嫌いじゃねーよ

退屈だ、と心の中で呟く。

晃牙は自宅のリビングにいた。二人掛けのソファーの右側に腰掛け、高校時代のクラスメイトたちが出ている番組をぼうっと見ていた。一人前にゴールデンで冠番組を持つ彼らは、今日も息のあったトークでスタジオを盛り上げていた。

久しぶりに早く帰れた金曜の夜。晃牙は暇を持て余していた。膝で休むレオンの毛をゆっくり撫でると、落ち着かなかったのかあくびをして寝床に入ってしまった。


「つまんね」


今の気分にそぐわず、かけていたテレビを消す。柄にもなく、晃牙は少し期待をしていたのだ。帰ってきたら彼女がドアを開け、少し味の整わない出来立ての料理が待っているのではないかと。
だがチャイムを押してもなかなか出てこない彼女に違和感を感じ、ドアノブをひねったところでやっと思い出した。女友達と呑んでくる、と朝言っていたことを。

「あいつ、いつ帰ってくるんだよ」

晃牙は朝飯を食べながら新聞に目を通していたせいか、完全に聞き流していた。
久しぶりに自ら鍵を開けて自宅に入った晃牙は、いつものパタパタと出迎える音を少し待った。玄関先はいつもより寒く、そして暗かった。はあ、と短いため息をついた晃牙を出迎えたのは背丈の低い仔犬たちだった。

そしてなまえが用意していた冷えた夕飯を温め直して食べ、自分で風呂を沸かして入ったわけだが。予定より早く帰れたこともあり晃牙は時間を持て余していた。疲れていないわけではないが、まだ眠る気分にはなれない。

時計は既に10時を回っていた。大の大人であるなまえに門限があるわけではない。実際なまえの書き置きには「先に休んでてください」という文言もあった。だがなまえの顔を見ない限り、休めないような気がしたのだ。

テレビを消して静かになった部屋で、晃牙はうつらうつらと船を漕ぎ始める。そんな静寂を破ったのは晃牙が待っていた、なまえの間抜けな声だった。



「たらいまぁ〜」




「酒くせーぞ、どんだけ飲んだんだよ」
「そんなに呑んでないよ〜」
「嘘つけ酒呑み」

晃牙は二人がけのソファーになまえを座らせ、キッチンに引っ込む。棚からグラスを取り出して冷蔵庫に入れておいた水を入れる。さっきまでやけに寒かったリビングの温度が、急に上がったような気がした。
水の入ったグラスを手に晃牙がリビングに戻ると、なまえは少ししょぼくれた顔をして晃牙を見上げた。ほら、と晃牙がグラスを手渡すとなまえも礼を言って受け取った。ちび、と口をつけた後すぐになまえはため息をついてグラスを膝の上に置いてしまう。


「どうした?」
「うん、あのね……なんか、ごめん」


やけに元気のないなまえの姿に晃牙は内心戸惑いながら頭をかいた。そしていつものように空いているソファの右側に腰掛け、なるべく優しい声色でどうした、ともう一度問う。なまえは視線をまだ十分残っていたグラスの水に落としながら、今日あったことを話し出した。

今日会ったのは長年の付き合いのある友人たち。結婚をしていたりお付き合いしている男性がいる彼女たちと旦那や彼氏の話をして盛り上がった。その中でなまえが気になったのは彼との時間の過ごし方。


「みんなね、一緒に居られる時間大事にしてるんだって」
「おう」
「おうちいられる時は、なるべく一緒に居て、映画みたり、ゆっくりおはなしするんだって」
「ん」

「…わたし、できてないなあって」


なまえは作曲家として事務所に所属していたが、作曲自体は自宅で行うことが多かった。それ故晃牙が帰ってくる前も、後も部屋に籠っていることが多かった。同棲を始めたからと言っていつも一緒に居られるわけではない。締め切りが近くなれば話せる時間も短くなる。それが心苦しく、寂しい思いをさせているのではないかと不安になったという。


「だから晃牙に申し訳な、あだっ」
「バーカ」


晃牙は俯いたまま話すなまえの脳天に拳を落とした。予想だにしていなかった衝撃になまえは少し飛び上がりグラスの水が少し溢れた。いたた、というなまえは頭を抑えて晃牙を見上げた。すると彼はいつか見たような優しい表情をしてなまえに問いかけた。


「いつ俺様が不満だつったよ」


確かになまえと一緒に過ごせる時間は短い。晃牙自身アイドルとしての仕事がある以上家に帰るのも遅くなる。その上なまえが抱えている依頼の関係もありゆっくりと時間を過ごす、ということは滅多にない。
ただ、晃牙は同棲を決めた時から覚悟していた。何度か逢瀬を重ねた二人だったが予定が合わないということが多くあった。ならば、と少しでも触れ合える時間を増やすために晃牙は同棲を決めた。

彼女にとっての音楽は、晃牙にとってのアイドルのように切っても切り離せない大切なもの。何より自分たちを繋いでくれたものだった。晃牙はなまえが音楽にひたむきになっている姿が何より好きだった。

だから邪魔はしない。したくはない。それでも一緒に居たい。



「てめーの音楽好きは筋金入りだからな」


なまえから音楽を消して仕舞えば、もはやなまえではない。それがわかっているから不満などないのだ。そう晃牙は言ってなまえの髪を撫でた。既に瞳を潤ませたなまえに追い打ちをかけるように晃牙はそれに、と続けた。


「帰ってきててめーが玄関まで迎えにくるのも」
「あったけえ飯があって仕事の合間のてめーと食うことも」
「疲れて眠そうなてめーにコーヒー持ってくのも、嫌いじゃねぇよ」


そう言葉にする晃牙の瞳は、なまえの瞳から大粒の涙がひとつ、ふたつ落ちていくのを見つめていた。ばか、泣いてんじゃねーよと指先でその涙を拭ってやるが涙は雨のようにとどまることを知らない。なまえは我慢ならなくなって晃牙の肩口に頭を寄せる。グラスを持っていない手で晃牙に縋り付き声を上げて泣き出した。


「すき、だいすき」
「バカ、知ってる」


落ち着かせるように背中を叩くとさらになまえは声を上げて泣き出した。色気のない泣き方に晃牙は思わず笑ってしまう。飾らないほうがなまえらしい。
これからも喧嘩するだろう。すれ違うだろう。傷付けたり、うまくいかないこともあるだろう。それでも、ただ二人が想いあってそばにいることができるなら。そんな時間が続けばいいと、晃牙は柄にもなく思ってしまうのだ。