邂逅

いつもなら顔を真っ赤に染め上げてわいわいぎゃあぎゃあと酔っ払いたちが踊り騒ぐ居酒屋も、今日は妙に静かだ。騒ぎはするが勢いが無い。それは何故なのか。

カウンター席の一番奥に、場末の居酒屋にそぐわない女が一人。
絹のような肩を着物から曝け出して、日本酒を煽る口元には艶かしく紅が引かれており、結い上げた髪に刺さる簪から垂れ下がる飾り同士が、勢いのない喧騒の合間に揺れると音を立てる。
その微かな音がすると、居酒屋にいる酔っ払い達は、声を落として視線を向けてしまうのだ。
視線の先、その女の正体。
男ならば大金を叩いてでも一度会ってみたいと巷で話題の花街の女。あの妲己が育て上げた、お気に入り。
男達は声をかけるタイミングを伺いつつも、誰一人として女の纏う雰囲気に気圧されて、酒の勢いを持ってしても尻は座布団を離れない。

がらりと開く戸が新たな来客を告げると、大将はいつもと違う空気を掻き切るように大声で出迎えた。
からんからんと鳴る下駄の音の発生源に数人目を向ける。すると、騒めきが伝播して今にも酔いを覚ましそうな酔っ払いたちの目を丸くさせた。

「珍しいですね、貴方がこんなところにいるなんて」

高嶺の花なぞ知らぬと言わんばかりに声をかけた男の顔を見て、赤ら顔は真っ青になっていく。
地獄にいて知らぬものは、世情を追わないものくらい。閻魔大王の右腕。地獄の鬼神。
そんな人があの話題の女と話している。
こりゃこんな所で呑んでられん、と大半の人間は口々に勘定と声にした。

「すごい偶然。何千年振り?鬼灯…あぁ、今は様って呼ばなければならないんだっけ」
「今まで通りで構いませんよ」

気付けば店内は女と鬼灯だけとなる。
大将は鬼灯に注文を尋ねると、颯爽と酒と料理の用意に取り掛かった。

「よかった。鬼灯のことを様付けするなんて、無理だもん」
「烏頭さんや蓬さんは閻魔殿でも変わらずですから。貴方も昔のままでどうぞ」

旧友の名に、懐かしいと赤いラインが乗った目を細めて笑っている。
鬼灯の酒を持ってきた大将に、女は空いた升を渡してもう一杯と注文をつけると、大将は絵に描いたように眉を下げた。
その様子を見て、流石に鬼灯は尋ねざるを得なかった。

「これで何杯目ですか?」
「5杯目からは数えるのやめたの」
「何時からここに?」
「6時ぐらい?お店に行こうと思ったんだけど、嫌になっちゃって、バックれてる所」

肘をついて喋る彼女は、最初に鬼灯を見たきり顔を正面に向けたままだ。その横顔は、遥か昔に彼女と肩を並べた時と随分と異なる。
机上に置かれた携帯は先程からランプを点滅させており、画面には不在着信の履歴とメッセージの山が出来上がっているのだろう。

「妲己さんに怒られますよ」
「やだなあ、今の私のこと知ってるんだ?」

やだ、などと言いつつも女は楽しそうに笑っている。

「仕事柄、ああいった場所のテコ入れなんかもしなければなりませんからね」
「そういえば、何度か檎から鬼灯様が狐カフェに来てるって聞いたけど、本当に貴方だったんだね」

ぽつぽつと二人は最後に顔を合わせて以降の互いの話をした。
最後とは、鬼灯が獄卒として働きだした頃の事で。閻魔大王の第一補佐官が、イザナミノミコトであった、もう数千年単位も随分と昔のことだ。
故に、話すことは山ほどあった。
自然と仕事の話にはなるが、彼女は持ち前の接待力で鬼灯の仕事の話だけを引き出し続けている。
鬼灯は、敢えてそれに乗っかっていた。それをしばらく続けていると。

「私ね、この仕事、辞めたいんだ」

漸く、彼女が自分の話をしだした。
鬼灯が声をかけてから1時間半が経過しているのを、カウンター席の真上で秒針を動かす壁掛け時計が知らせている。

「妲己様には、ここまでよくしていただいたのに申し訳ないけれど。男相手に媚び諂って、グレーなことして。そんな汚いお金を使う先も、接待のため。こんな情けない姿、鬼灯に見られたくなかったのに、なんでこんな所で会うかなあ」

セットされた髪が崩れるのを気にもしないで掻き上げながら、鬼灯と変わらぬ酒豪の彼女は、尚も酒を煽り続けている。
しかし、少しずつ白く塗られた化粧の下から赤が浮きつつあった。
ようやく回ってきた酔いが、嘔吐の代わりに彼女の本心を喉の奥から吐き出している。

大将は支払えるかどうかなど聞かずに、体の心配をしながらおかわりの要求に応えていた。支払い能力がある事くらい、聞かずとも分かる。
その様子を尻目に、鬼灯は自身の升に手を伸ばした。

「なら辞めればいいじゃないですか。働くところなんていくらでもあるでしょう」
「あるかな。少し名が知れ渡りすぎちゃった。名と顔を捨てないと、中々もらってくれないでしょう」
「では衆合地獄で獄卒は如何ですか。貴方なら良い武器をお持ちですし。何より働き慣れた土地でしょう」

鬼灯は自身の口から出た言葉に内心驚いていた。自分と烏頭と蓬の進む道に、ついていかないと言った彼女を、一人引き止めることなく見送った過去を思い出して。
目の前の彼女も、言われた言葉に目を瞬かせている。

「私を、獄卒に?」
「私、人事も担当しているので、貴方にその気があるならすぐにでも採用しますよ。獄卒はいつだって人手不足ですから。衆合地獄が嫌でしたら、他に活躍できる場を探すこともできます」

酔いが回っているのか?いや、自分の奥底に潜む気持ちを隠すように言い訳じみた事をつらつらと言っているだけだ。と冷静に分析して、合間に酒を煽る。
彼女は尚も鬼灯を見つめたまま瞬きを繰り返しており、どういう感情だと鬼灯は自身の人差し指を彼女の額に軽く押し当てた。

「私の話、聞いてますか?」
「…鬼灯は、私が獄卒になるの、嫌じゃなかったの?」
「数千年も経てば、私の気持ちも変わります」

過去にそう発言した覚えはないが、気付かれているのであれば隠す必要もないと、遠回しに肯定する。
彼女の目は、ようやく瞬きを繰り返す動きから、目を泳がせる新たな動きを見せた。
その様子を見て、鬼灯は胸元から仕事用の紙とノック部分が金魚草のペンを取り出し、何かを書き記す。

「貴方がまだ私の連絡先を残しているか分かりませんが、昔から番号は変わっていません。念の為お渡ししておきます。個人に掛けるのが嫌であれば、閻魔庁までご連絡いただけたら、対応しますので」

再会に対して積もる話は山ほど残っていれど、仕事で思い詰めている時に隣にいるべきは、数千年も会っていない自分ではないと、鬼灯は勘定をお願いするために片手を上げる。
しかし、その手を隣から掠め取られた。全く大きさの異なる手が重なる。
その手を見つめる鬼灯の目は、驚きも動揺も何も感じさせない。

「鬼灯、お願い。一緒に、ついてきてほしいの」

鬼灯の手が小さく震えているが、その発生源は自分ではないと分かっている。
薄い膜の張る目の奥は固い決心でしっかりと鬼灯を見つめていたが、流れるようなボディタッチに上目遣い、妲己の手によって端々に仕込まれた男を惑わすテクニックに、鬼灯は苛立ちを覚えた。
しかし、それと同時に彼女に助けを求められたことへの優越感。そしてその願いと、明日以降彼女が自分の監視下にいるかもしれない未来に、表情をひとつも変えないまま誰にも知られず密かに喜んでいる。

「ええ、いいですよ」

鬼灯はただ一言、そう言い放った。

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