華の金曜日。会社の同僚との飲み会終わり。「二次会行く人〜?」「どこ行くー?カラオケとかー?」とワイワイ盛り上がる輪から少し外れて、二次会に参加するかどうしようか考えていると、一個下の後輩である赤葦に声をかけられた。
『うーん、なんかカラオケになりそうな雰囲気だし、やめとこっかなーって思ってる。』
「カラオケ苦手って言ってましたもんね。」
『うん、苦手。でもなんだかちょっと物足りないから、家帰ってもう一飲みしようかなって思ってるところ』
個人で好んで行く場合は別として、このような飲み会のノリで行くカラオケは苦手だ。そもそも、大勢での騒がしい飲み会があまり好きではない私は、こういう場ではあまりお酒を飲まない。お酒はあまり強くないけれど、お酒を飲むのは好きな方ではあるので、帰宅して一人晩酌でもしようかと考えていたところ。
実際、酔うとめんどくさいと噂の、年齢の近い先輩にダル絡みをされてうんざりしていたところだ。私はあなたを気持ちよく酔わせるためにあなたの相手をするために酒を飲みに来ているのではない。そういうのはちゃんとそういう店に行ってやってください。
「実は僕も飲み足りなくて。一緒にどこか、飲みに行きません?」
赤葦に誘われて、私達は歩いて近くのお店に入った。割烹料理というか、その辺の居酒屋よりも品があるけど、かと言って敷居も高すぎないおしゃれな日本料理店だった。
『素敵なお店だね。』
「先日取引先の数名の方から勧められたんです。料理もそうですし、日本酒も美味しい物が揃っているらしくて。」
行きたい所はありますか、と聞かれて、特に行きたい場所もないし、料理もお酒もあまり好き嫌いなく楽しめる方だからということで、赤葦の提案したお店に入ることにした私達。
どうぞ、とメニューを開く赤葦。確かに聞いた事のない銘柄の日本酒が結構な数羅列されている。日本料理店、ではあるけれど、日本酒バーのよう。料理メインでも日本酒メインでも、このお店は楽しめるようだ。
「この前苗字さん、日本酒色々飲んでみたいって言ってたからどうかなと思ったんですけど・・・気分じゃなかったですか?」
なかなかメニューの決まらない私に、お店のチョイスが失敗だったのではないかと思った様子の赤葦。
『実は日本酒あんまり飲んだことなくて・・・挑戦してみたいとは思ってたんだけど、いざ目の前にすると、知らないお酒ばっかりだからどれが良いのかちょっと分かんなくて。』
「そうだったんですね。確かにたくさん置いてありますし、決めるの難しいですよね。」
有名な物は飲んだことがあるけれど、それ以外は名前も初めて聞くようなものばかり。無難に飲んだ事のあるものにするか、せっかくなら飲んだ事のないものに挑戦するか。この二択に迷い、結局何も一人では決められなかった私は、「飲んでみて無理そうだったら遠慮なく言ってください。僕が飲みますから。」と言う赤葦に甘えて、私の飲んだ事のない赤葦のオススメの日本酒を注文することにした。
『美味しい・・・』
「それは良かったです。」
数ある日本酒の中から私の好みを聞いて赤葦がチョイスしてくれたそれは、私が今まで飲んだ日本酒のどれよりも飲みやすくて美味しかった。
「僕もそれ好きなんですよね。」
そう言いつつ、赤葦は今は私と別の日本酒を飲んでいる。赤葦も飲みたいのかな、そう思って私は赤葦の方に自分のお猪口を差し出す。
『赤葦も一口飲む?』
「・・・せっかくなんで、苗字さんが飲んでください。」
好きなら赤葦も一口くらい飲めばいいのに。一瞬眉を顰めた赤葦に疑問を抱きながら、赤葦がそういうならと無理強いせずに私が美味しく頂くことにした。
『にしても赤葦、相変わらずお酒強いね』
一次会でもそこそこお酒を飲んでいたであろうに、隣で顔色一つ変えず涼しい顔で日本酒を煽っている赤葦に声をかける。元々要領の良い赤葦ではあるが、高校時代には先輩キャプテンの世話役を務めていたおかげもあるのか上司の扱いも上手く、上司からも気に入られている様子で、飲み会の時はよく飲まされている(無理矢理に飲まされている、所謂アルコールハラスメントの意味ではない)所を見かける事が多かった。今日の一次会でも、赤葦は割と飲んでいた印象だったが。
同じ部署の先輩後輩ということで、仕事中にも関わりが多かった私達。話してみると公私共に割と馬も合うようで、知り合って早い段階から二人で仕事終わりに飲みに行ったりもしていた。仕事も気遣いも出来るスマートな赤葦には、どっちが先輩なのか分からないくらい色んな場面で助けてもらっており、そんな赤葦に恋心を抱くのに時間はかからなかった。けれど、赤葦は出来る後輩というだけで、そのスマートさには私が期待するような理由なんてあるはずがない。それでも私は、良くしてくれる赤葦の優しさに甘えて、今もこうして二人で飲みに行くなどしている。関係が壊れるのが怖くて、後にも先にも進めない。ぬるま湯の中に私は一人ぷかぷかと浮かんでいるのだ。
「言うほど飲んでないですよ。」
『潰れた所も見たことないし。』
「苗字さんの前でみっともない所は見せられませんから。」
『赤葦のみっともない所なんて今まで一回も見たことないけどなあ。』
「男はカッコつけたがりですからね。」
『赤葦もそうなの?』
「そうです。」
『えぇ、そうなの?そんな風に見えないなあ。』
「・・・俺だってカッコつけますよ。」
あ、赤葦ムキになってる。普段赤葦の一人称は"僕"だけど、ムキになった時とか、気が緩んだ時、彼の一人称は"俺"になる。私がそれに気付いたのは結構前。二人で飲んでる時、一人称が僕だったり俺だったりして赤葦の気の緩み具合とか感情とかが分かって面白いなあなんて思っていた。赤葦自身がそれに気付いているかはわからないけれど。
赤葦もカッコつけることあるんだ、意外。そう笑うと、赤葦は思いもかけぬ爆弾を投下した。
「カッコつけますよ。好きな人の前では、特に。」
『え・・・?』
今、なんて。
そんな私の疑問は、注文した料理を提供してくれて店員さんによって遮られてしまった。
「そろそろ終電ですよね?」
せっかく盛り上がってるのに勿体無いですが、と赤葦が時計を見てそう言う。よく二人で飲んでいるので、自分の終電の時間のみならず、私の終電の時間すら赤葦は把握してしまっている。
いつもそうだ。赤葦と二人でいると、時間なんてあっという間に過ぎてしまう。楽しいな、もうちょっと一緒にいたいな、そう思うけれど、目の前の男は毎回終電を逃すことを許してくれない。そういう真面目なところも赤葦を好きになった理由の一つではあるが、一方で、私が一歩踏み出せない理由の一つでもある。
『そうだね、帰ろっか。』
お会計を済ませて立ち上がった瞬間、頭も足元も浮遊感でいっぱいになった。あ、思ったより酔いが回ってる。日本酒の酔いって、後からくるってほんとだったんだ。そんなことをぼんやりと考えつつも、赤葦に迷惑はかけまいと平気なふりをして店を出ようとした瞬間。私の腕は赤葦に引っ張られていた。
『どうしたの?』
「・・・段差。苗字さん、転びそうだったので。」
店の扉を開けてすぐ。足元を見下ろすと、一段の段差があった。足取りもおぼつかないし、足元の段差にも気付いてないし。情けなくて少し恥ずかしくなる。
『思ったより、飲みすぎちゃってた、みたい。』
「・・・だから言ったじゃないですか。」
注文しながら(と言っても2.3杯しか飲んでいない)、赤葦はやたら私のことを心配していた。日本酒を飲みながら、間に半ば無理矢理お冷を飲まされるなどしていたけど(水を飲めとあんまり赤葦が怖い顔するからそれに負けた)、どうやら私の酔いのキャパシティはとっくにオーバーしていたらしい。
『だって、赤葦のオススメするお酒、飲みやすくて、美味しかったんだもん・・・』
「・・・はいはい、俺が悪かったです。」
子供のように拗ねた私がおかしかったのか、赤葦がクスリと笑って手を差し出してくる。足取りのおぼつかない私を引っ張って歩いてくれるのだろう、赤葦のその手を取る。いつもなら恥ずかしがるだろうそれも、顔が赤くても、全部お酒のせい、赤葦のせい。
『あーあ、赤葦のせいで日本酒の美味しさに気付いちゃったよ。困ったなあ。』
困ったなあ、なんて言いながら、私の顔は自分でも分かるくらい笑っている。困った顔なんて全然してない。好きな人と美味しいご飯を食べられて、初めて挑戦して飲んでみるお酒も美味しいという良い経験もできて幸せだ。繋がれた手をブンブンと振りながら歩く。
「苗字さん、ついでにもう一つ困らせてもいいですか?」
『はい、何でしょう赤葦君?』
突然、赤葦が足を止める。私がブンブンと振っていた手・・・赤葦も私に任せて振っていた手が、赤葦の力によって制止される。
「終電、逃しちゃえばいいのに」
『え?』
「なんて言ったら、困りますか?」
たった数秒。赤葦の言葉。瞬間、お酒のせいになんかできないくらい、私の心臓がバクバクと激しく動いてて、顔は火でもついているのかと思うくらい熱くなって。少しひんやりとした赤葦のそれとは対照的に、繋いだ自分の手の指先まで熱いのが分かる。
でも、私の気のせいだろうか。どれだけお酒を飲んでも変わらない赤葦の顔も、少しだけ赤く見えるのは。
『・・・酔ってる?』
「酔ってるかもしれませんね。俺、あんまりお酒強くないので。」
『嘘だぁ。』
冗談を言う赤葦の胸になだれ込むようにして体を預けると、赤葦の顔が真面目な表情から少しだけ力の抜けた表情に変わる。耳に触れる赤葦の心臓の音は、私と同じくらいドキドキと鳴っていた。なんだ、やっぱり赤葦も緊張してたんじゃん。
赤葦って案外表情に出るんだ、なんて意外に思ったのはいつのことだっけ。もうだいぶ前の事すぎて思い出せないや。気が付けばいつのまにかそれくらい距離が近くなってて、そして、これからもっと近付いていくんだよね。ふふ、と笑って赤葦の胸に擦り寄ると、赤葦は優しく笑って頭を撫でてくれた。
『終電、なくなっちゃった。』
「困りましたね。」
『どうしようね。赤葦、責任取ってくれる?』
「ちょうどこの近くに俺の家があるんですけど、来ます?」
少し体を離して、赤葦が私の顔を覗き込む。答えなんて、分かってるくせに。でも、肝心な事を聞いてないから、はっきりとは答えてやらない。そんな小さな抵抗をしたところで、私が赤葦の気持ちを察したように、否、赤葦は私の気持ちなんてお見通しなんだろうけど。
『仲が良いだけの先輩を気軽に家に泊めたら駄目だよ赤葦。』
「好きな人だからいいんです。」
赤葦の返事に、ヘラヘラと口元を緩めて笑う単純な私。良かった、やっぱりそうだった。なんて、今日二人でお酒を飲んで帰るまでは、きっと実らぬ恋なのだろう、気持ちを伝える勇気なんてない、なんて思っていたくせに。疑念が少しずつ確信へと近付くにつれて、大きな態度を取り出していく自分の恋心の単純さにため息が出る。でもいいんだ。恋なんてきっとこんなもんで、恋する男女なんてみんなそんなもんだ。
行きますよ、と手を引く赤葦に引っ張られるようにして歩き出す。
「苗字さんこそ、仲が良いだけの後輩の家に気軽に泊まりに行ったら駄目ですよ。」
『好きな人の家だからいいんです。』
手を繋いで歩く帰り道。ワイワイと賑わう飲み屋街の喧騒を通り過ぎて、いつの間にか赤葦の住んでいるらしいマンションに着いた。鍵を開けてドアを開けようとした瞬間、振り向いて赤葦が言う。
「それに俺、彼女しか家に呼びませんから。」
彼女。赤葦の口からこぼされた甘美な響きのそれに、私の顔はより一層ふにゃふにゃと力が抜けていた。私も、彼氏の家にしか行かないよ。そう言うと赤葦も嬉しそうに笑ってくれた。