ぱたりと止まってしまった天の時間を、百の賑やかな声が動かす。
「ほらほら、天、座った座ったぁ」
百は席から立たずに四つん這いになりながら、生け花が飾られるそこへ行き、天の着物の袖口をくいくいと引いてみせた。
「あ、」
引かれた袖口から視線を辿ると、にかっと笑う百の大きな瞳と交わる。キラキラした百の瞳、例えるなら柴犬だ。楽しそうに笑うそれが、急にふっと悪戯な笑みへと替わった。
「なになに?もしかして、天ちゃんたら、かぐやちゃんに惚れちゃった?」
「!」
何をいきなり言い出すんだこの人はというように、天はぎょとし、瞳を大きく見開く。しかし、自称先輩の遊び人百の悪戯心は直ぐに終わることはない。新しい玩具をもらった子供みたいに、茶化しに入るのだ。
「かぐやちゃん、かっわいいもんね〜。いろいろ聞いちゃう聞いちゃう?」
「?かぐや?」
かぐや。先程から百が言う名前が、彼女の名前なんだと、天はここで初めて認識する。しっかりと、傍に居る彼女へと視線を運べば、かぐやは柔らかく微笑みながら、ひとつ綺麗なお辞儀をしていた。なにもかも興味なし、ただ単純に、目に止まったのは生け花だけ。客を楽しませようと膳を運んで来た彼女たちの名前すら聞いていなかったことに、天は若干申し訳なく思った。
「…」
かぐやの動作は、お辞儀ひとつでも綺麗な作法に見え、天は瞳を一瞬だけ泳がせたあと、小さく微笑み会釈を返す。なんだか、天とかぐやを纏う柔らかな空気に当てられ始めたのか、百は驚愕の表情を浮かべ、勢いよくその場に立ち上がった。
「なに、なに!?ちょっと!この百ちゃん仲間はずれ的な!?ふたりの世界的な!?なに!?」
「いいじゃありませんか、百さん。かぐやと歳も近そうだし。そ、れ、に、さっき言ったように、他の娘に目移りしたら呪うって言いましたよ」
「百ちゃんの一番は勿論、夕顔ちゃんだよ!でも、俺、みんなと仲良くしたいんだよね!」
「もう、百さんはそういう人、ですものね。妬けちゃうわ。それよりも、百さん。百さんの連れてきてくれたお客様、紹介してほしいわ」
「あ、そうだった!まずは、天もそこに座って〜」
百に言われ、天は膳を配られていた座布団へと座る。そして、それに習うように、かぐやも天の横へと静かに座った。
「じゃあ、紹介するね。男だから、適当にちゃちゃっと、行くよ〜」
「ひっでー…百さん」
目を伏せながら楽がぼそりと呟く。
「えっと、紫がひなげしちゃんだよね」
「もう、覚えてくださったんですね!ありがとうございます」
「あったりまえでしょ」
嬉しそうに笑顔を見せたひなげしに、百はぱちんとウインクを投げる。出会って間もないのにこうして人の心を掴むのは、百がしっかりとその人その人を見ているからである。本当に才能としかいえない。
「ひなげしちゃんの隣に座ってんのがー、楽。八乙女楽。口はちょっぴり悪いけど、女の子に超絶優しい。見た目と違って意外と繊細なイケメンだよ。いやーん、今すぐ百ちゃん、抱かれたい!」
百は自らの腕で自分を抱き締めてみせる。乙女らしからぬ姿ではあるが、艶めかしく、夕顔とひなげし、さらに、龍之介の傍にいる柳が「きゃー」と黄色い声を飛ばした。
「なんすか、その紹介・・・。抱かれたいって・・・」
瞳を大きく見開き驚愕の表情から、徐々に楽の顔がげんなりしていく。百の的確な紹介に龍之介は朗らかに微笑み、天に関しては口元に手を持っていきクスクスと笑う始末だ。
「どう?ひなげしちゃん、これから楽と」
「そんな、夢のようですわ」
百にたきつけられたひなげしは、うっとりと瞳を潤わせている。その瞳に、楽は照れ隠しなのか、それこそ大人の余裕なのか、扱い、交わし方に慣れているのか、ふっと妖艶に笑っていた。
確かに楽はイケメンだ。そんな人と床を一緒にと言われたら誰でもうっとりとなるはずだ。元に柳、百の隣につく夕顔でさえ、とろりとした甘い表情をみせている。酒と食べ物だけではなく、やはりそっちもなんだと、天は気づかれないように小さく溜め息を溢した。これを仕事にしているのであれば、きっと彼女もそのひとりなのだろう…―――。
天はちらりと、自分の横に座るかぐやを盗み見た。
「!」
するとどういうことか、ぱちりと天とかぐやの瞳が合わさった。それに驚き、天は先に視線をそらした。話の中心である楽よりも、傍についていた天の様子を、かぐやはしっかりと見ていたのだ。
「じゃ、次ね。緑が柳ちゃん」
「ありがとうございます!百さん」
百の頭の中にある人物図鑑はもはや、完璧だ。
「柳ちゃんの隣は龍。十龍之介。包容力抜群。難いがいいから、誤解されがちだけど、優しいいい兄貴分。争い嫌いの温厚派イケメンだよ。肉食な楽と比べると、草食だね」
「ちょ、まっ、百さん!なんでまた俺がっ!」
慌てて抗議に入る楽。龍之介は照れながら後ろ頭に手を持っていった。
「最後はかぐやちゃんの隣ー」
かぐやは微笑むと、一度だけお辞儀をする。やはり、他の遊女たちとは少し違うように見えた。
「みなさん、ここにいるメンバー内最年少、ぴっちぴちの美少年、天ちゃんこと、九条天。まるで天からの授け物とばかりの、美少年。纏うオーラも一味違う完璧さ。しかし、綺麗な花には棘が付き物。ちょーと毒舌な小悪魔ちゃんイケメン!」
「「「きゃー!素敵っ!」」」
「・・・・・」
もはや、どこからツッコミを入れるべきか。天は、エンターテイナーのように自分を紹介した百へと、冷ややかな視線を送る。
「百さん、本当に素敵なお客さまを連れてきてくださったのね!」
「でしょでしょ!紹介も済んだことだし、宴始めよー!!」
朱色の膳に乗った御猪口(おちょこ)を百が手に取ると、夕顔が直ぐに徳利(とっくり)を傾けお酌を始めた。楽も龍之介のほうもだ。三人はどんどんと酒をのみ始める。
そんな中、天だけは御猪口を全く手にしていない。それに直ぐに気づいたかぐやが、そっと天へと声をかけた。
「九条さま、苦手なお茶はございますか?」
「え?」
先程の紹介もあって、かぐやは天を呼んだ。
「ない、けど」
「それならよかったです」
ふわりと微笑むと、かぐやは着物の袖から小さな巾着を取り出した。それを開けると、袋に入った紅色の丸い玉を見ることができる。かぐやはそれを丁寧に箸で二つ摘まむと、セットで運んで来た空っぽの湯呑み茶碗へと入れた。
「?」
何が始まるんだというように、天はかぐやの様子をじっと窺う。白い湯呑み茶碗に入った二つの紅色の玉、そこへかぐやは少しあつめな湯の入った水差しで、ゆっくりと注いでいく。
透明な湯がだんだんとピンク色へと変わる。ふんわりとよい香りも届く。湯呑み茶碗が白いため、そのピンク色をさらに引き立たせた。そして、ほんの数十秒後に更なる変化が起きる。
「あ、桜だ」
丸い紅色の玉は、湯により本来の姿を見せたのだ。薄紅色の綺麗な花が湯呑み茶碗の中にそっと花開いた。
「はい。花びら茶にございます。八重桜を塩と梅酢で漬け込んだものを、陰干ししてつくられたものです。見目でも楽しんでいただけましたら、幸いでございます」
「ボクがお酒飲めないと、思ったから?」
「はい。それと、実はわたしも、本当は苦手で」
控え目に口元に人差し指を立て、かぐやはふわりと笑って見せる。
瞬時に客の好みを把握するのも、客をもてなすために身につけたものだろうか。それとも、素でこうやってもてなしているのだろうか。天は後者だったらいいなぁと感じてしょうがなかった。
「いただき、ます」
湯呑みを手にすると、先程よりも桜の香りが優しく漂う。湯の中で舞う薄紅色の桜は、本当に綺麗だ。そっと口をつけると、優しい香りと味が口の中へと広がった。
「おいしい」
「よかったです。ほっと一息つける、リラックス効果もあるそうです」
「うん。効果があるような気がするよ」
ふわりと微笑むかぐやに、天も同じように優しく微笑んだ。
「天ちゃーん、かぐやちゃんと仲良くお話中にごめんねー。百ちゃん、夕顔ちゃんからいいこと聞いちゃったんだよねー」
にかっと楽しそうに百が笑っている。
「かぐやちゃん、今が初めてのお座敷なんだってー。でね、でね、本来はここで働く子たちに、読み書きや、歌や躍り、芸を教えているんだって。なんだっけ、あ、芸妓さんだ!って、訳で、見せてもらおうよ!百ちゃん、今まで通っててなんなんだけど、おしゃべりメインだったから、歌とか躍り見たことないんだよね」
「柳ちゃん、菊乃ちゃんを呼んできて」
「はい!」
かぐやの了承を取ることなく、客の望みは絶対なため、準備に掛かっていた。
「ここでの一番の見物だって、聞いちゃったらね!かぐやちゃん、お願い」
かぐやのおもてなしは、後者の方だった。場数をこなして身に付けたものではない。
「はい。かしこまりました」
百の頼みにかぐやはお辞儀をすると、傍についている天へと言葉を掛ける。
「九条さま、少々、お側を離れることをお許しください」
ふわりと微笑みお辞儀をして、かぐやは席を立ったのだった。