尾形が言い逃げする話
まもなく電車が到着するアナウンスがホームに響いた。何本か向こうのホームに立つ杉元くんと白石が手を振っている。振り返しても、私の隣にいる尾形はポケットに手を入れたままだった。
「もしかして、ほんとは今日他に予定あった?」
「何で」
お店まで行く時、仏頂面だったし。そう答えようとしたけれど、ホームに入り込んでくる電車の音で聞こえないだろうと思ってやめた。乗り込んで奥へと進むとちょうど目の前が一席だけ空いていて、二人だから遠慮したのに「座ればいいだろ」と促される。座った向かい側に尾形が立って電車が緩やかに走り始めると、また私たちの間に会話はなくなった。
週の半ばに同期で飲みに行くことになっても、仲間外れにされたくない尾形が断ることはなかった。いつもと違うのは、今日が尾形の誕生日だということ。それを知ったのは、尾形が指導している入社一年目の女子が尾形にプレゼントを渡しているところを目撃したからだ。尾形と私は互いの誕生日を祝い合うような間柄ではない。「今日誕生日なんだね。おめでとう」と声をかければそれで終わるはずだったのに。後輩が渡していた紙袋の上品なデザインとか、満更でもなさそうに受け取る尾形の表情が仕事中も頭から離れない。普段そういう話を降っても全然乗ってこない尾形に、私は安堵していたのだろう。自分がショックを受けていることにショックを受け、でもショックを受けているうちに今日が終わってしまうことに焦って、白石と杉元くんに声をかけて尾形の誕生日を祝うことを決めた。誘いを受けながらも不服げだった尾形は、本当は今夜、あの子を食事に誘うつもりだったのかもしれない。
「店、お前が決めたのか?」
唐突に尾形がそう聞いてきたは、一駅目に止まった電車がの再び走り出してからだった。顔を上げた私が頷くと「いい店だったな」と言うから、心が沈んでいた私はほっとした。付き合いが短くない私は、これが尾形なりの「ありがとう」なのだと知っている。
「料理美味しかったよね」
私を見下ろす尾形の視線に柔らかさを覚えて、顔が火照っていく。今日気づいてしまったこの感情は、見慣れた立ち姿や表情や仕草さえ新鮮に映すからどきどきしてしまう。尾形と二人で飲みに行くことは今まで何度もあった。今日はその度胸がなかった私は、四人の会にして正解だったと思う。
「お前の誕生日」
いつだと聞かれているのだと気づいて答えたら、もう尾形が降りる二駅目に着くところだった。「考えとく」と言う尾形は、今日のお礼をしてくれるつもりなのだろう。意外に義理堅いしな。その時も、尾形に恋人がいなければいいと思ってしまう。
「俺は、あいつらは誘わないからな」
向こうへと視線を逸らした尾形の耳が、みるみる赤くなっていく。その言葉の意味するところを理解した瞬間、電車が大きく揺れて止まった。降りていく尾形がドアのヘリにぶつかる。それを笑うこともできない私は、明日からの尾形への接し方を見失いつつあった。