までは。金曜日の昼休みにいつもの中庭で、顔色の悪い彼女は北の腕に寄りかかりながら、ぼそぼそと口を開いた。
「信介くん、明日の事なんだけど」
「うん?」
「その、ちょっと、無理かもしれなくて」
「……」
彼女は恐る恐る北を見上げるが、こちらまでしょぼんとしたくなるほど、眉を下げた北がいた。彼女もつられて眉を下げると、雰囲気は気落ちしたまま北は表情を戻して首を傾げる。どことなく、北の視線は厳しいような、心配しているような、複雑な感じだった。彼女は何と説明すればいいだろうか、と無意識のうちにお腹を撫でていた。膝の上の弁当を食べたいとも、あまり思わない。ずくり、と内側から鋭い痛みに、ゆっくりと息を吐く。ちょっと、だるいかもしれない。
「めっちゃ体調悪いん?」
「うん……、それもあるんだけど、その」
「……」
「生理来ちゃって」
「!」
「……え、えーっと、えっち?出来ないなぁって」
女性の身体は成長しようがしまいが、基本的に不安定だ。彼女だって予定日が狂うことは初めて、ではない。今までは特に問題がなかった。予定日に来なくても、そんなに困る理由がなかった。世の恋人たちはどうしているのだろう。そう言ったことに疎い彼女はよく分からなかった。
「……できへんから、会えへんの?
俺は名前とふたりで、おりたい」
「信介くん」
「あかん?」
北は寄りかかる彼女を支えながら、ぎゅうと抱き締める。甘えるように彼女の瞳を覗き込んだ。彼女は迷っているのか、眉を下げて視線まで下に向けてしまう。北は彼女の髪や頬にキスをして、とどめに頬擦りまでしてきた。こんなにはっきりと北に甘えられることは滅多にない。彼女の心は迷いもなく北に傾いて、北の腕にそっと触れる。
「じゃあお邪魔しようかな」
「うん、来て」
「でも、私……怒りっぽくなるし、意味もなく情緒不安定になったり、寝てばかりになるかもしれないし、……」
ごにょごにょ。彼女は言い辛そうに、言葉を重ねる。彼女だって北と一緒に過ごしたいとは思うが、理屈じゃない。一人で居たいとか、トイレとか、あんまり外に出たくないとか、そういう事情がある。普段なら、何にも気にしない、気にならないことが気になる。気になって、気が滅入る。本当なら楽しく過ごせた時間を、彼女は自分の所為で楽しく過ごせないかもしれないと不安に思っていた。北は彼女の頭を撫でて、拗ねている彼女の顔を覗き込む。
「名前はこれからも俺と一緒におるって前言うたやん」
「うん」
「だったら、名前の身体とも付き合って行くのは名前だけやないと思うねん。
これからも俺は名前としたいし、おりたいし、……確かに自己管理は大切やけど、今回はそういうことやないやん。
仕方ない、ってことが普通なんやから、名前が気にすることやないよ。
いつかぶち当たることや、今回それが来ただけ、それだけや」
北の優しい言葉に彼女の目が次第に潤んで、薄い膜が張った。ほろほろと落ちる涙を隠すように泣き始めた彼女を北は強く抱き締めて、小さな背中をぽんぽんとリズムよく叩いた。小さい子をあやすように北は彼女を甘やかした。
「名前は何も悪くないし、気にすることやない」
「……」
「むしろ、俺の我儘聞いてくれてありがとう」
「そ、んな」
静かと言うより、小さな子どものように泣く彼女に北は眉を下げて笑った。新たな彼女の一面を知れて、嬉しいのだ。
そんな不安と期待を混ぜ込んだ北家訪問の日が当日になった。彼女はお泊り用に色々と詰め込んだトートバッグを肩にかけて、玄関を出て目を見開いた。北が当たり前のように立っていたからだ。温かさ重視のムートンブーツに包まれた足取りがふわふわとした。北に予定より早く会えて嬉しい気持ちも、気を使わせてしまっただろうかという申し訳さに変わって、足取りが遅くなる。いつも以上に、彼女は素直に喜べなかった。北は彼女に気付く、頬を緩めた。
「名前おはよう」
「お、おはよう。迎えに来てくれたの?」
「うん、何か心配やったし。荷物持つわ」
「え、でも、大丈夫だよ」
「俺が持ちたいだけやって。ほら、この荷物俺が持っとったら、名前勝手に帰られへんし」
北は珍しくおどけたように笑って、彼女の手を取った。北の冷たい手に、どれくらいから待っていたんだろうと彼女はまた申し訳ないと思ってしまう。彼女は北の手を握り返して、首を横に振る。
「帰ったりしないよ」
「……」
「……」
あれ、ここは真剣に返すところではないのだろうか。芸人でもないのに、彼女はすべってしまったのかとソワソワした。北は彼女の手をぎゅ〜と握りしめる。彼女は少し感じる痛さに眉を寄せた。
「信介くんいたい」
「俺は苦しい」
「?」
「名前がほんまかわええから、くるしい」
「……」
そんなことを、北は真剣に真顔で言うものだから、彼女は顔を真っ赤にして、手のひらの痛みも忘れてしまった。色んな意味で、今回もハラハラしそうな北家訪問になりそうだ。
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