壱
神崎空という子は、変わっていた。
変わっていると言ってもあからさまに浮いているとか、常軌を逸しているとかそういうのではない。何と言えばいいのか………こう、雰囲気が他とは違うと言えばいいのだろうか。多分それが私の少ない語彙で出来るせいいっぱいの表現だ。近寄りがたいわけではないが、人懐っこいわけでもなく、普通だけど普通と呼ぶにはあまりにも不似合いと言いますか。あ、雰囲気だけで彼女が変わっていると断言しているわけではない。彼女の趣味趣向、好き嫌いからも推察しての結論を述べているのだ。見た目で人を判断するほど私も嫌な奴ではない。ぶっちゃけ私は中身重視派だ。面食いの気持ちもわからなくはないが。
私と神崎 空の関係はクラスメートに過ぎない。同じ地区出身だが小学校はお互いに別だし、中学も今年初めて同じクラスになった。親しくはないけど、決して仲は悪くない。本当にただのクラスメートだった。
私が彼女のことを知ったのは実は去年の話だ。同じ地区とはいえ何の接点もなく過ごしていたから今まで彼女のことは知らなかったし、逆に彼女も私のことを知らなかっただろう。知ったのは去年の体育祭だ。私は去年体育委員だった。正直なんで体育委員になんてなったのか今でも謎である。体育祭では影の立役者(といえば聞こえはいいが、要するに雑用ばかりさせられる貧乏くじだ)に変な思いでも抱いていたのだろうか。同じ委員会の友達とあの競技の担当やろう!なんて盛り上がっていたが、体育祭当日はそんなこと忘れて何でこんなことやってるんだ、と私は後悔していた。うん、あの気持ちは未だに覚えている。だってその日、同じ種目の雑用をやろうと盛り上がっていた友達が風邪で休み、一人でやるハメになったのだから。仕方がないことではあるが、しかし私にはどうにも裏切られた感しか感じられない。とにかく憂鬱だったのだ。そんな私の気持ちとは裏腹に、体育祭は盛り上がっていった。いよいよ私が担当する女子のリレーが始まろうとした時、私は神崎 空の姿を見つけた。このリレーは各チーム六人で行われるもので、それぞれの学年から二人ずつ選抜されるまさに足の速さを競うもの。選ばれるのは当然陸上部とか運動部の人達だ。そんな中で神崎 空は代表に選ばれていた……確か彼女は帰宅部だったはずだ。運動部の中でも有名な俊足の持ち主達の中で彼女は異質で浮いていた。あの子大丈夫かな、って同じチームではないけどそう同情せずにはいられなかった。けど、それ以上に目の前で並ばずおしゃべりを始めてしまったこの地点でバトンを受け取りスタートする選手達を並ばせて全員居るか確認する仕事を一人でしなければならないことを思い出し、私は泣きたくなった。
神崎 空の走順は四番目だった。彼女のチームは現在四チーム中三位で、彼女が前の走者からバトンを受け取った時には二位との差は大きく、四位との差はあまりなかった。しかも、四位のチームの走者は陸上部のエースであり、到底神崎 空に勝ち目はない。御愁傷様。哀れだな、と思いながら二人の走りを見ていた。するとどうだろう。神崎 空はあっという間に陸上部のエースを置き去り、かなり前を走っていた二位の走者に追い付いてしまった。何が起きたのかわからなくて、でも彼女のチームから物凄い歓声が起きて、とんでもないことが起こったんだとわかった。彼女が次の走者にバトンを渡した頃にはすでに二位だった走者を抜き去った後で、彼女の功労により彼女のチームは二位でこのリレーの結果を残したのだった。
その体育祭の後から神崎 空はちょっとした有名人になった。そりゃあ、陸上部エースを超える俊足なのだから、噂にもなる。運動部、特に陸上部から勧誘が来ているとか。けど、中学三年の今でも帰宅部だから勧誘は蹴ったのだろう。文学少女っぽい人だったから、そのギャップには驚きだ。この出来事がきっかけで彼女のことを一方的によく知るようになったのだ。
神崎 空。同じクラスの人。出席番号八番。帰宅部。成績はそこそこよくて、実は運動部並みの俊足。友達はあんまり多くないが孤立しているわけではなく人付き合いは良い方。よく読書している文系女子。意外と好き嫌いが多くて少食。
普通に見えてちょっと変わっている。神崎 空という人の第二印象はまさにそれだった。
「二組の嶋田君、神崎さんに告白するらしいよ」
「うそ、マジで?」
友達がそんな会話を始めた。神崎 空はずば抜けた美少女……ってワケではないが、けどそこそこ綺麗な顔立ちだった。少くとも私よりもモテるだろうし、男子の間でもそこそこ人気があるそうだ。だから告白されるのも別に変なことではない。でも私達はまだ中学生で、人の恋路に興味津々な年頃なわけで、彼女や嶋田という人には悪いが格好の話のネタとなった。
適当に相槌を打ち、言葉を挟んだりしていると、ふと中庭に神崎 空が居ることに気がついた。もしや呼び出されたのか…?とニヤける口許を隠しもせず、窓越しに中庭の方を覗き見た。やっぱり。あれは神崎 空だ。友達にも教えてあげようと彼女達に目を向けようとした時、ちょうど神崎 空が視界の端に追いやられた時だ。
人の姿ではないものが映った。
何かの見間違えかと思いもう一度中庭を見た。神崎 空が居た場所に彼女はいなかった。代わりに人ではない、動物がいた。動物、と言っていいのかわからない。真っ白な馬のようであったが、頭のところに角が生えていて、でも鹿とはちょっと違っていて、白っぽい銀色の鬣は普通の馬より長めに見えるが何故か不恰好に見えた。動物とか獣と呼ぶにはあまりにも高貴で神聖なもののように思えた。
はっとして私は慌てて友達を呼んだ。
「ちょ、ちょっと!」
「どうしたの、亜紀?」
「な、なか、中庭、」
上手く言葉が紡げず、中庭に現れた謎の生物のことを伝えられなかった。
それでも中庭に何かが起きたことを察してくれたようで、友達は中庭を覗き見てくれた。
「あ、神崎さん!」
「マジで!?」
「やっぱり嶋田君から告白されるのかなぁ」
「え……」
誰もあの動物のことを疑問に思わなかった。いや、まるでそこには居ないように話す彼女達に驚き、慌てて中庭を見た。
そこにはあの動物はいなくて、けどいつの間にかいなくなっていた神崎 空がそこにいた。暫くして嶋田と思われる男子が現れ、二人が話し始めたのを友達はきゃーきゃー言いながら覗き見ていたが私には彼女達の声が全く頭に入らなかった。ただただ、あの動物がなんだったのかという疑問が残り、そして何故か神崎 空から目が離せなかった。彼女が居たところにあの動物が現れ、あの動物が現れたところに今彼女はいる。これではまるで、彼女があの動物であるかのようだが、けどそんなこと現実にありえない。ありえるはずが、ない。
「ね、亜紀もそう思うよね?」
「え、あ、うん」
神崎 空という子は私のクラスメートだ。足が速い、ちょっと変わった、不思議な女の子。それだけのはずだ。けど、私はこの時から彼女への違和感が拭えなかった。友達にも家族にも言えない、気持ち悪い違和感。彼女本人に問い質してみようかとも思ったが、どう切り出せばいいかわからなくて、結局あの動物のことや彼女への違和感は私の心の中に留められるだけに終わった。
あの日から私は、神崎 空が人の姿をした別の“何か”に思えてならなかった。