八木さんとお話する
インターン中であろうと授業は通常通り行われ、それはつまり授業と校外活動を両立しなければならないことを意味する。事務所によっては公欠が続く事もあるため、授業についていくだけでもかなり大変そうだった。それを見越してインターン参加を見送った生徒もいるくらいだ。緑谷くんを見ているとその選択は正しいように思えた。
「……緑谷くん、大丈夫ですかね」
ヒーロー基礎学のその時間、絶壁を登る訓練中の生徒たちを見下ろしながら、隣にいた八木さんにぽつりと不安を吐露する。傍から見て緑谷くんが精神的に酷く不安定であるように感じたのだ。切島くんや麗日さん、蛙水さんにも同じ事は言えるけれど、緑谷くんは特にそれが顕著だった。死穢八斎會の調査を進める中でプレッシャーを感じているのか、はたまたそのおぞましい犯罪経歴に圧倒されているのか、その両方かもしれない。
八斎會が実際に何をしているかは知らないけれど、ヤクザと呼ばれる組織なら、それもこうしてヒーローや警察に目を付けられるような組織なら、それなりに惨いことをやっていたって何らおかしくはないだろう。ヤクザ映画で聞くような「コンクリ詰めにして日本海に沈めたろか!」とか。あとは臓器売買や、風俗に売り飛ばしたり、薬物漬けにしたり、etc...TVでしか聞いた事のないようなそれらがどこまでリアルなものかは分からないが、仮に"そういう事"に触れてしまったとしたら、高校生にはショックが大きすぎるのではないのだろうか。
「緑谷少年ならきっと乗り越えられるさ。というか、どうせいずれは突き当たる壁だ」
「そりゃあヒーローになればそういう事も日常茶飯事かもしれませんけど……」
「彼らには立ち止まっている暇なんてないんだよ。何せ3年後にはもうプロの一員だ」
「……そうですよね」
八木さんの言うことはごもっともだ。なにより本人が乗り越えようと足掻いているのなら、外野が騒ぐのもおかしな話だろう。私はヒーローのヒの字も理解していないような素人なのだから尚更。
「"Plus ultra"ってやつですね」
「うん、そういうこと」
そう言って八木さんはニッと笑みを浮かべる。けれどその表情はどことなく憂いを帯びているように見えた。きっと彼も本当のところは緑谷くんを心配しているのだろう。彼のインターン参加を渋っていたくらいだし。だけどもう後戻りはできないから、こうして"信じる"しかないわけで。
「……心配ですけど、結局なんだかんだ大丈夫なんでしょうね。だって緑谷くん、入試の時より随分逞しくなりましたし」
「そっか、君も入試の時の彼を見ているんだったね」
「はい。最初はなんて言うか、危ない子だなって……まぁそれは今も思ってるんですけど……」
思い浮かぶのは林間合宿で敵に襲撃された際、ボロボロの姿で障子くんに背負われていた彼だ。あの時緑谷くんは、酷い大怪我をしていると言うのに「このメンツならオールマイトだって怖くない」と言ってのけた。絶望的な状況だったはずなのに、私はその言葉に確かに安心感を覚えた。彼の言葉には人を勇気づける不思議な力があるように思う。緑谷くんが大丈夫と言うのならきっと大丈夫なのだろうと、そう思ってしまうような。
それを八木さんに伝えれば、彼は「そうか」と小さく呟いて遠くを見つめた。その口元には薄ら笑みが浮かんでいた。
「基準が八木さんっていうのが緑谷くんらしいですね。よっぽど尊敬されてるようで」
「私ももう引退した身だけどね」
「でも、こうしてちゃんと受け継がれてるじゃないですか」
「……ウン、ありがたいことだ」
八木さんは照れ隠しするようにちらりと時計を確認して「そろそろ行こうか」と私にアイコンタクトをした。実は授業の最後に私の仕事も用意されているのだ。
身を乗り出して、絶壁をよじ登る彼らを見下ろす。そして既にゴール近くまで来ている彼らに向かって「あぶなーい!落石だぁー」と少しばかり棒読みな台詞を吐けば「「えっ!?」」と揃った声が返ってきた。
間髪入れずに手に持っていた紙――――を岩へと戻しながら落としていく。途端「うわぁああッ」と叫び声が聞こえたけれど、正直なところあまり心配はしていなかった。だって彼らならこれくらい難なくクリアできると分かっていたから。私の予想通り生徒たちは岩を避けたり破壊したりしながら、全員が無事にゴールまでたどり着いたのだった。流石にへとへとに疲れた様子だったけれど。
軽い講評ののち「じゃあ今日はこれでおしまい」と八木さんがパンッと手を叩いて授業は終了となった。途端にクラスを包む空気が緩んで、体育館の出口の方へと向かいながら生徒たちのお喋りが始まる。「やっぱ一瞬対応遅れるわ」「急だと判断迷うよな」なんて、早速授業の反省をしているところは流石である。
「私達も戻ろうか」
「はい」
授業が崖の上で終わったために、これから下まで降りなければならない。この崖を作った石山さんが階段まで用意してくれているからそれを下っていくだけなのだが、急ごしらえということもありこれがまた不安定なのである。足を踏み外さないようにと、壁に手を付き一歩一歩ゆっくり歩を進めていく。
すると先を進んでいた八木さんが不意にこちらを振り返った。「ここ狭くなってる」と言う彼の言葉通り、私の少し先には10cmにも満たない幅の階段が数段続いていた。しかも一段一段結構な高さがある。登る時にも苦労した箇所だ。
八木さんも生徒たちも人並外れて運動神経が良いからこれくらいどうってことないのだろうが、私にとってはそれなりの障害である。それに目敏く気付いた八木さんが、まるでエスコートするようにそっと手を差し伸べてくれた。
だけど彼は「あ、」と声を漏らして、すぐにその手を引っ込めようとした。慌てて腕を伸ばし彼の手を取ると、少し驚いたような双眼と視線がかち合う。
「もう大丈夫なのか?」
その質問の意味は聞かずとも分かる。10日程前に彼の手を振り払ってしまったことで、きっと全てを悟られたであろうことは私も気付いていた。"生物まで紙化できてしまう"それが分かったせいで、人に触れる事が怖くなっていること――――彼は何も言わないけれど、私の悩みに気付いているに違いないなかった。
なにせ脳無を紙にしてしまった時、最初に報告した相手が八木さんだったから。取り乱す私の背をさすり、寄り添ってくれた優しい彼だから。
「はい、ご心配お掛けしました」掴んだ彼の手にぎゅっと力を込めれば「乗り越えられたなら良かった」と優しい笑みを返された。何だか急に照れくさくなって、咄嗟に足元に視線を落とす。
のろのろと階段を降りる私の歩調に合わせ、八木さんがゆっくり私の手を引く。彼は"引退した身"だと言うけれど、その手は確かにヒーローのものだった。
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