02
あれからヒカル君からわたしはひー君と呼ぶようになり
「ひー君」「菜穂ちゃん」と呼び合っていた幼少期。
私たちの関係は至って良好だった。
幼少期というのは大人と違ってたった一つ違いでも年齢を感じるものだ。
ひー君は私をおそらく本当の姉のように思っていたのだと思う。
彼は運動が大好きなようでことあるごとにやれ公園へ行こう、今日はサッカーだ、バスケだと私を誘っては汗にまみれながら夕暮れまで遊んだ。私自身はまあ運動が嫌いなわけでも苦手なわけでもないのだがなんせ子どもの遊びレベルのため、心から楽しんで汗にまみれることはできなかった。だから適当に合わせて適度に休憩してひー君の遊び相手という役目を務めた。
我ながら心がすさんでいる。
しかしながら義務的な意味合いだけでなく私はひー君といる時間は思いのほか好きな時間だった。
次の休みはどこへ行くんだ、この前○○君と虫取りをしたなど彼が満面の笑みで私へ話す様子は話の内容以上に私にとってかけがえのないものだった。
幼馴染として過ごす私たち。
そこに思考が至ったとき、ただ一つ、まだ導き出せない問題に直面する。
「進藤ヒカルの幼馴染」
このポジションにいる人物はただ一人であるはずだ。
間違っても永瀬菜穂という人物ではない。
彼の幼馴染は「藤崎あかり」、彼女のはずである。
私のいるこの世界でも藤崎あかりはいた。
進藤ヒカルの”同い年”の子の中で一番家族ぐるみで仲の良い子という微妙なポジションとして。
微妙となってしまっているのは言わずもがな、私という存在のせいである。
いっそ成り代わりであるのなら納得も行く。
そりゃあかりちゃんという存在が消えてしまうことは大反対だが「私」が進藤ヒカルの「幼馴染」となるならばそちらの方が筋が通っているというだけの話だ。
ちなみに私とあかりちゃんも仲良しだ。
神様も不思議なことをするものだ。
一周回ってやはりこれは私の壮大な夢なんじゃないかと思う時もいまだにある。
だってこれは並行世界以前に私の中ではフィクションだった世界だ。
考え出したら頭がこんがらがって仕方ない。
ただこれから先の未来を考えたとき、わかっているのは私の知っている話では「永瀬菜穂」という存在は進藤ヒカルには特に必要のない存在であるということ。言わずもがなあの物語に永瀬菜穂なんていないからね。
そして私の気持ちとしては彼のためにできることを精一杯したいということだ。
ある意味で矛盾したその二つを釣り合わせるには大変自己中心的であると言わざるを得ないが私が彼に必要だと思ってもらえる存在になるということだ。
なぜそこまでこだわるかといえばそう思えるほどには彼と実際に時を過ごしてきたから。
もう私の中で彼は物語のいちキャラクターではなくなっている。
たとえ彼が私の前世から知っている「進藤ヒカル」であったとしても私にとっては違う、別の私の大切な幼馴染の「ひー君」なのだ。
かといってこの世界がフィクションであるという私の中での事実はやはり尾を引いてくる。
私はいるはずのなかった存在。
私はきっと自分の存在を認めてほしいのだと思う。それはきっとほかの誰でもなく「ひー君」に。
この結論に至ったのが私が5歳の時。
私は避けては通れないのなら早いほうが良いと思い、意を決して両親へ前世の記憶を持っていることを明かした。
2人とも驚きとともにどこか腑に落ちたようですぐに受け入れてくれた。
両親曰く「教えてもいない言葉をすらすらと話すわ、進藤さんちで頻発するヒカル君への”危ないからやめなさい”をあなたに一度も言ったことがないから」だそうで。
まあ先に良識持っているからね。
危ないと分かっていることをわざわざやりませんもの。
なにより「自分の子どものことだもの、あなたの言っていることが本当であることはわかるわ」という言葉にうれしさとともにこちら側が納得させられてしまった。
母は私が死んだのは出産の時であったと聞いたときは泣きながら私を抱きしめた。
そして両親はこんな私を忌み嫌うどころか「私たちの元へ生まれてきてくれてありがとう」といった。
今まで心の片隅にあった「私はここの家に生まれてくるはずではなかったのでは」という問いはこの言葉で「ここに生まれてきてよかったのだ」と確信できた。
5歳の私は、私を受け入れてくれた両親へ初めてのお願いをした。
「囲碁をやらせてください」
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