++くちびるのやわらかさ/牙崎漣


 ぱちりと目が冴えた。目の前には色素の薄い金色にも見える瞳。その目はふさふさとしたまつ毛に縁どられている。私が目を開けたのに気が付いてもなお、彼はその場から離れようとせずに、しっかりと私を見据えるように覗き込んでいる。あれ、私一体何かしたかな。そんな思いが脳裏によぎるけれど、まったくそんな後ろめたいことをした記憶は一切なかった。
 私は現在、315プロダクションで事務員のアルバイトをしている。このアルバイトは山村くんの紹介だ。授業のコマ数が減って時間に余裕が出来た頃、ちょうどいい仕事無いかなあと探していた時に、彼から紹介されたのだ。聞くところによると、大学からも借りている部屋からもそんなに離れていないし、何より彼曰く良いアルバイト先ということで、私はそれをぜひ、と承諾したのだった。といっても常勤のアルバイトではなく、忙しい時期に短期的に雇われるだけ。それも私の希望にかなっていたから全然都合が良かった。芸能事務所ということで最初こそ驚いたものだけど、今は慣れっこである。山村くんの言う通り、授業の融通は利くし、夜遅くまで残ったとしても残業代が貰えるし、あと何より雰囲気が良い。良いアルバイト先を紹介して貰えたと感じる。
 事務所の一角、山村くんのデスクの真ん前に急遽拵えられたのが私のデスクだ。入るときにはここが私の城になる。今は山村くんはプロデューサーさんからのおつかいで出払っているし、プロデューサーさん自身もドラマチックスターズの仕事の付き添いで居なかった。事務所には実質私一人だけなのである。一人で緊張の糸が緩むとやってくるのは睡魔という厄介なやつで、ちょうど与えられた仕事が一段落着いて、プロデューサーさんの指示待ちのをしている時分のことだった。

「牙崎さん……?」

 夢かな。ぼんやりとした思考の中で彼の名前を呼んだ。しかし彼はそれを聞いてか聞かずか、たぶん聞いてはいるのだろうけど、その綺麗な顔を更にぐいっと近づけて唇を重ねた。ふわふわとした柔らかな感触。牙崎さん、筋肉質な身体をしているからもっと唇って硬いのかと思っていたけどそうでもないんだ。ぼんやりと頭の中でそう思ったけれど、そういうことじゃないことに気が付いた。

「牙崎さん?!」
「ンだよ、ま、たいしたことねえな」

 牙崎さんは自身の唇を指の腹でぴっと触れながら吐き捨てる。たいしたことはないという言葉にちょっと心が抉れるけれど、今の問題はそういうことじゃない。私と牙崎さん、恋人同士でもないのにどうして彼はこのような行動に至ったのかということである。
 
「いやいや、牙崎さん何してるんですか? もしかして他の人にも頻繁にこういうことされてるんです? だめですよ! これは好きな人同士がすることで、ていうかなんで私にしたんですか!?」
「ごちゃごちゃうるせーなア。オレ様がしたいからしたんだよ!」
「したいからって……!」

 なんだあ?、もう一回してえのか?、ぐいっと牙崎さんの顔が近付く。いやいやもう結構です、と彼を引き離そうとすると、彼の表情が苛ついたものに変わる。ぐいっと襟を掴まれて、唇が重ねられそうになるのを寸でのところで避けると青筋が立った。オマエなかなかやるじゃねえか、私の行動が彼の何かのスイッチを押してしまったようだった。





20171229
お題箱より。ちゅーがしたい牙崎漣。


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