03

囲碁聞いて両親たちは最初「え?」と私に聞き返した。

うん、そうだよね。
いくら何でも囲碁は予想外だよね。



しかしながら私は前世にてアマチュアながら囲碁を嗜んでいた。
理由は単純で母がヒカルの碁にはまったことで子どもの私に習いさせ始めたのである。


なんとも単純で予想通りな理由だが今となってはよかったのではないかと思う。
おかげで私は今だいぶ有利な条件で囲碁を始めることができる。



私は現在5歳。

あの塔矢アキラは確か2歳だったか3歳だったかでは囲碁を始めていたはずだ。



年齢差でいっても彼はすでに囲碁を始めているのだ。

私も負けないように遊びやお稽古事ではない、真剣に取り組んでいこうと意気込んでいた。



私が前世で囲碁をしていて、今世ではもっと囲碁の力をつけたいため子どものころからやりたいと告げれば両親は二つ返事で了承してくれた。

もう基礎云々の話ではないので碁会所に行くことを希望したが、まだ子どもということもあり保護者同伴でという条件のもと許された。



特に父は私がお願いをしてまでやりたいという囲碁自体に興味を持ったらしく、これから勉強したいと思っているようだった。

とにもかくにも私もこれでスタートラインに立てたということだ。

私のやる気はすさまじく、家でも囲碁を打ち続けたまに父へ教えながら棋譜並べやネット碁をする毎日だった。





幼馴染との呼び合い方が変わったのは小学校中学年。

たしか私が10歳、彼が9歳のころだったと思う。



友だち関係が盛んで男女という違いを意識し始める年ごろである。
彼は私を「菜穂」と呼ぶようになり私も「ヒカル」と呼ぶようになった。




友だちの前では恥ずかしいのかあまり彼から私に話しかけることはなくなったが、宿題がわからない、ゲームがしたいなどといった具合で窓から向かいの私の部屋へ「菜穂ーーー!」と呼びつけることは日常茶飯事だった。
その度にヒカルの部屋へ赴き夜ご飯も一緒というのが流れだった。



ときにはあかりちゃんも一緒に。
確か学年行事のものなどはヒカルの部屋であかりちゃんとなにか作っていた様子を覚えている。

その時はさすがに「ああ、同い年っていいな」と少しうらやましく思ったものだ。




ちなみにヒカルママが忙しい私の両親の様子を知っているからか私の部屋で遊ぶことはほとんどなくヒカルの部屋が常だった。
私の部屋でもよいのだが碁盤をいちいち見つからないように隠すのが面倒なのでヒカルママのご厚意には思いっきり甘えさせてもらった。




そして囲碁についてだがこんなこと言っては何だがヒカルがバカでよかったと思っている。


5歳から始めた囲碁だが最初こそ休日に父に碁会所に連れて行ってもらう形だったが家から一番近い碁会所に通うことが鉄板化してきてからは平日の放課後に通うことを許してもらえ、一人でも通うようになった。


そうなるとヒカルはなんで家にいない日が多いのか、友達と遊びに行っているわけでもなさそうな私に聞いてきた。

私は「お勉強しに行ってるの」と答えた。

するとヒカルは何を勉強しに行っているのかなんて尋ねることはなく、お勉強=塾と判断したようで「まじか、大変だな頑張れよ」とそれ以上聞いてくることはなくなった。



私にとっては好都合だった。
ヒカルに隠し事はしていることになるが嘘をついてはいないからだ。



毎日打ち続け前世とは全く違う頻度で打つことになり場合によっては飽きたりなどしないかと危惧していたが、そんなことは全くなかった。

むしろどんどん囲碁にのめりこんでいくようで楽しくて仕方がなかった。


自分の力がめきめきとついていく感覚もしっかりと感じられ、やはり小さいころから本格的にやることの大切さを実感した。

何せ私は天才ではない。
ただのフライングというか前世からの棋力という名のセーブデータを引き継いだずるい子だ。


ずるくたっていい。
望んで前世の記憶を継いだわけではない。



使えるものは最大限利用してこれからは「努力」で突き進んでやる。


努力は天才に勝るって昔誰かが言っていたしね。



そんな囲碁にのめりこみ続けた5年間。
ヒカルは地域のサッカーチームに入ったと本人から聞いた。


確かヒカルの部屋で勉強を見ていた時



「サッカー…」
「え?」
「友達がさそってくれたから始めようと思ってんだ」
「クラブチーム?」
「そう、火曜と金曜の週2回。だからサッカーある日は遅くなるから」
「そっか、じゃあますます一緒にいる時間少なくなるね」


私がそう言えば


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