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「悪い、待たせた」

声がかけられて携帯から顔を上げると、少し息を切らした様子の黒尾がいた。

『疲れてるんだから走ってこなくたっていいのに』
「や、ミーティング思ったより長くなったし、待ちきれなくて帰ってたらどうしようと思って」

帰るか、と息も整わぬうちに歩き出す黒尾。そんなに急がなくったって、私は黒尾のこと待ってるのに。まあ、最近避けてたのは私だもんな。そういう風に思われてても仕方ない。

『試合、お疲れ様』
「サンキュ。今日の相手はなかなか手強かったわ」
『でもみんなかっこよかったよ』
「なになに、名前チャンついに俺に惚れちゃった?」
『うん。惚れちゃった。』
「・・・え?」

ニヤニヤといつものように横から私の顔を覗き込む黒尾の目を真っ直ぐと見据える。その目は私から発せられた思いもかけぬ言葉にひどく揺れているようだった。

『みんなかっこよかったけど、黒尾が一番かっこよかったよ』
「え?は?ちょ、待ってタンマ」

あんなに緊張して心臓もバクバクしていたのに、目の前で顔を真っ赤にしてわかりやすく動揺している黒尾の姿を見たら、黒尾もこんなに慌てる事あるんだ、なんてまるで他人事のような感想を抱くくらいには私の心は落ち着きを取り戻していた。

「ちょっと待って」
『うん、待つよ』
「なんでそんなに冷静なわけ・・・」
『黒尾の事が好きだから』
「だから待てってもうほんと意味わかんないんだけど」

あーくそっ!と真っ赤な顔をして混乱した様子で頭をがしがしと掻く黒尾。一旦冷静になると、慌てる黒尾の姿が新鮮で面白くて、その姿見たさに羞恥心なんてなくなってしまった。文脈がおかしいのは分かってるけど、慌てる黒尾の方がおかしいなあ、可愛いなあなんて思いながら、黒尾に好きだと伝える私。


「・・・失恋したんじゃなかったわけ?」

何故か私に余裕があるのが癪なのか、拗ねた表情を向ける黒尾に今までの事を話す。練習試合を観に行ったら黒尾の調子が良かったのは彼女が来ていたからだと聞いたこと、色々あって黒尾への好意を自覚したこと、けれど彼女がいるって聞いて失恋したって思ってたこと、私の知ってる黒尾とみんなの知ってる黒尾が違うと思ったこと、モヤモヤした気持ちがあって黒尾の事を避けてしまったこと、夜久にちゃんと黒尾と向き合うよう言われたこと・・・そして、告白する覚悟を決めて今日ここにいること、全てを話した。


「お前さぁ・・・今まで散々リエーフに夫婦とか言われてたくせに、今更彼女が来てたとか言われてピンと来なかったわけ?」
『ピンとくるわけないじゃん・・・逆ギレ?』
「良い感じにやれてると思ってた好きな奴が急に失恋したとか言うし、かと思えば急に避けられるし、どんだけ俺が傷付いたと思ってんだよ・・・」
『あ、うん・・・ごめん、避けてたのは、ほんとに、悪かったと思ってる・・・』

黒尾の発言に、そりゃ突然理由も分からず避けられてたらいくらなんでも傷付くよね・・・と申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

「いや、まあショックだったのは事実だけど、それを責めたいわけじゃなくて・・・」

申し訳ない気持ちで俯く私の両頬を優しく包んで、ゆっくりと顔を上げさせる黒尾。黒尾は、少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、柔らかく笑う。

「・・・はぁ。よく聞けよ。先越されたけど、俺も苗字が好き。一年の時からずっと良いなと思ってた。練習試合来てくれるって返事来た時、今日絶対言おうと思った。他の奴と苗字の思う俺の印象が違うって言ってたけど、苗字の前の俺が、一番素のままの俺だから。」
『・・・うん。でもこれからは、私の知らない黒尾の事・・・素の黒尾の事も、そうじゃない黒尾の事も、もっともっと知っていきたい。』

私の両頬を包む黒尾の手に、自分のそれを重ねる。

「とうとう俺と付き合う気になった?」

すっかりいつも通りの様子に戻った黒尾が、満足そうな顔で私に聞く。いつもの、今まで何度も聞いていたそれよりも、何倍も何十倍も、きらめきを帯びたその言葉に、私はめいっぱいの笑顔と気持ちで応える。

『うん、黒尾と付き合いたいって思ってる。ロングじゃなくなっちゃったけど、ショートでも彼女のこと大切にしてくれる?』
「はぁ〜・・・当たり前だろ。可愛すぎんだろほんと。いや、今までも可愛かったけど、今までで一番可愛い」

ぎゅう、と私を抱きしめる黒尾が犬みたいに可愛くてアハハと笑っていると、笑ってんじゃねえよ、と小突かれた。

「髪型とか関係ない。苗字のこと、絶対大切にする」
『・・・ありがとうね、黒尾。黒尾の優しさとか、気遣いとか、私が気付かない間もずっと、たくさん、ありがとうね』
「ちょっと待って、そんなこと言われたらテツローくん泣いちゃう」
『え、泣くの?』
「こっち見ないで」

顔をあげようとしたら一層強く抱き締められた。一瞬見えた顔は真っ赤で、でも今まで見てきた黒尾のどの表情よりも嬉しそうだった。目は少し潤んでたような気もしたけど、黒尾が幸せそうだったから、もうどっちでもいいや。