++洒落にならない/葛之葉雨彦


 ちょっと嫌な雰囲気な場所に赴くと体が重くなったり、心霊系の番組を見ると気持ち悪くなったり、まあ気のせいだろうなあと思いながら今まで生きてきたけれど、それもあながち気のせいではないと気づかされたのはつい最近である。
 今日も今日とて体がだるい。そろそろ葛之葉さんから祓ってもらわないとやばいかもしれない、と思いながらとぼとぼと道を歩く。営業帰り。あまり上手く行かなかった、と少し気落ちする。あとは事務所に戻るだけだった。
 私のこれがただの体の不調ではないと分かったのは、葛之葉さんから指摘があったからである。彼をアイドルとしてスカウトしてからそう日にちが経っていない頃だった。その日も私は絶不調で、肩がとてつもなく重くて正直参っていたのだ。あまりの気持ちの悪さに死んだようにパソコンと睨めっこしていた中、ボイスレッスンを終えて他の二人よりも早く事務所に帰って来た葛之葉さんから、お前さんのそれは、と言われてついでに説明を受けたのである。にわかには信じがたがったが、学生時代から酷かったこの体の不調。あまりにもひどい時には病院に行って薬を貰ったり整体に通ったりと手を尽くしていたのだが、それも効いているとは言い難く、しかしながらそんなにしょっちゅう体調が酷いわけではなかったので、半ばあきらめていたのである。酷い時もめまいや立ちくらみがするだけで、それも一日中ずっと続くわけではない。まさかあ、と笑いながらそれを聞いて居たが、肩にぽん、と手を乗せられ、何か口の中で言葉を彼が紡ぐと一気に体の調子が良くなったのだ。それから私自身、そういったものに取り憑かれやすいということを自覚し、あと本当にやばくなったら葛之葉さんにお祓いを頼むと言う構図が出来上がったのである。
 信号待ち。あともう少しで事務所だ。身体がとにかく怠い。過去最高にだめかもしれない。頭がずきずきする。ふいにどん、と背中を押されるような感覚がして足がもつれて身体が前に行く。

「――っ!」

 耳をつんざくようなクラクションの音。それと共に顔のすぐ近くで風を切る。心臓がばくばくと鳴る。思わず手をついてしまった私に、大丈夫ですか、と隣にいる方が声をかける。それに大丈夫です、と足を奮い立たせて立とうとするけれど無理だ。耳鳴りがする。もう少しで着くのに、信号が青に変わって周りの人が歩き始める。それなのに私の身体はちっとも動かなくて、それなのに頭だけは妙に冷静だった。周りの人に迷惑がかかってしまう、何もしていないのに息が上がる。あまりの息苦しさにシャツを握りしめていると、再び後ろから前に押し出すような力が感じられて息が詰まった。

「――名字」
「くずのは、さん」
「これは、立てないな。手を貸そう」

 背丈のある彼が私と目線を同じくするようにしゃがみこんでいる。
 苦々しく彼が言葉を発した。彼の目にはどうやら何か見えているらしかった。葛之葉さんは、後ろから私の肩や腕を支えながら立ち上がる。それに私は完全にに寄りかかる。気休め程度だが、と彼が私の背中を軽く叩くと、今までの息苦しさが嘘のように消えていく。ようやく酸素を取り込むことができて、大きく吸ったり吐いたりを繰り返した。

「……本当にすみません。ありがとうございます……」
「撮影終わりに事務所に帰ろうと思ったらお前さんがしゃがみこんでいて、驚いた。いったいどこ行ってたんだ?」
「営業で……」

 まだふらつく。彼が私の持っていた鞄を代わりに持つ。身長差があるから、葛之葉さんが私に合わせて腰をかがめる形になる。本当にすみません、と、彼の厚意に甘えた。
 とにかく気持ちが悪くて言葉もなく黙々と、彼に引きずられるように歩いていると、いつの間にか事務所に着いていた。最後の最後に力が抜けて動かなくなってしまった私を、葛之葉さんはいとも簡単に抱き上げて、ソファに座らせた。北村さんのどうかしたー?、といういつも通りの声が聞こえる。それに葛之葉さんが、調味料のとこから塩と日本酒持ってきてくれ、と指示した。

「なんだかのっぴきならない状況かな? コップ要るよね?」
「ああ頼む」
「本当に、すみません……」
「調理用だが無いよりましだろう」

 口ゆすいだら吐き出していいぞ、と彼がコップを私に手渡す。入っているものすべてを口に含んで彼の言うとおりに吐き出す。それが終わると葛之葉さんが私に塩をまいた。その後彼も私と同じように日本酒を口に含み、塩を北村さんにまいてもらう。
 幾分か気持ちが落ち着いてきた。はあ、と嘆息すると、随分と顔青白かったけど、今だいぶましだねえ、と北村さんが言った。

「名前さんがこうなるのってそんなに珍しくないけど、ここまで酷いのは初めて見たかも」
「私も死ぬかと思いました……」

 今回ばかりは葛之葉さんが居なかったら、救急車で運ばれるかまた倒れて轢かれるかしていたかもしていたかもしれない。前者ならともかく後者ならぞっとする話だ。いったいどこに行ってたんだ、語調強く再度、葛之葉さんが尋ねてくる。私がこうなるのは、私自身があまり良くない場所に立ち入って引き起こされるからである。しかし今回ばかりはまったくもって思い当たることがない。唸りながら考えていると、北村さんが昨夜そこの大通りで事故あったよね、と思い出したように言った。それか、と葛之葉さんが続く。しばらくは様子見だな、彼のその言葉に私は力なく頷いた。巻き込まれるのはもうこりごりだった。






20171220


- 48 -

*前次#
ALICE+