投げた輪は希望する番号に刺さらず、参加賞にご親戚がやっておられるという食べ物屋台の割引券を貰った。
手元には残り二枚の割引券。元々三枚あったその紙切れの一部は、すでに私の胃の中へ消えている。
一枚は土井先生が戻られたらお渡しして、残り一枚は二人で分けられるお団子セットにでも使おうと、欲を食い意地へ切り替える。
今日くらいこんなにお団子を食べたところで、脂肪にはなるまい。
投げた輪は棒どころか、てんで可笑しな方向へ飛んでいった。
一度の支払いで三回も投げさせてくれる、とても良心的な輪投げだったというのに、私の投げた九つの輪は、どの棒にも刺さりはしなかった。
ここまで自分が下手だとは思わず、見えない希望に財布の紐を緩めるのは三度で辞めた。
見ていたのが土井先生だけでよかったと心底思う。
忍たまの子達…特に、六年生に見られていたら笑われていたかもしれない。
「お待たせ。混んでて戻るのが遅くなったよ」
「お帰りなさい。だいぶ賑やかになってきましたね」
人が人を呼んで、来た時よりも混み合うようになってきた。
私が座っているこの席も、後から来た人が空席になるのを近くで機を伺っている状態だ。
割引券を一枚渡して土井先生も好きなものを頼むように伝えて、私も食べ終えた棒を捨てるついでにお団子セットを頼みに向かう。
「なまえさん、少し歩けるかい?」
「どこか行かれるんですか?」
「混んでるから、少し離れたところで食べようか」
これだけ混んでいると、長居するのも確かに申し訳ない。かといって、まだ帰るには少し早い。
…もう少し、土井先生と出かけていたい。
なんて、素直に言えたらいいんだけど、そんな勇気があったらとうの昔に色々動いている。
買った物を手にしたまま、喧騒から遠のいていく。向かう先が分からないままただ着いて歩くと、しばらくして川のせせらぎが耳に心地よく響いた。
程よく木が茂り、木の向こうで輝く太陽が木漏れ日となって岩肌を照らす。
鳥の囀りと川のせせらぎ、風のそよぐ音が譲り合って共鳴し、自分の心が段々と穏やかになっていく気がした。
生活圏から離れたところに、こんな素敵な場所があったなんて。
「とても素敵なところですね」
「この間上級生の授業の下見で先生方とこの辺りに来て、君と行きたいなと思ってたんだ。もちろん、きり丸も一緒に」
今日は土井先生の言葉が凄く真っ直ぐで眩しい。
あまりにも真っ直ぐすぎて、思わず熱でもあるのではないかと石に足を取られて少しだけ後ろを歩く私は、斜め後ろから土井先生の顔色を見る。
普段と変わらないどころか、よく眠れているからなのか目の下のクマもすっかりなければ、肌艶がいい。
ちょうどよく二人が腰掛けられる手頃な大きさの岩を見つけ、並んで腰を下ろす。
浅瀬のすぐそばで、少し足を伸ばせばすぐに足が水に浸かった。
夏だし、草鞋もすぐに乾くだろうと、脱ぎもしないで水の流れを体で感じる。
「いいな、それ」
土井先生の長い足は、私より少し先に足が浸って、私なんか足の甲が水の上に覗くというのに、土井先生は余裕で足首まで水が浸る。
「私こんなところでお団子食べたら、そのまま眠ってしまうかもしれないです。あまりにも幸せで」
「ここでする昼寝は最高だろうな」
膝の上で団子を広げ、土井先生と三色団子を口にする。
ほんのり甘くて、視覚も味覚も聴覚も幸せだ。
夏の暑さを、足元の水が冷ましていく。
欲しかったものは手に入らなかったけれど、こんなに美味しいものがお値打ちになって食べられて、しかもこんな素敵な場所に来れたのだから、まぁいいかと三色目を串から齧り取る。
蓬の風味がこれまた美味しい。
今度しんべヱくんにも教えてあげたい。
「なまえさん」
「ふぁい」
「あはは、飲み込んでからでいいから、ちょっと手を出して欲しくて」
流石に団子は勢い余って飲み込むと大惨事になりかねないので、たくさん噛んで飲み込む。
「…ごめんなさい。こうでいいですか?」
両掌を上に向けて、並べて土井先生へ見せる。
握り拳の土井先生の手が翳されると、何か少しだけ重みのある物が落ちた。
まだ、土井先生の手で隠れて何が落ちたのか見えていない。
不思議な顔で土井先生の顔を見上げると、にこりと笑ってその手が退く。
「これ…」
それは、私が輪投げ屋で諦めたあのウサギの置物だった。
土井先生と離れたのは、厠に行くと言われた時だけ。
きっとその時に取ってきてくれたんだ。
じわじわと胸の奥から溢れる嬉しさに、優しく握りしめて胸に抱える。
「とても、嬉しいです。大切にします。ありがとうございます」
私は今、どんな顔をしているのだろう。
土井先生は、私の顔を見て、何を思っているのだろう。
「なまえさん」
今日はやたらと土井先生に名前を呼ばれる。
今朝のようなどこか神妙な面持ちで、しっかりと私を見つめる土井先生に、私も見つめ返す。
なんだか、その目を逸らしては行けない気がして。
「私は」
一呼吸置いて、次の言葉が聞こえかけた時、土井先生の後ろに突然人が現れた。
私が反射的に危ないと叫ぶより早く、土井先生が私を守るように振り向いて甲高い金属の音が響き渡る。
「尊奈門くん、今大事なところだったのに…!」
「うるさいぞ土井!夏休みなのになんで出席簿なんて持ってるんだ!」
私から遠ざかるように跳躍して、少し離れたところで苦無を跳ね除ける金属音が何度も鳴る。
その手には、諸泉さんの言う通り、見慣れた出席簿があった。
確かに、なんで持っているんだろう?と思うが、きっともう常にそこに無ければ不安なものなんだろう。
二人は身軽に飛び跳ね、木の向こうへと消えていった。
取り残された私はその場を離れるわけにもいかず、ひとまず岩に腰をかけ直す。
「やぁ」
「ひっ!?」
驚きのあまり思わず岩から落ちかけたところを、突然声をかけてきた人が腕を引いて支えた。
慌てて視線を向けると、雑渡さんの姿がそこにあった。
「す、すみません」
「こちらこそ、せっかくのデート中に邪魔してごめんね」
「デッ…ち、ちがいます。出かけてただけです」
「そんなにめかし込んでるのに?」
頭の先からつま先まで流し見る視線に、あまりいい気はせず少しだけ縮こまる。
「私だってただの外出にお洒落くらいします」
「女の子だねえ。君たちに悪いから止めたんだけど、尊奈門の奴飛び出しちゃって」
そう言って二人が消えた薮の向こうを見つめている。
私は初対面の時から、どうにも雑渡さんが苦手だ。
どこが、と言われると言葉が出ないけれど、強いていうなら得体の知れなさなのかもと思う。
私の隣に腰掛けたままどこかへ立ち去る気配もなく、さっきまで心地よかった自然から聞こえる音も、あまり耳に入らない。
この人は忍だ。雑談で私が何か些細なことを話しても、そこから何か詮索されたら。
そう思うと、落ち落ち口も開けない。
「土井先生とはどういう仲なの?」
「…教師と、ただの事務員です」
「夏休みの中、わざわざ二人で出かけてるのに?」
「それを知って何になるって言うんですか」
ちょっと語気が強くなってしまった。
私の中の優しさが滲んだのか、言いすぎたかもと思っていると、雑渡さんの顔が近付く。
「近いです。離れてください」
「君、分かりやすいね」
背中が冷えていく感覚がする。
やっぱり、この人が怖い。
土井先生、早く戻ってきてくださいと切に願って、距離を置くために立ち上がると、焦った声色で私を呼ぶ声が響く。
「土井先生…!」
「雑渡さん、尊奈門くんなら向こうで目を回してますから、早く回収してってください。それと貴方からも、夏休み中くらいはやめてくれと伝えておいてください。困りますよ」
「うん、これでも止めたんだけどね。給料カットするから許してあげて」
あははと苦笑いを浮かべる一方で、私はきゅっと口を結んで土井先生の後ろに隠れる。
「おやおや、だいぶ嫌われてるね。一つ忠告しておくと、早いうちにここを立ち去ることをおすすめするよ。ではまた、どこかで」
そう言い残して姿が消える。
周りを見渡して近くにいないのを確認して、息詰まった胸の奥をスッキリとさせるように息を吐いた。
土井先生が心配そうに私の顔を覗く。
「雑渡と何かあった?」
「大丈夫です、何もされてませんよ。危ないらしいので、そろそろ帰りましょうか」
少しずつ日が傾き始めている。
夏は日が長く、まだまだ明るいが時間的にはもう夕方。
そろそろ帰り始めて、夜ご飯の用意をしないと。
「そういえば何か言いかけてませんでした?」
「あー、うん。また今度にしよう」