彼女のことを認め始めたのはいつ頃だっただろう。彼女がプロデューサーをし始めた時は、彼女に対しては不信感や猜疑心しか感じていなかった。しかし彼女の懸命に業務を遂行する姿やアイドルに真摯に向き合う姿を見ていくうちに、それらの否定的な思いは払拭されていった。いつからか彼女の呼び方は、君から名字に変わった。今思えば、ごく自然に彼女を受け入れたのだと感じる。
「収録お疲れ様です。天道さんと柏木さんは……?」
「少し遅れるそうだ。局内の売店で飲み物を買ってから来る」
局内の地下駐車場。収録後に社用車に集合と名字の指示があったので、その通りに向かえば、収録前と寸分違わぬ位置で、車の前で待っている彼女の姿があった。
乗ってください、と彼女が運転席に座る。行きと同じように、ドアを開けて助手席に腰を下ろす。
「了解です。急ぎの予定ではないので、桜庭さんもご一緒されて良かったのに」
「一人で長く待たされるのも寂しいのではないかと思っただけだ」
冗談交じりにそう言う。シートベルトを締め、椅子の位置を調整する彼女の目がぱちくりとしているのがサイドミラー越しに見えた。まさか桜庭さんの口からそんな言葉が出るなんて、と彼女の口許が綻んだ。
それを遮るように言葉を放つ
「目元の血色が悪いな。何かで誤魔化しているだろう」
「せっかく上手く隠れてると思ったのになあ。桜庭さんってすぐ気づきますよね」
はあ、と名字がため息を吐く。他の人には上手くごまかせてたのになんでだろう、と独り言を言うかのように彼女が続けた。
「昨夜寝なかったのか?」
「仮眠はしましたよ」
「何時間だ」
「さ、三十分……」
「今日はすぐに帰って休め」
嘆息しながらそう言えば、名字は気の抜けた返事をした。横顔がやつれているようにも見える。顔色も良くない。この様子を見ると、かなり疲れが溜まっているようだ。
「でも、昨日までで資料を頑張ったおかげで、営業は成功したので。近々ニュース番組にゲスト出演が決まりました」
「それは嬉しいが、名字に無理をされるのは困る」
「大丈夫です、栄養エナジードリンクちゃんぽんしたおかげでそこまで限界じゃないので」
「それは最もしてはいけないことだろう……」
人の一日のカフェイン上限摂取量を考えてぞっとした。ちゃんぽんと言っていたことを含め、2本以上のそういったドリンクを摂取していると仮定して、致死量までとは行かないとは思うが、急性の中毒症状を発症する可能性は大いにある。動悸や嘔吐、頭痛、などが重症化して救急で搬送される患者を過去に見たことがあるが、彼女がこちらの知らぬ間にその中に入ってしまったら、と考えたらとてもではないが笑えない話だった。名字の恒常的なコーヒーの摂取量や、事務所にストックしてある栄養エナジードリンクを見ていると、中毒症状で救急搬送されるということも可能性としても十分ありうる。それが昨日今日はたまたまそうならなかっただけの話だと思うと、身の毛がよだつ。きちんと休息をとって貰わなければならない。
「あまり無理をするな。身体に響く」
「今が繁忙期なだけなので。来月辺りにはこんな無理しませんよ」
「……出来れば事務所にストックしているドリンク類もどうにかしてほしいものだな」
「うわ、厳しいお言葉。……皆さんが厳しいレッスンをして、スケジュールをこなしているのを見ると、自然と背筋がしゃんとするというか、私も頑張らなきゃ、って思うんです。プロデューサーとして、この頑張りを精いっぱいファンの方に伝えなきゃって、それで頑張らなきゃなって……」
「それも度が過ぎているだろう……」
彼女をいくら説いたところで、この根を詰めすぎるきらいは治りそうにないことは重々承知していた。
ちらりとバックミラーを見れば、天道と柏木が並んできょろきょろと車を探す姿が見えた。すぐに車を見つけて、名前さん!、と車の外から彼女を呼ぶ嬉しげな柏木が駆け寄ってくる。買い物を無事済ませてきたようだった。
「なんだか、こう笑顔を見せられると、疲れていたことも全て吹っ飛んでいくんですよね……」
「末期だな」
「私もそう思います」
彼らが車に乗り込む。頼んでいた水を受け取った。天道が名字に、と甘いもんでも食って英気を養え、とシュークリームを手渡した。それに彼女がありがとうございます!、と目を輝かせながら言う。
それではこれからの予定をお話しますね、と彼女が口を開く。先ほどよりもずっと元気そうな声だった。
20170512