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良いことがあった後には必ず悪いことが起こる、とはよく言ったもので、この日私は人生最大の幸運と人生最大のトラブルをいっぺんに経験してしまった。

ことの始まりは、ノリで買った宝くじが見事当選したことだった。その額なんと100万円。ネットで当選を知った私はすぐさま友人たちに連絡をとり、金曜日なのを良いことにその日のうちに飲み会を決行した。もちろん全て私の奢りである。

仕事終わりにお高めの焼肉屋に集合して、好きなだけ飲んで食べて、2軒目3軒目とハシゴして、ようやく家に帰ったのが午前3時。こんなにも奮発した夜を過ごしたのは始めてのことだったから、それはもう気持ちの良い帰宅だった。一晩にして早くも1割以上を浪費してしまったが、元は存在しなかった金である。懐は痛くも痒くもない。

そうして鼻歌交じりに扉を開けたところで問題発生。そう、ここで人生最大のトラブルに見舞われたのである。

「静かにしろ。騒ぐと撃つ」

いや、待って。どういう状況?

目の前には拳銃らしきもの、背中には冷たいフローリング。どうやら押し倒されたらしい。ただでさえアルコールで動きの鈍い頭が、軽い取っ組み合いのせいでぐわんぐん揺れている。なんだかよく分からないけれど、とんでもなくヤバい状況なのは分かる。

「んー! んー!!」

首を必死に横に振りながら声を上げるが、口を覆われているために言葉にならない。とにかく拘束から逃れようと必死にもがいてみる。しかし力の差は歴然で、相手はほんのぴくりとも動かなかった。

「本当に撃たれたいか」
「んー!!」

私の口を覆う手を鷲掴み、力任せに押しのける。火事場の馬鹿力とでもいうべきか、ようやくそれから逃れられた。ハッと大きく息を吸い込み、腹の底から声を出す。

「くさい!!」

そう叫んだ途端、時が止まったようにその場が静まり返った。男はといえば、呆気に取られた顔で硬直している。この好機を逃すものかと、私はさらに言葉を続けた。

「臭すぎる! 目に染みる! 退いて!!」
「……わ、分かった。分かったから大声を出すな」
「早く! 退いて!!」

その人は急いで私から身体を離し、両手を上げた。その隙に部屋の隅へと移動して、男からできるだけ距離を取る。もちろん鼻を摘むのも忘れない。それからまっすぐに擦りガラスの扉を指さした。

「お風呂、入って」
「……は」

2メートルほど距離をとったというのに、相変わらず嫌な匂いが鼻をつく。というか部屋に充満している。このままでは壁や床にまで匂いが染み付いてしまう。

呆然としている男を無視して部屋中の窓を開け、キッチンへと走る。左端の引き出しからゴミ袋(大)を1枚とり出して、むんずと男に差し出した。

「服はこの中! 帽子とか靴下も全部!」
「…………」
「は や く !」

狼狽える男を無理やり浴室に押し込んで、最後にゴミ袋を放り込む。何か言われる前にと扉を閉めたところで、我慢していた嘔吐感が喉を責め立てた。呑みすぎで生じていた吐き気が、あの強烈な匂いのせいでぶり返したのだ。

慌ててトイレに駆け込み、食道あたりにつっかえていたものを全て吐き出した。それでも全然すっきりなんかしなくて、頭はガンガン痛むし胸焼けもする。とりあえず口の中だけでもすっきりさせようと、再びキッチンに戻ってうがいをした。

と、そこで浴室の扉が開く音がした。見れば先程の男が隙間からこちらを覗き込んでいる。目が合うこと数秒──「使い方が分からん」ときた。

「はぁ?」

磨りガラス越しに肌の色が見えるから、どうやら服は全て脱いだらしい。とりあえず服の入ったビニール袋を受け取って、しっかり口を結び、洗濯機の横に投げておいた。

「これタオル。前隠して」
「あ、あぁ……」

タオルを腰に巻いたのを確認してから浴室に入り、「これがシャンプー、ボディーソープ、洗顔……」と説明していく。が、シャンプーの時点で何故か疑問符が飛んでいた。

頭痛いし眠いのに……とどうにも面倒くさくなって、「座って」と男を椅子に押し沈め、勝手に入浴介助を始めた。

臭いをしっかり取ってもらうためにもお湯には浸かって欲しいので、ひとまず浴槽にお湯を溜めていく。それと同時に男にシャワーをぶっかける。水圧が弱いが仕方ない。それからシャンプーを泡立て、わしゃわしゃと坊主頭を捏ねくり回した。

ボディタオル──明日新しいのを買いに行こう──にボディーソープを染み込ませ、背中を洗ってやり、前は自分でやれと手渡した。それから男の手のひらに洗顔フォームを出してやり、洗うのは当然セルフ。「耳の後ろ! 顎のラインも! こめかみ!」男の手が私の指示通りに動いていく。

ようやく全て洗い終えた頃には(念には念を入れてこれらの作業を3回繰り返した)、浴槽のお湯も十分溜まっていたので、そのまま中に入るよう促した。

「しっかり肩まで浸かって。10分は入ること。上がる前にもう1回シャワー浴びて。もう使い方は分かるね? じゃあタオルは出しとくから。あー、着替えも置いとく」

最後の方はもう疲れ果てて、返事も聞かずに浴室を出た。裾を折っていたとは言え、スーツがビショビショだ。とりあえずバスタオルを出して、その隣に大きめサイズのスウェットも置いておく。

男はゴツめだったけれど、私より身長は低かったので多分これで大丈夫だろう。男性用の下着なんて家には置いてないからノーパンで我慢してもらうとして。よし、スウェットはこのままくれてやるか後で捨てることにしよう。

そこでようやくひと段落ついて、同時にどっと疲れがやって来た。あぁ、スーツ着替えなきゃ……とは思ったものの、ここでソファに沈んだのが不味かった。一気に睡魔が襲いかかってきたのだ。
お風呂もまだだし、せめてメイクだけでも……と思った時には、既に半分夢の中だったように思う。

私は入浴中の男を放置して、そのままソファで眠りこけてしまったのだった。