「ベージュか。その年齢にしちゃ、地味な下着だな」
自身の足元から聞こえた男の声にゾッとした。誰かが地面へと寝転んで――あるいはこんな都会の街中で地べたへ這いつくばり、女性のスカートの中を覗き見しているのだと思ったからである。どうしよう。通報とかしたほうがいい?それとも走って逃げようか。強張った表情のまま、私は声の主へと視線を向けた。しかし不思議なことに、足元にいるのはシャーロック・ホームズのような変わった帽子を被った、愛らしい朱色の頬とまん丸い潤んだ二つの瞳を持つ、たいへん可愛らしいピカチュウがそこにいただけであった。
……気のせいだった? てっきり、男の声は下から聞こえたと思った。けれど、この人混みの中だ。近くにいた人の声が反響したとか、なにかの媒体から発せられた音が聞こえてきたのかもしれない。私は身をかがめ愛らしいピカチュウを見つめる。
「あらー、可愛いピカチュウちゃんだねえ」
「君のほうこそ、お嬢さん」
「ギャアア!!!!」
人間って本当に驚くと腰を抜かすってことを、初めて知った。たった今、身を持って知った。
ピカチュウが、男の声で、喋った。人間の言葉で、それも流暢に。
急に大声で絶叫し、目の前で尻もちをつき、あれもない姿を見せたことで帽子を被ったピカチュウも心底驚いてた。
あと少し嬉しそうな顔をしていた。……ポケモンってこんなに表情豊かだったっけ。
*
「なあ!待ってくれって!」
ありえない。絶対ありえない!
街中で絶叫した私を、当然まわりの人が見た。数秒立つと周囲の視線が驚愕のものから、「この女やばいヤツなんじゃないか」という異様なモノを見る視線にジワジワと変化してきたことに気がついた私は、羞恥から顔を真赤くし足早にその場から立ち去った。
……例のピカチュウはずっと追いかけてくる。幻覚幻聴はたまた夢でも見ているのか。
だってポケモンが喋るだなんてありえない。
「キミが初めてなんだよ!オレの言葉が伝わったの!頼むから話を聞いてくれ!」
あんまり必死な声を出すので、さすがの私も心が傷みちらりと振り返る。シワシワの顔で小走りで追いかけているピカチュウがいた。
「おい!アンタだよ、ベージュパンツのネーチャン!」
やめてよ、その呼び方!
なんてデリカシーのないポケモンなのだろう。しかし否定できないのが悔しい。人通りも少ない道に入ったので、立ち止まることにした。
「あーっ! フウッ、やっと止まった!」
ピカチュウが息も絶え絶えにシワシワしていた。これではまるでピカチュウではなくシワチュウである。
「やっぱり、喋ってるよね?」
「わかってるのに今まで無視して歩いていたのか!?」
鬼みたいなやつだな、と彼は私を恨みがましく睨みあげた。けれど全く怖くない。可愛い。
「ごめんね、あまりに驚いて絶叫しちゃったし、なんだか怖くなって逃げました。ごめんなさい」
必死に話しかけている人物(ポケモン)に対して無視を決め込むだなんて、あまりにも酷だ。素直に頭を下げて謝ると、ピカチュウは「はーっ」と溜息を吐いた。どうやら必死で追いかけた疲れから吐いた息だったらしい。
「それで、ピカチュウさんは私に何か御用ですか」
私は身を屈めて再び彼へと視線を合わせる。
「オレを、助けてくれ」
……何から?