カーテンから差し込む陽の光で目が覚める。
重たい瞼をなんとかこじ開け、携帯を開き時間を確認する。現在午前9時。
今日は土曜日、仕事が無い休日だ。
なんだか懐かしい夢を見ていたような気がする、苦い苦い、でも幸せだった夢。
あれから5年、彼は元気だろうか。
◇
人や車が行き交う街、今日も朝から賑やかな街である。
私は大学まで宮城で生活し、今年の春から東京の会社に就職した為、東京で一人暮らしを始めた。
最初こそ知らない土地で、知らない人ばかりな東京での生活には不安しか無かったが、会社の人々が助けてくれたこともあり、なんとか半年生きてこれた。
やっと暑すぎた夏を乗り越え、薄手だがカーディガンを羽織っても良い季節になり、たかが半年だがされど半年。よくぞ自分よ見知らぬ土地で頑張った。と言いたくなる。
この半年で身の回りのお店のチェックは済んでおり、今日もお目当てのコスメを買いに、ショッピングモールへ向かっている。
1人の買い物は寂しいが、未だプライベートまで共にする程仲の良い同僚は作れていない。なので休日は基本一人ぼっちだ。寂しい。
とは言え東京のいい所というかなんと言うか、街自体が活力に溢れているので、閑散としていない分気は紛れる。都会は怖い、と思っていたが案外いい所だってある。
電車と徒歩でたどり着いたショッピングモール。給料も入ったし、欲しかったコスメや秋服なんかも見てしまおう、とウキウキ気分で足を踏み出した。
◇
『今日は、今話題のイケメンバレーボーラー影山飛雄選手に話を聞いていきたいと思います!』
「あ!!影山選手だー!」
「うわぁ、今日もイケメンだねぇ、ファンになっちゃいそう」
「ね、今度試合見に行こうよ!生で見たい!」
「無理でしょ!!影山選手だけじゃなくて人気の選手今バレーボール界沢山いるんだから、チケット取れないよ」
そうなんだ……チケット取れないくらい人気なんだ…
フードコートで流れているテレビ番組を見た女の子2人の会話を盗み聞く。
影山くんは本当に世界と戦うバレーボール選手になってしまって、高校三年生の時に思った通り、手が届かないところまで行ってしまった。
しかも、あの頃からイケメンだと人気だったが、その端正な顔立ちは今も変わらず、むしろ更にかっこよくなって、女性からの人気が凄いらしい。
彼の現在を見ると、約2年間彼に勉強を教えてたなんて夢みたいだ。とは言え私が知っているのは、勉強を教えて疑問符を浮かばせる影山くんなのだが。今のイケメンバレーボーラーはもはや知らない人だ。
確かにあの頃は好きだったが、卒業式の日にしっかりきっぱり友達だって言われて、しばらく落ち込んだもののちゃんと立ち直った。大学ではちゃんと恋愛出来たし。あまり長続きはしなかったけれど……
とにかく、私は高校生の影山くんとの時間をちゃんと思い出に出来たのだ。
その為、今テレビ等々で活躍する姿を見ても特にどうとも思わなかった。凄いなぁとは思うが、もはや有名人なので別世界の人間である、実在してるかどうかもわからない。
この人に勉強教えてたんだよ、なんて言いたくなった時もあったが、あまりの人気に根掘り葉掘り聞かれるのも怖くなったので、結局人に言ったことはないままここまで過ごした。
しかし、彼がオリンピックに出た時だけはこの人と同じクラスだった、とは友人に言ってしまった。それだけ誇らしいクラスメイトだった。
彼の人気は凄いことを知っていたが、他の選手もテレビ等で見るあたり人気なのだろう。
そのせいでチケットすら取れないなんて、まるでアイドルのライブだな、なんて他人事に考える。
彼が試合に出ているところは、オリンピックしか見た事無い、それも家族が騒ぎ立ててずっとテレビをつけていたから見ただけだ。
なので私は彼が活躍している姿は見たことない。でも世の中の声を聞いていると、元気にバレーボールやってそうなので安心する、あの頃のままバレーばっかりやってるのだろうな、と1人笑みを浮かべる。
そこまで考えて、まぁもう二度と会えるような人ではないんだろうけど、ともう近くはない存在だと再認識する。
きゃーきゃー影山くんを見て黄色い歓声をあげる彼女たちを横目に、私は買い物を続行した。
◇
目当てのものや可愛かった秋服をゲット出来て満足だ。思ったより良い買い物が出来た。
すっかり日が落ちるのが早くなった外を歩く。
駅までちょっと歩かないといけないのが、このショッピングモールの難点だ。しかし、欲しいものが最も近くてここでしか買えないので、仕方がない。
駅が見えてくる、この辺は飲み屋さんも多くてよく酔っ払ったおじさんやお兄さん達が倒れてたりもする。たまに蹴りとばりそうになるからヒヤヒヤしてしまう。
そうそう、こんな風にベンチに倒れ込んで………
でろん、とベンチに倒れ込んでいるお兄さんを見つけて、いつもの光景だなぁ、なんて考えたが、
どこかで見たことがある。はて、どこだっただろうか。
知り合い?……だめだ、思い出せそうもない。
それに人違いって可能性だってある。ここはスルーして家に帰ろう。
そう思い、止めかけた足を再び進める。
しかし、お兄さんを通り過ぎようとした時
「いっ、いてててて……」
激しく頭を抱えて悶え始めた。えぇ……お酒弱いのに飲んだ人の末路じゃん……
可哀想に。私もお酒弱いのであの痛みは知っている。楽しくなる前に痛み始めるので、飲み会は苦手なのだ。
あの辛さを知っていて、スルーは中々できない。早く水を飲んで酔いを冷まさないと。
そう思い、近くの自販機で水を買って、彼の元へ急ぐ
「いてててて……っつ…」
「あの、これ良かったら」
「…?あ、!ありがとうございます…!」
しんどそうだが、なんとか笑顔を浮かべて受け取るあたり、人が良さそうだ。
それにしてもどこかで見たことがある。絶対ある。顔を見たら余計に感じた。でもどこでだ。
「……っはぁ…すいません、お金払います」
「いや、そんな……早く酔い覚ましてくださいね」
とは言え見知らぬ人の前にずっと居続ける訳にもいかないので、早々に立ち去ろうとする
「……あの!!」
「?なんでしょう」
「……人違いだったらすいません、苗字さん、ですか?」
え……やはり知り合いだったのだろうか。東京で出会う人と言うと会社関係だろうか、まずい、全く思い出せない。
「……そう、ですけど…えっと、」
「ごめんなさい!!でも合っててよかった!!……俺のことは知らないですか?」
そうオレンジ色の髪をふわりと揺らして首を傾げた男性。
え……誰だろう。歳はそんなに変わらないと思うのだけど、そんな若い人とどこで知り合っただろうか。
「……ごめんなさい、全然思い出せなくて」
「あ、そうですよね、仕方ないです!!俺苗字さんの事は影山から聞いてただけだったし、実際見たのも数回程度なんで…」
「……影山くん?」
影山くんと言ったかこのお兄さんは。と言うか数回程度しか見てなくて思い出せるって凄いな。
「はい!影山!!苗字さん影山の先生やってたでしょ?」
「…はい、高校生の時に。でもなんでそれ」
「俺、日向翔陽!!影山から少しは聞いてない?」
ひ、日向くん。見たことがあったのはそのせいか。
何度か影山くんに怒鳴られてる日向くんを見たことがある。でもちゃんと話したことはない。こんなにフレンドリーな人だったんだ。
「日向くん…!知ってる、影山くんからも何回か話聞いたことあるし!」
「本当!?あいつ俺のこと話したりすんだなー!」
そうか、あの日向くんなのか。確かに高校生の頃の記憶を引っ張り出すとオレンジ色の髪だった気がしないでもない。
帽子を深く被っているのも、日向くんが人気なバレーボール選手だからなのだろうか。テレビで見たことがある気がする。
「影山には高校卒業してから会った?」
「いやいや、会ってないよ。会えるような人じゃないよ、もう。」
そう笑って言う。
「なんで?……もしかしてプロになったから?」
「うん、もう有名人だもん。私みたいな一般人とは会えないよ。」
「そんな事言ったら俺だってプロの世界で戦ってるし!!影山とは会えなくて俺とは会えるの?」
はっとした。
確かに、と思わされた。
日向くんもファンを抱える選手だと思われるけれど、話すと全然普通の人だし、むしろフレンドリーで話しやすい。
影山くんも、人柄はあの頃と変わってないのだろうか。人気ばかりがひとり歩きして、距離が出来たように感じられるだけなのだろうか。
「影山、苗字さんの話よく今のチームの人達にしてるよ」
「え!?そんな話せるような事無いと思うけど…」
「凄く優しくて、一緒にいても無言が続いても落ち着く相手だ、って話してる。たぶんだけど、影山苗字さんとまた会いたいんじゃねぇかなぁ」
そんな馬鹿な、と思ったが、卒業式の言い方からして一緒にいて楽な友達だからまた会いたい、的な感じだろう。
その言葉で私は酷く傷ついたが、もうその傷も癒えた。
今の彼だって気になるし、また友達になれるのなら私だってなりたい。
「そうなんだ……私もまた影山くんとお話したいなぁ」
「え、本当に?じゃあこっち来て!!」
そう言って私の腕をぐいぐい引っ張り、飲み屋さんの中へ連れていく日向くん。ちょっと待って待って!そもそも日向くんは酔い冷めたのだろうか。
「影山ー!!」
「うるせぇ、なんだ日向ボケ」
影山くんの声がする、こんな所でプロ達が飲んでていいのか。有名人じゃん、撮られちゃうぞ。
「苗字さん見つけた!!!」
そう言って、私を個室の中へ通す日向くん。
中へ入ると、変わらずかっこいい、そして今やテレビの中の人こと影山くんがいた。
その他にも何人か選手らしき人々がいる、あ、アウェー……ごめんなさい急に入ってしまって。
「え、え……苗字、なのか?」
「あ、…はい……今そこで日向くんと会って…」
「俺の事、覚えてるか」
忘れる訳が無いだろう。なんて、つい言いそうになる。
「勿論!本当にテレビに出る人になったね、影山くん」
「…おう。俺に勉強教えたって自慢していいぞ」
「もう自慢どころか、影山くん有名人過ぎて嘘っぽくなるから言わないよ。」
5年も経ってるのに、私たちはあの頃と変わらず会話出来た。とても、心地いい。
「ん?苗字サンって誰?」
すると影山くんの隣に座ってた人が声を上げる
「俺に高校生の時勉強教えてくれてた人です。苗字いなかったら高校卒業出来なかったかもしれないっす」
「そんな成績悪かったんか、飛雄くん。見た目に寄らんなぁ」
朗らかに笑う男性。宮侑選手だろうか。バレーボール選手の中でもメディアへの露出が多い人なので私でもわかる。
「へぇーしかも可愛いじゃん?苗字さん。影山も隅に置けないねぇ」
にやにやと笑う真っ黒の髪の男性。この人は知らない、選手なのだろうか?
「あ、苗字。あの金髪の人は宮侑さんで、こっちの黒い人は黒尾さん。黒尾さんはバレーボール協会の人。」
協会の人!?なんか凄そうだなぁ。
「とりあえず座ったらどうや?苗字さん、高校生の頃の飛雄くんの話とか聞きたいわぁ」
そう誘われてしまった。……帰りの電車の事が気になるが、時間に注意しておこう、と考え、中に入ることにした。
「ん、ここ」
腕を引かれ影山くんの隣へと腰掛ける。隣に並ぶと余計感じる、体があの頃よりずっと大きくなっている。ムキムキだ。
「何飲む?」
「お酒は弱いんだ……烏龍茶にしとく」
「えー?酒飲まへんのー?」
「つまんなぁーい」
「侑さんも黒尾さんも、からかわないでください」
むっとした影山くんが言う。仲良いんだなぁ。
「へいへい……苗字さん、飛雄くんと付きおうとったん?」
「!?…違いますよ!勉強教えてただけです」
「でも、2人っきりで過ごしてたんだろー?なんかあっただろ、絶対」
「?なんかって、なんすか」
「うわ出たよ、この鈍感ピュアボーイ」
「何言ってんすか。水要りますか。」
「酔ってねぇよ!!」
あ、全然変わってないな影山くん。
空気の読めなさに謎の安心感を感じた。
「苗字は今何してるんだ?」
「しがないOLだよ、今年から東京来たんだ!」
「そうなのか、仕事順調?」
「そうだね、まだ覚えること多いけどなんとかやってる。一人暮らしもまだまだ全然だめだから、これから頑張らないと」
「一人暮らしなのか?……気をつけろよ、女の一人暮らしは危ないって聞く。」
「ありがとう、今の所何も無いから大丈夫。」
「か、影山が…普通に会話してる……」
「飛雄くんが、人の心配をしてる……!!」
「確か聞いた話だと、影山は苗字さんと2年くらい一緒にいたけど、ほとんど喧嘩したこと無いんだよな?」
「は?誰それ。翔陽くん、人違いしとらん?秒で日向ボケェって言っとる人と同一人物じゃないやろ。」
「そうだそうだ。あの単細胞野郎が勉強教わっててキレない訳が無い。わかんねぇんだよボケェ!!ってなるじゃん絶対」
「……苗字、家まで送るからもう出よう」
「「待って待って待って!!」」
「苗字、行こう。」
待ってよー!と引き止める宮さんと黒尾さんを無視して私の荷物を持ち、背中を押してくる影山くん。日向くんは影山くんの意志を尊重したのか、お兄さん2人を止めている。
「送らなくても平気だよ、電車乗ってすぐだから、影山くんまだ飲んでる途中だっただろうし戻った方がいいんじゃないかな?」
「いや、いい。送る。こんな真っ暗になってから1人で帰らせられるか。」
あの頃と変わらぬ優しさに胸が暖かくなる。お言葉に甘えて送ってもらおうかな。でも自分の荷物は自分で持ちたいので奪い取ろうとした所、久しぶりだから、少しくらいカッコつけさせろ。なんて言われて勘違いしそうになる。
「あ、そうだ。連絡先教えてくれ。」
「あ、うん。いいの?」
「何がだ。」
本気で言ってる、この人。自分が有名人とは知らないのだろうか。
いや、それは無いな。実際変装なのか帽子を深く被り、話す時も小声にしている。常に意識しているのか、凄いなぁ有名人とは
「連絡先、また貰えるとはな。……また飯誘ってもいいか。」
「うん、もちろん。またゆっくり話したいな」
「俺も。久しぶりに会ったけど、やっぱりお前楽だ。」
そう言って貰えると私も嬉しい。
あの頃と同じような友人になれれば、本望だ。私も影山くんといるのは楽だし、楽しい。
◇
電車に乗り、我が家へ向かう。少々混んでいて扉側に押し付けられたが、影山くんが私と荷物を守ってくれたおかげで潰れなくて済んだ。気遣いも出来るかっこいい大人だ。
「ありがとう、ここのマンションだからもう大丈夫。」
「そうか、ちゃんと戸締りしろよ。」
「うん、送ってくれてありがとう。おやすみ。」
「あぁ、……また連絡する。おやすみ。」
そう言って、私の荷物を渡して来た道を戻る影山くん。当たり前のように会話したが、世界の影山選手だ。やっぱり1人になると凄い時間を過ごしたな、と実感し、少しだけ手が震えた。
彼への恋はもうとっくの昔に終わったが、ここからまた彼と友人として始められる、そんな期待に胸は満ち溢れていた。
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