大日本帝国陸軍、その大臣の管轄に属す憲兵。
いわゆる町の治安を一重に守る警察官。
その憲兵たちが出入りする宿舎から、この時間から非番となった人物が、藍色の風呂敷を右手に持ちながら歩いて出てくる。春に染まる桃色の花を付ける桜のような儚い色の髪、普段着ている鶯色(うぐいすいろ)の軍服を脱いでしまえば、まだまだ幼さを残す美少年だ。齢(よわい)18という若さで部隊を管轄し、率いている実力者である。そんな彼の背中から、追いかけてくるふたつの足音が聞こえた。
「待てよ、天!置いていくなんて、聞いてないぞ」
「天、遅れてごめん。楽が支度に時間がかかって...」
「はあ!?龍、お前だって支度に手間かかってただろーが」
「楽の方が遅かったよ」
立ち止まる天の頭上、がたいが良い男二人、楽と龍之介のやり取りを耳にし、天は呆れながら言葉を発する。
「待つだなんて、ボクは言ってないけど?」
置いていかれたと思っている楽と龍之介にとって、この天の言葉にはかなりのダメージだ。ちーんと一瞬で静かになる二人。それを冷ややかな流し目で見て、再び天は自分の足を進めた。
「おい、こら!クソガキ」
「楽!」
天よりも背の高い楽、コンパスに至っても天よりも長い。すぐに天の前へと差し掛かり、胸ぐらを掴みかかる勢いだ。それをいつも止めるのが龍之介の役目。軍隊の中でも仲がいいと言われてはいる。絆だって強い。職務だって、しっかりとこなす。しかし、時にはこうやって、互いに不器用なせいか、素直でいられないため、衝突が起こる。
衝突だなんて端からみたら、物騒かもしれないが殴り合うことなどなく、どちらかというと、口喧嘩で可愛いものなのだ。そんな穏やかな昼、わちゃわちゃと言葉を交わしながら歩く三人の元に、陽気な声が掛かった。
「やっほー!」
「あ、百さん」
楽が呼んだその人は、白と黒のツートーンカラー、襟足に伸びた尻尾を思わせる髪。誰もが振り向くであろうお洒落なヘアスタイル。着物の上から羽織る女性ものの打ち掛けに、髪に留まる牡丹が艶めかしい。にこにこと屈託のない笑顔を振り撒いてはいるのだが、片手にある煙管(キセル)、ちらりと覗く鍛えた胸元と、わざとらしくはだけているのか知らずにやっているのか、彼の心意はわからないが、真っ昼間からの装いにしてみたら少々どうなのだろうか。今まで誰かと居たのだろうかと如何わしい妄想が浮かぶ。
「珍しいじゃん、三人一緒の非番?」
「確かにそうかもしれないですね」
隣に並ぶ楽、少し先を歩いていた天に視線を配りながら龍之介は優しく微笑む。
「ねね。なら、仲良く遊び行こうー!」
職の肩書きは自由人。真っ昼間から普通に遊んでいる百の通り名は、遊び人の百である。ひょいっと大きく飛び跳ね、百は目の前の自分より背の高い楽と龍之介の肩に腕を伸ばして飛び付く。本当は真ん前の天をも巻き込んでやろうと思っていたのだが、さっと右に動かれ、あっという間にかわされていた。
「楽たちのために、可愛い子、紹介しちゃうよ!」
ぱちんとウインクをする百。
「やっぱり、モモさん、そっち帰りすか。香が移ってる」
「え・・・!?」
表情を崩すことなくさらりと言う楽に対して、彼らの言葉の意味を汲み取った龍之介は、ボワンと顔を赤らめる。
「やだなぁー、楽。そういうことは声に出しちゃダメでしょーが。龍の反応かっわいい!」
きゃっきゃと楽しそうに笑う百、天はひとつだけ溜め息をついた。
「ボクは先に帰ります。お疲れさまでした」
ぺこんと百に小さく頭を下げて歩き出そうとする。
「あ、こら!天!天も行くの!これは先輩命令だから!断れないよ〜。それに、今後、モモちゃん情報がもらえなくなってもいいのかなぁ?仕事に差し支えちゃうよ?」
「・・・・!」
じとーと瞳を座らせる百の圧力にも似た眼差し、半分は脅しだ。憲兵の仕事柄、小さな情報も大きな事件のヒントに必ず繋がってくる。遊び人という肩書きを持つ百は帝都のありとあらゆることを知っていたりするのだ。その情報が途絶えるということは、かなり喪失になると天はぎょっとする。しかし、何に対しての先輩なのだろうか。
苦笑いで天は足を止めて、大人しくせざるを得なかった。
* * * * * * *
楽、天、龍之介を連れてルンルン気分の百。
かなり顔も広いため、道行く人と楽しく声を交わしていく。
「やあ、モモくん。おや?ユキくんは一緒じゃないのかい?」
かっぷくの良い水菓子屋のおばちゃんが、にこやかに話をする。
「あー、ユキなら劇場だよ〜。イケメンは忙しいんだぞー」
「何言ってんだい、モモくんもイケメンだよ〜。あたしもあと20年若かったらね〜」
「ははっ。おばちゃんはまだまだ若いって〜」
「あら、そうかい?」
きゅんと乙女のように腰をくねらせ、水菓子屋のおばちゃんは嬉しそう。そんなやり取りを所々でみせながら、彼らの足は花街と呼ばれる場所へとたどり着いたのだった。
* * * * * * *
この大正の時代になり、昔の吉原の名残は若干薄れてはいるものの、未だに入口には鉄製の大きな門がシンボルのようにそびえ立っている。この花街から逃げ出すことを許さないというように、詰所となりほんの少し前までは門番がいたのだ。
メインストリートの両脇にはずらりと連なる朱色の柱、桃色の桃燈(ちょうちん)。どこか異世界に入り込んでしまったような錯覚にさえ思える。
並ぶ店店には、格子の中から遊女たちが、一番綺麗なのは私よと言うように、白粉(おしろい)を塗った白い肌に、誘うような赤い紅をひき、綺麗な着物を着て着飾っていた。
「やっぱり、憲兵って、男ばっかでつまんないでしょ?楽なんかカッコいいから勿体ないよねー」
「別にそんなことないですよ」
「龍も天もモテるだろうになー。あ、ここ、ここ」
赤い格子から顔見せをしている遊女と呼ばれる女の子たちに、百は親しみをこめて手を振っている。
「また来てくれたの?モモさん」
「カッコいいお客さん、連れてきたよ〜」
「本当ね!素敵な殿方だこと」
「日頃、男ばっかで可哀想だから、可愛がってやってよ〜」
「まあ!モモさんたら」
くすくすと妖艶な眼差しが三人へと注がれていた。そして、暖簾を潜る百。しかし、楽と天、龍之介は足を止めて入ることが出来ない。近年、政府の間でも遊郭の存続に規制を試みているのに、憲兵である自分たちが足を踏み込んでいい場所ではないはずだ。
呆然と立ちすくむ三人の後ろに百は回り込むと、ドンとまとめて、三人を突飛ばし、中へと押し込む。
「ここでは、三人が憲兵ってことは、秘密ね」
ぱちんと悪戯な笑顔で百はウインクをしてみせた。
* * * * * * *
「あら、モモ。また呑みに来たの?」
「やっほー!カオルちゃん。いいじゃん、いいじゃん。金だって、ちゃんと落としてるし、今日はなんてったって、イケメン3人も連れてきたんだから」
ほらっ!と百は代表に楽をカオルの前へと突き出す。カオルと呼ばれる彼女、いや、彼、いや彼女は「あら、いいオトコ」と頬に手を当てた。
「・・・・・」
楽はそれにぎょっとし、顔をひきつらせる。
「じゃあ、カオルちゃん、一先ず大部屋から、んで可愛い子3人に、俺は夕顔(ゆうがお)ちゃんで」
4人分の前払金にちょっぴり上乗せして、百は馴れたように「ささっ、みんなこっち、こっち」と引っ張って連れていってしまった。
「まいどあり〜」
* * * * * * *
広い大きな部屋、襖の日本画、飾り障子、綺麗に生けてある華。装飾も灯りも何もかもが絢爛豪華である。
「すごいなぁ。見たことないよ」
「ここ、いくらだよ・・・」
くるくると周りを見渡す龍之介。そして、楽はこの部屋の豪華さに目を丸くした。
「ささっ、座って、座って〜」
襖を開けて百は人数分の座布団を並べる。落ち着きがない、龍之介と楽は静かに百の言うように座布団に座るが、天だけは座らずに、床の間に飾られている生け花を見ていた。なんの花かよくは分からないが率直な感想は綺麗だった。
そして、しばらくして、百が聞き慣れている夕顔の声がかかった。
「いらっしゃいませ。ご贔屓くださり、ありがとうモモさん」
夕顔を先頭に4人の遊女が、朱色の膳を運んで来た。綺麗な着物、目を奪われるような真っ白な肌。見目美しい女たちだ。夕顔は直ぐに百の傍についた。
「夕顔ちゃんに会うためならいつだって、モモちゃん来ちゃうよ!」
「まあ!モモさんたら、お上手なんだから。アタシが今日連れてきた娘たちに、目移りしたら、呪うわよ」
「こっわ〜あ!」
きゃっきゃと楽し気に会話を始めている。
「で、夕顔ちゃん、彼女たちの紹介よろしく」
「失礼いたしました、右におります紫の着物がひなげし、中央の緑の着物が柳、左の赤い着物がかぐやにございます」
名前を呼ばれてそれぞれは綺麗なお辞儀をしてみせた。
「わお!かっわいいね!美人さん揃いじゃん」
ひなげしは楽の傍に、柳は龍之介の元へと膳を運び隣に座る。しかし、未だに天だけが座布団に腰を降ろしていないため、かぐやは持っていた膳を座る人物がいない座布団の前へとそっと置いたのだった。
そして、床の間に飾られている生け花を見つめる天の後ろ姿に、ゆっくりとかぐやは近づき、そっと声を掛けた。
「尾花、吾亦紅(ワレモコウ)、シマガヤ、黄花秋桜(キバナコスモス)にございます」
「え?」
鈴を転がすような、綺麗な音色を奏でる声だった。
「秋に欠かすことができない、秋を思わす花々でございます」
天が振り返り見つめた先には、ふんわりと微笑むかぐやの姿があった。綺麗に着飾るもどこか淑やかで、触れたら壊れてしまいそうなほど儚げで、女性と少女を合わせ持つ不思議な雰囲気に、天は目を奪われたのだった。