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 その場所からは国のあらゆる場所が皮肉なほどによく見渡せた。
 遠くに横たわる山蔭と、国を覆う密林という砦。
 ガリア王国王城。国の中央部に位置し、かつ、総てを見渡せる、風通しの良い石造りの城の王座。そこには硬質な長い紅髪を吹き抜ける風に好きなように遊ばせ、逞しい体つきに蒼の外套を纏った巨躯な男が腰掛けていた。
 国王カイネギス。
 獅子王と呼ばれ、謳われる絶大な戦闘能力を備えると同時に、他国の政への配慮も優れた王座の主。
 その背後に控えるのはひとりの男。夜に溶け込みそうな漆黒の髪に漆黒の服に身を包む、恰幅のよい厳かな男――獅子王の影ジフカ。
 彼らが王の間に在るだけで、雰囲気は緊迫したものへ変わる。ただただ圧倒され、視覚で捉えるのなら尚のことである。
 玉座に腰掛ける男が、数段低くなっている床に跪く忠臣に猛禽な赤褐色の目を細め、威厳ある声を王の間に響かせた。
「して、その少女に家屋を貸し与え面倒を見ていると」
「そうなります」
 こうべを垂れるのは、少年然とした風貌を残す精悍な青年。短く整えた水縹色の髪に両の瞳の色が異なる涼やかな目元、しかし口角を上げた顔は温厚さと快活さを併せ持つ好ましいものだった。
 獣牙の戦士ライ……名実共にラグズの王者たるカイネギスをして忠臣と言わしめる信任熱き男である。
 奇妙な圧迫感を伴って、整列された森がごとく、厳かな声は響き渡った。
「ライよ、おぬしの考えを知りたい」
「と、いいますと?」
「少女について、だ。どう考える?」
 ゆるく、青年が笑んだ。明朗に、しかしどこか鋭さを帯びた微笑。
 ほの暗い脅威を察したのか、王は顔つきを険しく一変させた。普通の者が見れば思わず縮こまるほどの眼光である。
「「伯爵令嬢がラグズに拐われたかもしれない」という口実のもとベグニオンがガリアに攻めてくる可能性は大いにあるかと。あるいは、彼女自身がその為に使われている駒か、囮か……はたまた間者である可能性も棄てきれません。その場合はベグニオン兵に抜け道を知られるという最悪の展開ですね」
 彼はしみじみとした、それでいてどこまでも他人事のように、整然と言葉を紡いでゆく。
「ただ、本来「抜け道」は我ら獣牙の民のみが知り得るもの……伯爵令嬢が西を目指したところで意味など無く、飢えて野垂れ死ぬのがオチだと考えられていそうな気もします。彼女を見失ったとされるのが旧セリノス領の森だというのも理由の一つだとは思いますが」
 ベオクとは何たるかを今一度思い出す。
 彼らは【知恵の民】と呼ばれ、武器、道具、魔術、そして言葉を巧みに用いることで繁栄した種族だ。知識と要領さえ学べば、子供であれ人を欺くことも容易に行えるのがベオクだとライは考えている……そこにベグニオン帝国の選民思想が加われば尚更のことだ。彼の国の者は自分達の常識が世界の常識なのだと信じて疑わない。
 もっとも、ラグズは言葉を本能で捉える為、生半可な嘘ではすぐに見抜かれる。特にライは人の本質に対し目利きの効く性質だった。故に、少女がライの一枚上を行くとんだ道化でもない限りは、嘘をついていないと判断した。――純粋さを利用され、大人たちの掌の上で転がされているなら話は変わってくるのだが。
「この件を受けて国境付近の警備を強めること月三つ……特に変わったことはないと報告を受けておる。わしとしてもベオクとはいえ子供を疑うのは心苦しいものがある……杞憂であってくれれば良いのだがな」
「ええ、本当に」
 ライは苦笑して頷くと話を進めた。
「以上を踏まえて、少女を下手に野放しにするよりは、これからもオレの目の届くところで動向を観察できた方が良いのではないか……そう結論付けました」
 ここでライは言葉を切り、ふわり、と、微笑した。かすかに、ほのかに。穏やかなだけであった碧と紫の目に、薄氷めいた冷ややかさが過ぎったのを、獅子王は見て取る。
「彼女の話が本当ならそれで良し。もしも含みや裏があるのであれば……その時点で殺しますよ。ベオクにこれ以上ガリアの秘密を知られるわけにはいきませんからね」
 ライの声が冷ややかに尖る。風に、ライの硬質な水縹色が揺蕩う。
「……わしは良い臣下を持ったな」
 果てもなく澄み切った蒼の目に、どこか苦しげにさざめくカイネギスが映る。
 小休止でもするように息をつき、獅子王カイネギスは孫息子でも見守るかの様な慈しみめいた目で部下を見つめる。
「だが、もう少し……他の奴のように、本能で捉え動いても良いのかもしれぬな」
 虚を突かれたかのように目を丸くするライに、カイネギスは己の影と目を見合わせ不敵に笑んだ。
 ……どうやら我が主には全てお見通しらしい。



 季節は移ろい、春の最後の月も終わろうとしていた。とは言え四季の移り変わりが薄いガリア王国では別段風景が変わるわけでもなく、見慣れた景色を目に入れながらライはふぅと息をついた。
 あっという間に日々が過ぎていったこの月三つを振り返る。
 王城から少し離れたベオクが住まう村に、仲介ひいては連絡を円滑に行う為の家屋を持っていたライは、そこをフィリスに貸し出すことにした。少しして彼女の愛馬が発見された時には焦ったが、村人の好意で共同の馬小屋を使わせてもらえることになったのは余談である。
 ライの提案で回復の杖を用いた開業医の真似事は、元々彼女が持っていた薬草の知識も相まって評判は上々。弱き者に無償で手を差し伸べんとする彼女の性格故に慈善活動と化しているのが難点だったが、好意には好意で返ってくるのか、収入は少ないものの食べるものには困らない生活を送っていた。
 報告、連絡業務や警備の手配、部下の育成(という名のお守り)とやる事は山積みの中、暇さえあればライも顔を出して様子を伺い、言われるがままに薬草の調合を手伝った。まるで年が離れた妹――あるいは娘――との日常を送っている気分だ。年相応に慕ってくれる様は種族に関係なく嬉しいものであり、フィリスを通じて以前は余所余所しさを隠しきれなかった村人たちの態度も軟化したように思える。
 傍から見れば共存しているとも見えなくはない日々に、言葉として形容し難いむず痒さがあった。
 もしかしたらそれは……迷いであるのかもしれない。ベオクとラグズ、両種族の共存は、女神が眠りについて百年間は保たれていたと言われているが、それも長寿なラグズにとっても今となっては幻のような時代の話だ。各国の均衡が保たれた平穏な時代もいつまで続くか分からない。それこそ、フィリスが“黒”であった場合、ベグニオン帝国を相手に三度目の攻防が始まってもおかしくはない。
 一体この先世界がどうなっていくのか、自分や少女がどうなっていくのか、予想がつかない。
 ただ、少なくとも信じたいという気持ちは以前よりある。だからこそ、ライはフィリスを傍に置くことを決断した。
 それが間違っているとは思わない。思わないのだが――。
 わずかな逡巡が迷いを生む。恐らくカイネギスにはそれを見透かされていたのだろう。慎重になりすぎるのもまた災いの元であると……。
「ライ?」
 淡々として呼びかけに、ライはハッと我に返った。
 傾きはじめた午後の陽が射しこみ始める頃、一仕事を終えたライは、三日ぶりにフィリスの元に顔を出そうと村へと向かっていた最中だった。
村に着く前に遭遇した目的の人物は、小鳥のように首をわずかに傾げる。その様は、暮らしが変われど喪われることのない品性を醸し出す。
「フィリス。三日ぶりくらいだな、今帰りか?」
「はい。お礼にと菓子を頂きました……あの、良ければ帰ってお茶にしませんか?」
「お、それは助かる。丁度小腹が空いていたんだ」
 ライは朗らかに答えてフィリスの頭に手を置いた。どんな表情を作ればいいのかわからずきゅっと唇を引き結ぶ表情も、今では見慣れたものだ。
 少しして、ぎゅうと少女が服の裾を控えめに引っ張る。
 目線は前を見据えたまま、表情一つ変えないその仕草こそフィリスに出来る精一杯の甘え方であり、そんな不器用な姿が微笑ましくてライは彼女の手を握りしめた。
 ライによって整えられた、輪郭に沿った短い髪と、清潔で風通しの良い簡素な刺繍が施された装束。そこらの村娘と変わりない風貌だが、令嬢然とした楚々な佇まいはその育ちの良さを憎いほどに隠しきれてはおらず、野ばらのごとき洗練された慎ましさは華美な薔薇とはまた違った味がある。
(ひとまずは三年、かなぁ)
 自分も、少女も、世界でさえどうなっていくのか分からない――だが、少女の成長を楽しみにしてみるのも悪くはないと思う。
時間の流れ方が異なるベオクの成長は、きっとライの知らないものを見せてくれる。楽しませてくれるに違いないのだ。
そんな思いを胸に、青年と少女は手を繋いで家への帰路を歩んでいった。



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