03

龍王戦の翌日。朝であるというのに軽音部の部室は零の体調に合わせて遮光カーテンが引かれていた。零は目を付けた転校生を軽音部の部室に連れてくるようひなたとゆうたに指示をしていた。軽快に部室を出ていく二人を見送ると、「して」と機嫌の悪そうな晃牙に向き直った。

「それではわんこ。なまえの嬢ちゃんを呼んできておくれ」
「ハァ⁉なんで俺様があのやかましい女連れてこねえといけねえんだ」
「嬢ちゃんの力も必要であるからじゃ
あの娘が成長するためにも、学院のためにも」

意味深に笑う零を見て晃牙は舌打ちを打った。久しぶりに機嫌のいい零を見た気がした。なかなか部室を出ようとしない晃牙に零は言葉を投げかける。

「嬢ちゃんが気に入らんか?」
「…そういう問題じゃねぇよ」
「何を思う?
言わんとわからんぞぃ」

普段は全部見透かしたような物言いをするくせに、と晃牙は悪態をつきながら一度は立ったパイプ椅子に再び腰掛、足を組んだ。そして少し考えるように俯きながらぽつり、と普段よりも覇気のない言葉を吐き出していく。

「…これ以上、アイドル科に首突っ込んでると戻れなくなんじゃね〜のか」
「…ほう」
「ンだよ!」
「わんこが誰かを気遣うとは珍しいと思っての」
「気遣ってねえよ!
ただ、アイツ、泣くし、鬱陶しいだろ」

ほう、と小さく声を漏らした零は少し考える。自分は彼女の泣き顔を見たことがあっただろうか。よくよく考えてみれば晃牙はなまえと初めて会った時から何か思うところがあるような表情をする。噛みつくような野生を潜ませて、何か見守るような。晃牙に思うところはあるだろうが今は見守ろうと零は「それは、」と口を開いた。

「嬢ちゃんが選んだ道じゃ、泣いても立ち上がる。
あの手のおなごは強いぞぃ」
「…」
「わんこも見守ってやろうぞ」
「うっせーよ!誰がそんな面倒なことやるか‼」

そう言って荒々しく椅子から立ち上がった晃牙は大股で零の前を横切りドアを荒々しく開けて出て行った。廊下の光が差し込んで少し眩しい。零はやれやれとため息をつく。自分をかつて追いかけていた忠犬はいつのまにか飼い主に歯向かうようになり、いやはやこれがなんと面白い。

「我輩にも知らぬことはあるのぉ」

彼の胸中や、なまえとの関係。わからないことがあるから人間は面白い、と夢ノ咲の吸血鬼は笑った。見守るのも一興。引っ掻き回すのもまた一興、かもしれない。




がさがさ、と生垣が揺れる。木々の隙間から四方を確認して、息をついた。なまえはいくつかあるアイドル科の侵入経路を歩いていた。学院の歴史も古い。崩れた塀や伸びた木の枝、多くの抜け道があった。今のところ侵入経路自体は生徒会にも知られていないようであったけれど侵入するのもたやすくはないし、頻繁にアイドル科に入っているわけではない。紅郎のもとに出向き、軽音部に顔を出すのも週に二日程度。あまり頻度が高いと生徒会に勘付かれてしまう可能性もあった。

「でもあいつに借り作ったままだと癪だもんね…」

二日続けての侵入を決めたのは、昨日逃がしてくれた礼を晃牙に伝えるためだった。あの後何とかして音楽科に戻ってきたなまえだったが、龍王戦の出場者である紅郎や晃牙がきちんと逃げられた保証はなかった。一度目をつけられていては軽音部や道場に戻ることもできず、その日は帰路についたのだが。

「なんで助けてくれるんだろ」

おそらくなまえは晃牙が気に入る毛色の人間ではない。彼の癪に障ることも言うし、ちょっとのことで喧嘩が始まる。言い合いもするし、時には手が出てしまうこともある。だというのに彼はなまえを助けた。どういう意図があるのかなまえには読めなかった。それでも、軽音部にいるあの時間は嫌いではない。学院のはぐれ物が寄せ集められたようだったが、なまえはあの場所が気に入っていて。

「気まずいままは嫌だもんね」
「間抜け面」
「ギャァ⁉」

完全に気を抜いていたなまえは隣から聞こえた声に思わず素っ頓狂な声を出す。思わず飛びのいたなまえの首根っこを、その男はつかんで引き留める。首が締まって間抜けな声が出る。ぐぇ、という声に男は顔を背けて噴き出した。

「笑ってる」
「笑ってね〜し」
「めっちゃ噴き出してたじゃん」
「笑ってねぇ!」
「もう何でもいいから苦しいし離して」
「お前が振ってきたんだろうが」

へへへ、と笑うなまえに晃牙はため息をついてその手を離した。なまえは捕まえてきた相手が晃牙とわかって安心したように先ほどまで張り詰めていた表情を緩めた。そしてあ、と気づいた顔をすると勢いよく頭を下げた。あまりの勢いの良さにぶつかりそうになった晃牙は「危ねえだろ!」とのけぞる。

「あの時は助けてくれてありがとう!」
「お、おう…やけに素直じゃね〜か」
「私基本素直でいい子なので」
「嘘つけ」
「嘘じゃないし!」

ひとしきり晃牙をにらむと、言うこと言ったし帰るねと言って去ろうとするなまえ。おう、と一度は見送りそうになった晃牙は慌ててまたなまえの制服の襟をつかむ。また蛙がつぶれたような声を出すなまえにとっさに晃牙はその手を離した。なまえの踏ん張りもむなしく重力に逆らうことなくなまえは地面に突っ伏す。

「もっと優しく落としてよ!」
「吸血鬼ヤロ〜が呼んでる」
「聞いて⁉」

先輩のお呼びであることだし、人の話を聞かない晃牙もいつものこと。なまえはついた土ぼこりを軽く払っていくかあと軽音部に向かって歩き出した。おそらく零の指示で仕方なく、鼻が利く晃牙がなまえを迎えに来たのだろうが。やむを得ず迎えに来たにしては晃牙の機嫌もよさそうだった。先を行こうとする奴だが時々振り返ってなまえを気にしようとしているのが分かる。

「素直じゃないねえ」
「なんのことだよ」
「な〜んでも!」