相澤さん視点のお話
「私……元の世界に帰ります」
そう言って項垂れる彼女は今にも壊れてしまいそうなガラス細工のようで。触れることすら恐ろしくて、ただ傍にしゃがんでじっと見つめることしかできなかった。どんな言葉を吐こうと彼女を安心させることはできないと分かってしまうから、口にできたのは「帰る方法が分かったのか」というなんとも事務的なもので。
こんな時マイクなら何の躊躇もなく彼女の懐に入ってみせて元気付けられたのだろうか、なんて思ってもみたり。いや、その当の本人が俺に頼ったのだからおそらくそれは出来なかったのだろう。或いは白雲なら――――そこまで考えて、浮かんだ懐かしい友人の顔を頭から追い払う。いない人間の"もしも"なんて不合理で好きじゃない。
▼
「みょうじが来ていない?」
そうミッドナイトさんから聞いたのは、学校に到着してすぐのことだった。とは言っても朝から八斎會の件の事後処理をしてきたために、いつもより少し遅れての出勤である。朝のSHRには間に合うように来たはいいものの、この状況では誰かに任せることになりそうだ。
「連絡も繋がらなくて……何か聞いてない?」
「いえ、何も」
昨日、彼女は今までに見たことの無いレベルで個性を暴発させた。手のひらでしか個性を発動出来ないはずが、身体中から紙を生み出していたのだ。そして「元の世界に帰ります」の言葉に始まり、放課後にはこれまでのお礼まで言われてしまった。それはまるで最後の別れのようで。そう、昨日の彼女は明らかに様子がおかしかった。
その理由は考えるまでもなく、八斎會の件だろう。なにせ彼女は初めてヒーローの死を経験したのだ。いくら面識のない者とは言え、ヒーローという仕事の危険性を実感するには十分過ぎたことだろう。
出会った当初から危惧していたことが現実となってしまった。彼女はこの世界を受け止められるほど強くはなかったのだ。
「ここは、私にとって漫画の――――紙の世界なんです」その言葉をどこまで信じるべきかは分からないが、彼女にとってはそれぐらいここが非現実的な世界であることは分かる。こちらからすれば彼女の世界が理想郷のように感じるのと同じだ。ヒーローが必要ない世界、だなんて。そもそも自分たちと彼女とでは価値観が違いすぎたのだ。
「昨日のことやっぱり堪えたのかしら」
「……様子を見てきます。A組のHR頼みます」
「分かったわ」
念の為、寮のマスターキーを手に職員室を出る。寮までここから徒歩3分、それでも気が焦って自然と早歩きになった。彼女を職員寮に入れて良かった、と数ヶ月前の自分の判断に感謝した。
そして彼女の部屋に着いて早速インターホンを押すもののなんの反応もなく。ノックして「おい、いるか」と声を掛けても同じだった。そこへHR開始を知らせるチャイムが聞こえてきて、思わず舌打ちが出る。「入るぞ」と声を掛けてから、鍵穴にマスターキーを突っ込んだ。
「みょうじ、いたら返事しろ」
そろりと足を踏み入れた彼女の部屋は、人の気配がしなかった。念の為トイレと風呂も覗いてみたが姿はない。敵に攫われた?まさか家出?それとも――――元の世界に?
「帰る方法が分かったのか」「まだ確証はないですけど」昨日の会話を思い返す。彼女は精神的に酷く不安定だったから落ち着いたら詳しく話を聞こうと思っていたのに、その判断は間違っていたのかもしれない。
どうしたものかと部屋をぐるりと見渡せば、机の上に1枚の手紙を見つけた。そっとそれを手に取れば、そこには彼女の言葉が綴られていた。
『挨拶もできず急なお別れになってしまってごめんなさい。ここで過ごした9ヶ月と少し、本当にお世話になりました。素性も分からない私に優しくしてくれた皆さんには感謝してもしきれません。皆さんと出会えて幸せでした。
生徒たちの行く末を見届けられないことは心残りだけど、きっと彼らなら最高のヒーローになれると信じています。なにせ最高のヒーロー達が彼らを導いていますから』
「……帰った、のか」
予感は的中してしまった。これで良かったはずなのに、この胸のモヤモヤは一体なんだ。こんなにもあっさり帰ってしまったから?――――本当は帰って欲しくなかった、とか。
"寂しい"なんて、そんな事を思う性分ではないはずなのに。しかしまぁ、そう感じてもおかしくないくらいに彼女と関わってきたことは認めざるを得ないだろう。
書いては消して、の跡が読み取れるその手紙は彼女の迷いを表しているようだった。だけど同時に、この世界を受け入れられない程に繊細な彼女の確かな強さを感じ取れた。きっと彼女は一人で考え、こうして一人で決断したのだ。そこに一抹の寂しさも感じる。どうしてこんな大事なことを相談してくれなかったのか、と。
信用されていなかったのか――――いや、誰にも言えないと判断したのだろう。すぐに文句を垂れる奴ではあったが、根っこの部分はあまり人に見せなかったから。例えば頑なに不眠を隠していたように。
手紙の「9ヶ月」の文字に、みょうじとの付き合いはたったそれだけのものだったのかと驚く。それだけこの9ヶ月間が濃すぎたのだろう。この手紙一枚では到底納得できない奴らがいることを、それだけの絆を育んできた事実をちゃんと彼女は分かっているだろうか。教師陣も、生徒たちだって、みょうじのあの世間知らずとさえ言えるような能天気さには絆されていた。なんと言うか、彼女がその場にいると途端に毒気を抜かれてしまうのだ。
「……元気でな」
"皆さんと出会えて幸せでした"どうかその言葉が上辺だけのものではないと信じたい。この世界での出来事は彼女にとって苦労の連続だっただろうが、少しくらいは良い思い出として刻まれていて欲しい。少なくとも自分にとってはそうだったから。
もし同じ世界に生まれていれば、――――そこまで考えて、思考を止める。そんなの合理的じゃない。考えたってただ虚しいだけだ。願わくは彼女が元の世界で安心して生きていけますように。それで十分だ。
ハァとひとつため息をついて天井を仰ぐ。窓の外からSHRの終了を告げるチャイムが聞こえたのを合図に、みょうじの手紙を手に静かに部屋を出た。
- 50 -
*前 ◇ 次#
top