前編



 
 恋愛のセオリーを無視して一線を超えてしまった関係は、私にとって初めてだった。

「尾形くんの家かき氷機ってある?」
 仰向けになってる尾形くんへと寝返りを打った。尾形くんのベッドの滑らかなシーツは火照った身体をしっとり冷ましていく。求め合った熱を名残惜しく逃がしながら、私は真っ暗な部屋の中で彼の呼吸に耳を澄ませていた。

「ない。一人暮らしで買うものでもねえだろ」
「そんなことないよ。今すごい手軽なやつだってあるんだから」
「欲しいのか?」
 私の髪に指を巻いて遊ぶ尾形くんに少しほっとしてしまう。前に過去の恋愛について訊いてもはぐらかした彼は、部屋で女の子とかき氷を作ることはしなかったらしい。

 尾形くんがベッドの上のスマートフォンを手に取ってかき氷機≠ニ検索エンジンに入れた。東京の七月の灼熱は、私たちから外でデートする選択肢を遠ざけている。尾形くんにもそれなりに魅力的な提案なことが、光に照らされた彼の真剣な目で分かる。

「ちゃんと使うんだろうな」
「うん。できれば電動じゃなくて手で回すやつがいい」
「俺に作らせるつもりだろ」

 三度目のデートで、尾形くんは初めて私を部屋に入れてくれた。身体を重ねた時にこの関係性をはっきりさせる質問をできなかった私は、今も「好き」のひとつも言わない彼の家に、二人で買ったものを増やしていく。

 ようやく通販サイトでの注文が終わった時には電車の時間が迫っていて、服を拾い上げる私の後ろで尾形くんも起き上がった。この瞬間いつも胸が狭くなる。片道十分の距離を必ず駅まで送ってくれる尾形くんの優しさは、言い過ぎたら安くなってしまうのだろう言葉よりずっと価値があると信じている。

 玄関でキスをした感触が、夏の夜風に吹かれて消えていく。手は繋がない。前に繋ごうとしたら「熱いから」と断られてしまった。大人の恋愛でそこに拘る必要はないかもしれないけれど、ベッドでは縫い付けて離してくれない厚い手のひらが外ではドライだと思うところはある。

 コンビニのガラス窓に貼られたポスターに足を止めた。大きな川の上に打ち上がる幾重もの花火。有名な花火大会の告知だ。
「コロナでずっとできなかったから久しぶりじゃない?」
 河川敷の近くで打ち上げるなら尾形くんの部屋のマンションから見れるかな。彼は人混みが好きではないはずだから。そう思いながらも、光と音が弾ける夜空を見上げた遠い記憶に思いを馳せる。

「行くか?」
 ポスターを見たまま尾形くんが言った。
「いいの?」
「行きたいんだろ」

 間に合わないぞと、尾形くんが歩き出す。この前カフェのアフタヌーンティーを提案した時は気乗りしない返事だったのに。最近デートらしいデートができていなかったし、私のために言ってくれたことが嬉しい。私は甘い感情を噛み締めながら、夏の夜の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。通り慣れた街がいつもよりきらきらしている。

「浴衣着ていこうかな」
「それは、俺が見たい」

 つい零れたかのような呟きにびっくりして尾形くんを向いた。そしたら急に早足になってしまって、追いかける私は聞き返すことなんてできなかった。尾形くんの扱い方は本当に難しい。あまりある熱は、彼をコントロールする余裕なんて持たせてくれないのだから。

 ***

 その日は尾形くんが、友達との飲み会の後に私のマンションへ来る日だった。

 前も友達との飲み会後に家へ来た尾形くんは、部屋へあがるなり覚束ない足取りでソファに沈んで目を瞑ってしまった。私の前では上品に日本酒を嗜んでいた尾形くんがああなるのを見たことがなかったから、それだけその“杉元くん”たちに気を許しているのだと思う。

 また酔い潰れないかという心配と、ほんの少しの下心が、尾形くんから連絡が来ていない私を電車に乗せた。自分もこの駅で用事があったというには遅すぎる時間だけど、嫌な顔はされないと思って。

 赤提灯を提げたお店が軒を連ねる飲み屋街は、陽気なざわめきに溢れている。尾形くんから聞いていたお店が見えてきたところで、三人組の男の人が暖簾をくぐって出てきた。その一人が尾形くんだとすぐに気付いて胸が華やぐ。私に気付いていない尾形くんはこの前みたいに深酔いはしていないようで、坊主頭の人が腕にしなだれかかるのを引き剥がそうとしていた。一瞬あれが杉元くんかと思ったけど、尾形くんの話ぶりからしてもう一人のキャップを被った人の気がする。

「尾形ちゃんは今から彼女のとこ行くのぉ?」
 駆け寄って距離を詰めると、話し声が聞こえてくる。尾形くんが私のことを話していたんだと思うと嬉しくて、彼を振り向かせようともっと近づいた。

 だから、尾形くんが返した言葉に凍りついた。

「彼女じゃねえって言ってるだろ」

 尾形くんを呼ぼうとしていた声が喉につっかえる。鬱陶しそうな、そう思われるのが迷惑とでも言いたげな返事だった。両脇の二人は意にも介してなさそうに続ける。

「いやいや彼女なんでしょ?照れなくていいじゃ〜ん」
「そうだぞ尾形。今度バーベキューするときさあ、彼女さんが嫌じゃなかったら連れてこいよ」
「それいい! 明日子ちゃんも女の子いた方が嬉しいだろうし」
「ふざけんな! 俺はヤれるからあいつと会ってるだけだぞ」

 足を止めた地面が、沈み込むように歪んでいく。バラバラに砕けていくような痛みが全身を駆け巡った。
「お前さあ、さすがにそれは……」
 三人の声が遠のいていくのに、尾形くんの言葉はしっかり鼓膜にこびりついて頭の中で繰り返される。

 本当はずっと引っかかっていた。尾形くんにとって自分が都合のいい女だと知った途端、その全てに合点がいってしまう。それでも大事にされてると信じたかったのに、もう無理だ。だって、私がいないところで言ってることが真実に決まってる。

「あれ?待ってあの子……ちょっと、尾形ちゃん!」
 坊主頭の人と目が合った。呆然と立ち尽くしている女が尾形くんの彼女 だと分かったみたいで、キャップを被った人と詰り合っている尾形くんをやめさせようと声を張った。
 ようやくこっちを向いた尾形くんは、みるみる表情が抜け落ちて紙のように真白くなっていく。遊びなのは自分だけだと知っているから、私に本音がバレて言葉を失っている。

 じゃあせめて、分かるように線引きしてほしかった。そしたらちゃんと弁えて、飲み会の迎えになんて来なかったのに。
 滲んでいく視界の中で尾形くんをこれ以上見たくなくて、三人に背中を向けて駆け出した。

「待て」
 後ろから声が飛ぶけど、無視して走り続ける。心が破れたように悲しくて、恥ずかしい。尾形くんの友達に会えたら、紹介してもらえたらという浅ましさを少なからず抱いた自分が、バカみたいで恥ずかしかった。
「待てっておい!」
 逃げる足音と、追いかけてくる足音が夜の繁華街に響く。何で追いかけてくるの?これ以上惨めにさせないでと、憤りを脚にこめてもみるみる距離は縮まっていく。結局、角を曲がったところで尾形くんに腕を掴まれてしまった。

「ほっといてよ!」
「違う……、今のは違う」

 道行く人たちの視線がこの修羅場に注がれている。でも、同じように肩で息をする目の前の尾形くんに腹が立ってどうでもよかった。

「いいよ。そういうつもりないって、分かってたから……、あれが本音じゃん」
「本音じゃない」
「痛いんだけど腕。離して」

 尾形くんの方がこの視線を気にしそうなものなのに、私を逃がすまいと、腕を握る手の力を緩めない。

「白石、……さっきの坊主頭の奴が、お前と歩いてるところ見たって言って、……あいつらがアホみたいに騒ぐから」
「だから何?」
「分かるだろ」

 ずいぶん独りよがりな「分かるだろ」だった。拙い弁明に、熱い胸の中がすんと冷えていく。

 拙くて言葉足らずだからこそ、尾形くんの言い分は理解はできた。でも、自分が傷つけられた理由が「照れ隠しだった」なんて納得できるわけがない。あんな言葉が出てくる時点で、尾形くんにとって私はそういう女だと考えるのが当然だ。あの部屋に他の女の子が出入りしている痕跡はないけど、もしかしたら好きな子がいるのかもしれない。そう疑い始めたらキリがなくて、私が数えていた尾形くんからの優しさは、あの言葉を跳ね返す強さを持っていなかった。

「悪かった」

 騙されたというつもりはない。尾形くんの部屋にあがって、「好き」とも「付き合おう」とも言われないまま彼に抱かれて関係を始めたのは私の意志だ。でも、尾形くんに私と同じ感情がないと理解しながら関係を続けるには、あまりにも私は尾形くんを好きになり過ぎていた。

「もういいよ。終わりにしよう」

 尾形くんがひゅっと息を呑んだのが分かった。どうして尾形くんが傷ついた顔をできるんだろう。本気で恋をしたから傷ついているのは、私なのに。

「お前が許すまで何でもする」
「何でもって……」
「終わりになんかさせない」

 振り絞るような声で尾形くんは言った。私が後ずさろうとすると、さっきより強い力を込めて腕を引き戻してくる。ここまで縋り付いてくる尾形くんに少し怖くなったけど、喜びを覚えることはなかった。そんなに私との身体の相性が良いのかなって、下品な考えが頭に浮かぶ。言いくるめればまだ繋げるバカな女だと思っているのだろう。そんな人の「何でもする」なんて一片の価値もなかった。

「好きにすればいいけど、もう尾形くんの部屋には行かない。私の部屋に来てもいいけど絶対開けないから」
「は?」
「嫌ならここで全部終わりにする。やっぱ尾形くんにとってはそういうことできなきゃ意味ないんでしょ?」

 こんなの、もはや終わらせるための条件だ。一方的に終わらせることができないなら、尾形くんが私に執着しなくなるのを待つしかない。今はなぜか頑なに私を離そうとしない尾形くんだって、身体の関係が持てないなら諦めるに決まってる。

 尾形くんは私の言葉にぐっと唇を引き結んでいた。自分で吐いた言葉なのに、それが彼の本音なんだと思ったらすぐにまた瞼が熱くなる。

「分かった。それでいいから」
 条件を呑んだ尾形くんは私を家まで送ろうとしたから、腕を引き剥がして断った。私を諦めない真っ直ぐな目も、「連絡する」という言葉も、全てが今の私には白々しかった。

 帰り道、涙の跡が頬に張り付いていく。結局チャンスを与える形にしてしまった自分の甘さに後悔して、平手打ちでもお見舞いしてやればよかったと思った。
 
 ***

 あの夜からずっと、尾形くんの言葉が頭の中に反芻しては傷を抉った。同僚と美味しいランチに行っても、面白いテレビを見ても尾形くんの言葉は離れることなくそこにあって、何かに笑ったり集中することを邪魔してくる。お酒に逃げたくて一人で飲みに行こうと思ったけどやめた。尾形くんと出会った居酒屋以上にいいお店を私は知らない。

 夜、ベッドで目を瞑ると三人がこっちを見た顔が瞼の裏で鮮明によみがえる。でも、今日は強い眠気がその姿を徐々にぼかしていくから、ようやく意識を手放せそうだった。尾形くんからの着信が鳴り響くまでは。

「なに」
 苛立ちを露にした私の声で、電話越しの尾形くんが怯んだのが分かった。彼が好きだった時の私ならちょっと可愛く眠たげな声を作ったのに。

「いや、元気かなって」
「それ尾形くんが言う?」
「……メッセージの返事ないから」

 何件も来ていた懺悔とか日記みたいなメッセージは既読だけつけて無視していた。だって、そこで会話を繋げて許した≠ニ思われたくないから。

「前にアフタヌーンティー行きたいって言ってただろ? 週末行かないか?」
 尾形くんが覚えていたことに少し驚いた。渋い反応だった彼に催促したくなくて、あれ以来言わなかったのに。

「あれはあの時行きたかったの。今こうなってから言われたって行きたくない」
 傍から見たら私も可愛くない女かもしれない。でも、機嫌を取ろうとしている尾形くんの腹づもりが透けて見えると余計苛立ってしまった。

「悪い。そうだよな」
 視線を俯けている顔が目に浮かぶ。こんなの長続きするわけない。何もかも跳ね除けられたら、馬鹿らしくなった尾形くんは匙を投げるだろう。それでよかった。抱けない私を見限って違う子のところへさっさと行ってしまえ。そう心の中で毒づきながらも、尾形くんが他の女の子をあの部屋に入れるところを想像すると、上手く息ができなくなる。

「それなら明日、定時で仕事終わらせてからお前の職場の駅に迎えに行く。家の前まで送るだけなら問題ねえだろ」
「普通に問題あるよ!」
 ぎょっとして大きな声が出た。
「私は明日忙しくて、何時で終わるか分からないから」
「待ってる」
「待たれても困るよ」
「じゃあ俺はいつお前に会えるんだよ」

 語気を荒くした尾形くんに言葉が詰まった。彼は私が遠ざかっていくことに焦っていた。メッセージを無視されても、デートの誘いを跳ね除けられても、退こうとはしてくれない。

「頼む。顔見れるだけでいい」
 以前の尾形くんは、こんなひたむきなことを言ってくれる人ではなかったのに。どうしてそこまで私に拘るんだろう。


 駅で一時間近く私を待っていた尾形くんはやつれていた。彼の白い肌にはクマが目立ってしまう。私が来ないと思ったのか食い入るように見つめてくる尾形くんが怖くて、さすがに冷たくはあしらえない。

 帰宅ラッシュの電車に二人で乗り込むと、窓の外の景色を眺めて気まずさをやり過ごした。ビルの向こうの淡い夕焼けを見ても、全然穏やかな気持ちになれない。隣にいる尾形くんに心がかき乱されて、電車が線路を踏む音が遠くで響いている。

 私は尾形くんからの好意を信じようとしながらも、多くを求めて彼に面倒だと思われることを恐れていた。捉えどころのない飄々とした彼は、他人に執着しない、去る者を追わない人だと感じてたから。だからここまで私に執着する尾形くんは、私の知る尾形くんと重ならなかった。互いの職場を挟む場所にある尾形くんのマンションと私のマンションは、電車だけで片道三十分かかるのだ。ただ家まで送るなんて割に合わないことをして私との時間を持とうとする彼に、正直今は不気味さを感じてしまう。

 尾形くんが立っていた場所の前の席が空くと、彼は遠慮する私の背中に触れて席に座らせた。私は席を譲られて申し訳ない人みたいにただじっと俯いて、自分へと落ちる尾形くんの視線に耐えた。隣に座る若いカップルのじゃれ合った話し声が一層居心地を悪くさせてくる。

 私はただ、尾形くんが自分を見限って離れてくれることを待っている。だからもう、笑いかけたり今日あったことを話したりなんてしない。あの言葉を聞く前の私にはもう戻れないことが苦しくて、ずっともがいているのに。また尾形くんとの恋に夢を見れるわけがなかった。

 電車を降りて薄闇が溶けた空の下を帰る間、しばらく尾形くんとの会話はなかった。私は気まずさを握り締めながら、尾形くんと他人行儀な距離をあけて歩いている。

「杉元と白石に」

 あの日、尾形くんと一緒にいた友人たちの名前を聞いて身構える。私を追いかけた尾形くんが、置いていった二人にあの後何と言ったのかは気になっていた。

「お前のこと、彼女だって言った」

 今更それが何になるんだと思った。それで責任を果たしたつもりにならないでよ。私をずっと彼女にしなかったのは尾形くんのくせに。そう言い返してやりたいのに、言葉が出てこない。意地になっていた尾形くんが自分の口で撤回したのは、私とやり直すための誠意だと気づく他なかった。

 私はなんだかすごく泣きたくなって、興味がなさそうに「ふぅん」としか返せなかった。今度こそ私を彼女にしてくれるつもりらしい尾形くんの意志を、受け止めるわけにはいかなかったから。

 マンションの前に着くと尾形くんは足を止めた。

「じゃあここで」
「うん」
「また送れそうな時、連絡する」

 この程度で揺らぐものかも思いながらも、私はしばらくそこから動けなかった。遠ざかっていく尾形くんの背中はあまりにも、いつも彼との別れ際で募らせていた愛おしさを思い出させるから。


 それからも尾形くんは、会社の最寄り駅に来ては私をマンションの前まで送った。早く帰って休んでほしいと、本心を含めて伝えてもやめようとはしてくれない。私が終わらせるために作った条件を守ったまま、私との関係を立て直そうとしている。思っていたよりずっと義理堅い人だ。

 ここまで必死になる尾形くんはきっと、私が終わりにしようと言ったあの日、思っていたよりは情があったことに気づいたのかもしれない。彼女にするほど好きじゃないから、今まで彼女にしなかったくせに。情で繋がったところで愛を見出すことなんてできないし、私が惨めになるだけだ。私は硬い態度を貫いて、尾形くんに絆されないようつとめた。尾形くんが早く、私を見限るように。

 でも、駅へ迎えに来られる以上に戸惑うことが起きたら、思わずその態度を崩してしまうことはある。たとえば、駅へ迎えに来た尾形くんが花束を抱えていたら。

 その立ち姿は様になっていた。水色の紙包みを持つワイシャツ姿の彼はいつもより爽やかに見えて、行き交う人たちが視線を寄越していた。でも照れ臭さに耐えかねていたのか、私が来ると何も言わず、尾形くんはその花束を押し付けるように渡した。ずいぶんぶっきらぼうな差し出し方だ。

「どうしたのこれ、私に?」
「嫌いなのか?花」
「いや、そうじゃないけど、びっくりして……」

 受け取った花束はふわりとしてるのに、しっかりとした重みがあった。これも彼なりの誠意の示し方なんだろう。この前は有名な洋菓子店のケーキ。たしかにあの時はちょっと喜んでしまったけど。ケーキに罪はないし、後から相応のものを返したから。それにしても急に極端だなと思う。

 紙包みの中の繊細な花びらたちをじっと見た。主役の大きなユリが青色の系統の花で囲まれていて、その凛とした華やかさと上品な香りに思わず頬が綻ぶ。

「尾形くんが青がいいって店員さんに言ったの?」
 どうして自分の好きな色合いが分かったのか不思議だった。青い花を花束に使うってなかなか難しそうなのに。何度も前髪を撫で付けている尾形くんは答えるのを躊躇っているようで、これは返答が貰えそうにないと思ったから「行こう」と言って改札へ歩き始めた。

「水族館行った時」
「ん?」

 ぽつりとこぼれた唐突な言葉が、二ヶ月前のデートのことを言っていると気付くまでに数秒かかった。花束の話からそこに飛ぶと思わなかったから。

「こういう感じの服だっただろ。青の」
 そうだった。あの日着ていたのはたしかに青のワンピースだ。尾形くんの前では一度しか着ていないはずの、デートに向けて買った服。尾形くんはその服を着た私を見ても何も言わなかった。あの日だけじゃない。服を褒められたことなんてないから、何を着ても関心がないんだろうなと思っていたのに。

「似合ってたから」

 そう言った尾形くんの耳はみるみる赤く染まっていった。いつかの帰り道みたいに早歩きになっていく彼の表情は見えない。花屋に行って、あの日の私を思い出しながら店員さんにオーダーする尾形くんを想像する。私も顔が熱く火照って、その場でしゃがみ込んでしまいたくなった。

 こんなアプローチ、今まで誰にも受けたことがない。違う。尾形くんが意外なことをしてきたから驚いているだけだと、自分に言い聞かせる。湧き上がる甘い感情に必死で抗う私を、花たちが微笑んでいるような気がした。




冷たいラブロマンスを抱いて眠る