++顔面生クリームパイならず/桜庭薫



 インフルエンザの流行が既に始まっている。例年よりもひと月以上早い流行だ。迫り来る病魔を恐れているのは子どもより大人である。

「ハッピーバースデー、トゥーユー……」
「せめて心の中で歌って貰えないか?」
「本日誕生日の桜庭さんへのリップサービスも兼ねてるのに……」

 「手洗いうがい厳守」の文言が事務所の一番目立つ場所に掲げられる季節になった。未成年アイドルたちは皆それぞれ異なる高校に通っている者が多いので、この時期になると少々神経質にもなる。一つ下の学年で学級閉鎖だの、クラスで鼻風邪が流行っているなど、というのが理由だった。
 ──風邪って子どもの頃は全然辛くなかったじゃない? 熱が上がっても全然余裕だったし、でもそれが大人になるとさ、もう辛いのなんのって……、昨年の山下の言葉がプロデューサーの心に染み入る。毎年その辛さを忘れていくものだが、風邪を引く度に思い出すのだ。あの倦怠感、熱で体が軋む感覚、それに付随して自分の世話は自分でしなくてはならない苦しさ、外に出ることもできずただ布団の上でぼんやりとテレビやスマホを眺める虚しさと言ったら、という話である。

「君、何かと毎年流行病をもらってないか?」
「おかしいですね……」
「君だけじゃないな、山下先生もか」
「確かに……免疫力死んでるってこと……?」
「君たち2人、だいたい同じタイミングで罹患してないか?」
「媒介者がいる……? 私と山下さんと同時に接触してくるような……? プロデューサーちゃん〜とか次郎っち〜とかまとわりついてくるような媒介者が……?」
「その媒介者は軽度もしくは無症状だから容易に接触してくるんだろうな」
「いや待ってくださいよ、私たち2人に接触しているし、桜庭さんにも毎回接触しているのにどうして桜庭さんは毎年平気なんですか?」
「日頃の行いだろう」

 手を洗い終えたプロデューサーが桜庭に洗面台を譲った。
 桜庭は手慣れた様子で石鹸を泡立てると、手や爪の間をくまなく洗っていく。桜庭はその風貌のとおりやや神経質なきらいがある。そうでなければ外科医などできないか、と納得はできる。
 桜庭がソファがふた組とテレビが並んであるいつもの事務所のスペースに来た瞬間、クラッカーがパチパチと鳴らされるのだろう。これも毎年度お決まりの行事になりつつある。うがいを終えた桜庭の横顔がいくらか柔和に見えた。

「日頃の行いにより、桜庭さんが天道さんの目の前に来た瞬間、顔面生クリームパイかもしれませんが」
「結構根に持つんだな、君」
「何年も一緒に居るんだからご存じでしょうに」
「そうなったらドラマチックスターズ契約更新もやや危ぶまれるかもしれないが……」
「ウソウソウソうち契約更新型じゃないので、無期終身雇用型なので……」

 桜庭の口元が露骨な弧を描いた。
 桜庭が部屋の中に足を踏み入れた瞬間、待ちわびたと言わんばかりにクラッカーが弾けた。それと同時に誕生日おめでとう、の声が大きく響く。テーブルの上には、お誕生日おめでとうのプレートつきの小振りなフルーツロールが鎮座している。

「つまり、僕はずっとアイドルで、君はずっと僕のプロデューサーということか」
「2人とも何の話してるんですか?」
「ドラマチックスターズと315プロは永遠不滅だって話ですかね……?」
「──天道、生クリームパイなんて持ってないだろうな?」
「おっ来年は準備した方が良いか?!」
「準備してみろ、再来年の君の誕生日に百倍にして返すぞ」
「そうですよ、輝さん、食べ物をいたずらに使ったら勿体ないですから。あっでもオレの誕生日は大歓迎ですよ、生クリームも好きなので埋もれてみたいし……。生クリームだけじゃ飽きるから、ジャムとかチョコソースも欲しいかも……」
「だめだ糖分の摂りすぎは体に悪い」
「聞いてるだけで胃もたれしそうだな。糖分は当分いいか!」
「君は食うな」







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