びびり彼氏
手でボールを遊ばせていたら、無意識にため息をついてしまい、思わずそんな自分に、我に帰ってしまう。そんな俺をさらに驚かせるように、真横から聞き慣れた声がした。変な悲鳴を上げながら後ずさって、キュキュっとバッシュが音を立てた。視線を向ければ申し訳なさそうな顔をしていない黒子と目が合う。
「すみません。驚かせてしまって」
「いや、大丈夫……」
「何か悩み事ですか?随分と大きなため息でしたけど」
黒子が僅かに首を傾げて不思議そうに俺を見つめる。黒子の独特の目を見ると、下手な言い訳が出来なくなる気がする。俺は視線をつま先に落として、愚痴をこぼす。
「名前のことでちょっと悩んでて……」
黒子は思い当たるところがあるのか、ああと相づちを打って、同情するような目を俺に向けてきた。その目線に俺は余計に視線を上げれなくなる。
「付き合ってから、いつもあんな感じなんですか?」
黒子の質問に、俺は項垂れている頭をさらに下げて頷いた。
名前。火神名前は火神の双子の妹。バスケ部には所属してないけど、俺と彼女はクラスメイトと言う関係から始まって、火神と兄妹であることは後から知ったのだ。
最初は互いにビビリな性格だからと意気投合して、委員会を同じものにしたり、ときどきマンガやCDの貸し借りをすると言った至って普通の友達だった。
彼女のことを異性として意識したのはいつだっただろう。彼女は活発的な性格ではないけれど、火神の妹だからか意外にも交友関係は広いのだ。そんなことを目の当たりにしたとき、彼女が誰かに取られるかもしれないと思った。
今は気軽に友達と呼ぶ関係だけど。この関係の名前では我慢出来なくなって、物足りなくなって、そして、俺別の名前に関係を進めたくなってしまった。
そう気持ちを彼女に伝えると、とても驚いた顔をして、ひどく狼狽えていた。初めて見る顔に、不安で心がいっぱいになった。あのまま友達のままの方が良かったのかもしれない。でも友達の関係では我慢出来ないのもまた事実で。
「わ、私初めて男の子から告白された」
「う、うそだ」
「うそじゃないよ。私のこと女の子として見てくれる人居なかったし……たいがの妹だから、構ってくれるだけだよ」
俺は彼女の口から、そんなことを聞くのは初めて戸惑ってしまう。彼女と火神は傍から見ても仲のいい兄妹だと分かる。よく口喧嘩はしているけれど、必ずどちらが折れて上手く収まっているのだ。彼女がまるで火神の妹ではなかったら、みんなと関係を築けないような言い方を彼女はする。自分を嘲笑うように、眉を下げるのだ。
「降旗くんに対する気持ちは、正直恋愛かどうか分かんないけど……、でも、やっぱり」
途切れた言葉に緊張感が走って、手汗が酷くなって、背中や脇にも汗をかきはじめた。どくどく、と試合とは違う心臓の音に俺は息が詰まりそうになる。でも、俺を見上げる彼女の目から絶対に逃げたくなかった。
「好きって言われるとうれしい。嫌な感じしなかった……今はこんな言葉しか返せないけど、それでもいいなら……付き合って、欲しいです?」
彼女が照れたように眉を下げて、首を傾げた。何が起きたか分からなかった。可能性はないって、彼女が嬉しそうに友達って俺のことを言う度に無理だと思っていたから。だから、そんな答えが返ってくるなんて思いもしなかった。本当に。
「……」
「降旗くん?」
「……あ、うん」
「あ、うん……って、なにその反応。もしかして、からかったの?」
彼女の眉が釣り上がって、雲行きが怪しい方向に行きそうになったとき俺はやっと正気に戻れた。その後、彼女の誤解を解くのは酷く骨が折れた。
***
関係が変わって、俺と名前は恋人になった。なった…はずなのに、今までと何も変わらない。少ないオフに彼女と会っても、最初は二人きりのはずなのに気付いたらストバスをやっている。嬉し恥ずかしで俺は彼女の手を握っているはずなのに、気付いたらコートの中で、俺の手には当然のようにボールが収まっている。
点が入って、名前見てた!?と思って振り返ると、彼女が嬉しそうに手を合わせて、俺のシュートを喜んでくれる。それはすっげえ嬉しいし、笑顔で俺に手を振る彼女は可愛いし、不満はない。…やっぱり、嘘。不満はあったりする。彼女にではなくて、自分に。俺は彼女の傍に居たいって思って、好きって言ったのに。いつも彼女はコートの外で座っている。彼女もチームに入ってやればいい。そういう考え方あると、思う。と言うか、最近それが前提になってきた。
以前までは、慣れない少し高い靴を履いて、彼女は少し背伸びをしていた。歩き辛いとか、靴擦れとか、そんな心配よりも、俺は彼女なりに俺のことを意識してくれてるんだと思って嬉しかった。歩き辛そうにするから、それを理由に手を繋ぐ口実だって出来て、嬉しかった。でも、最近はもう彼女もストバスになることが分かっているから、低い運動するのに打って付けの靴を履いてくるようになった。
「なるほど。それは深刻な問題だ」
「…いや、その」
彼女がトイレに行っている間に、彼女の幼馴染かつクラスメイトの東条に掻い摘んで相談してみると、東条は腕を組んで眉を顰めた。その反応に俺は視線を泳がせる。あくまで不満は俺しかきっと持ってないから、俺の不満を彼女に押し付けるようで、なんか嫌なのだ。
「まあ、バスケ部の人ってバスケバカっぽいから、そうなっても仕方ないよね」
「…」
否定できない東条の言葉に俺は口を噤んで、項垂れる。
「でも名前も慣れてると思うけど。大我は昔からバスケばかり優先して、名前との約束よく忘れてたから。名前もバスケに勝てるなんて思ってないと言うか。…いや、こ手の話って比べる自体がどうのこうのってなるか…難しい」
「俺はそれが、嫌なんだよ」
「どういうこと?」
東条は首を傾げて、純粋に分からないと言った表情をする。俺はこれから話すことは結構恥ずかしいと思ってしまって、つい視線を逸らしがちになる。
「もちろん、部活も大事だけど。…でも、それとは別で俺は名前も大事で、…名前に寂しい顔をさせたくない」
彼女は時々、理由は分からないけど寂しそうにしている。そんな彼女の表情を変えたいって思った。そんな思いをさせないようにしたいって思った。出来たら、変えることも、させないようにすることもできる存在が自分だったらいいって思った。
「…」
「…あ、いや、えっと」
真顔で俺の顔を見てくる東条の視線に、ここが教室だと言う事を思い出して俺は周りを見渡した。彼女はまだ帰って来てないし、昼休みの教室は賑やかで、誰も俺たちのことを気にしてなかった。
「ベタなこと言っていい?」
「え」
東条は髪を耳にかけると、妙に演技ぶった声を作って俺をじっと見る。
「それ言う相手、私じゃないよね?」
「…最近見たドラマだ」
「一回言ってみたかったの」
東条はころころと笑って、お詫びと言って俺の手に大きな飴玉を乗せた。口の中に入れたら、頬が膨らんでしまうくらい大きい飴玉。ちょっとざらざらして、舌触りが独特の、駄菓子屋さんで売っている、ような奴。
「…あ」
「?」
「名前が降旗くんと駄菓子屋さん行きたいって言ってたよ。
今度のテストの後、行って来たら?」
定期テストの最終日の午後には部活がある。その部活までの、お昼の時間を彼女と過ごすことが多い。たまに、バスケ部の皆と彼女と言う形になるけれど。
「そのとき、言えたらいいね。さっきの」
「…」
東条はころん、と飴を口の中で転がして、ぷくりと頬を膨らます。何だか、その姿に彼女が重なって見えた。きっと、彼女はあの柔らかくて白い頬をぷくりと膨らましたら、とても可愛らしい。
***
「終わったねぇ」
「お疲れさま」
「降旗くんも」
俺と彼女は東条に言われた通り、学校近くの駄菓子屋に向かっていた。平日の午後の通学路は同じくテストが終わった奴が多くて、人通りが意外に激しい。人前、同じ学校の前で手を繋ぐことは何だか気恥ずかしくて、俺は彼女から視線を外さないように必死だ。ときどき、彼女は人波に押されて、俺の学ランに捕まっては離すを繰り返した。そのまま俺の手に、手を添えてくれてもいいのに。
ああ、暑い。蝉の鳴き声が酷くうるさくて、人混みもやけにうるさく感じる。その雑音はどこか俺を焦らすようで、俺は誤魔化すように口を開く。
「名前駄菓子屋好きなの?」
「うん。何か安っぽい味が好き」
「せめて、懐かしいとかが良くない?」
「確かに」
ちょっと道を外れて、静かな裏道へ。緑が多くなって、一瞬田舎に居るような錯覚を受ける。公園を抜けて、住宅街を曲がって、なかなか複雑な道筋だ。帰り一人だったら迷ってしまいそう。彼女は慣れたように前を向いて歩く。人があまり居なくなって、彼女の手に指先が何度か触れて、彼女が俺を見上げた。
「…えっと、…見てる人居ないし、…」
それ言う相手、私じゃないよね?
脳内で東条が目を細めて、言う。あのドラマの友人のように、厳しい目付きながらも、応援をしてくれた。
「名前とせっかく二人きりだから、繋ぎたい」
「…え、ええ?」
ぽかん、と口を開いて驚いた表情の彼女の、頬が徐々に赤く染まって、口を閉じる。合っていた視線が逸らされて、彼女にそっぽを向かれた。少なくとも、予想していた反応と違って、俺の心臓は早くなって手汗が酷くなる。
「…名前」
「うん」
冷たい俺の手に、冷たくて小さな手が触れて、つい勢いよく握ってしまえば、彼女はまたそっぽを向く。話しやすくて居心地が良かった空気が俺たちの中で流れなくなって、不安と焦りでいっぱいになる。でも、俺は彼女と関係を変えたことを後悔していないし、この不安に包まれても、びくびくしても、この小さな冷たい手を離したくない。
「私…学校行くの楽しい」
「え?」
「もちろん。綾や大我が居てくれるからだけど…でも、…降旗くんが居るからだよ。部活始まるまでだったら、一緒に過ごせる大事な時間だし、今日だって…緊張したり、するけど…けど、それ以上に一緒に居たいって思うから…」
普段よりも、健康的に見える柔らかい頬をゆるませて、彼女は照れたように笑った。なんだ、ろう。この感覚、体験してたことがなかったのか、あったのかも分からない。でも、今俺は…名前のことが、たまらなく可愛いって思ってる。
「…ふ、り」
「俺も、…名前と一緒に居たい」
「う、うん…」
乾いた風が夏服から剥き出しになった、俺たちの腕を撫でる。俺の腕の中で、大人しく小さくなる彼女の頭に顔を寄せると、彼女が気配を感じ取って俺を見上げた。あ、俺汗臭くないかな、なんて頭の片隅で思う。
名前が踵上げて、俺が少し腰を曲げる。蝉の鳴き声が遠くなって、なくなって、俺と彼女の二人きりの世界になった。
「…名前」
「う、うん?」
「好きだよ…俺は」
「…降旗くん?」
「俺は…名前に寂しい思いさせたくないって、思ってる。実際は難しいし、無理かもしれないけど…でも、ん」
ふに、と今さっき感じたばかりの感触をもう一度味わう。予想外で、俺は大きく目を見開いた。彼女は思い切り背伸びをした所為で、バランスを崩して俺の胸に倒れ込んできた。けれど、ぐんっと、背の高い向日葵のように彼女は俺を見上げる。
「さみしい!」
「え」
「私降旗くんと付き合うようになって、前よりも、もっと降旗くんのこと考えるようになって、さみしいよ…でも、さみしいけど嫌じゃないんだよ…?だって、…だって恋人に会えなくて、さみしいって…いけない、こと?」
なんだ、そうか。俺たち、ちゃんと…恋人だったんだ。俺が勝手に焦ってただけで、もうとっくに恋人だったんだ。見えなかっただけ、だ。彼女は俺のことを考えて想っていてくれた。それで、十分だ。だって、俺の胸はこんなにもドキドキして、満たされているんだから。
「…ふりはたくん?」
「へへ」
情けない顔をして、眉を下げて笑えば、彼女は困惑しながら首を傾げた。
***
「名前は何が好きなの」
「んーとね、これ…小さいドーナツが入ってるヤツと、このブドウ味のあめ」
「大きくない?…食べてみて」
「ちゃんと口の中に入るよ、ほら」
袋から飴を出すと、彼女は小さな唇に飴を押し入れる。その一連の動作にですら、意識してしまうから、これからまたちょっと悩んでしまうかもしれない。
「…って、何笑って…ん!?」
ほら、やっぱり…片頬だけ、ぷくりと膨らます名前は可愛い。思わず、その頬にキスしてしまうくらいに。
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